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(初投稿) 陰キャ 陽キャ どっちでもいいよね part1

初めまして、建築を勉強中の21歳男子大学生です。note初投稿です。
ふとブログというものに興味を持ち、実験的にnoteを始めてみました。
建築学科に通っているため、建築に関する話やそこから派生する話を中心に書きたいなと思っています。
正直、noteがどのようなコミュニティなのかは、まだあまりわかっていません…
手探りなので、あたたかい目で見守っていただけると幸いです。


いきなり建築からは少し離れた話になります。。。

最近、巷では「陰キャ・陽キャ」という言葉をよく耳にします。

個人的にこの言葉はあまり好きではありません。
定義もよく分からないし、人の個性をそんな2単語で語れるわけがない。

クラスの陽気で明るい人を崇める文脈で「陽キャ」と呼んだのがおそらく始まりでしょう。
陽キャと言われて嫌な気持ちをする人はいないし、日本人の「カリスマに対するリスペクト心」が感じられる、良い造語だと思います。

しかし、今では少し様子が変わってきているようです。
カリスマを崇拝する分には微笑ましい光景でしたが、最近では、おとなしい人間をわざわざつかまえきて「あなたは陰キャ」と銃口を突きつけ始めるようになりました。

陰キャからすれば「いやいや、ほっといてくれや」といったところでしょう。
挙句の果てには「こいつは陽キャ。こいつは陰キャ。」と勝手に仕分けする者も出てくるようになりました。

よく喋るは陽キャ。物静かは陰キャ。
ポジティブは陽キャ。ネガティブは陰キャ。
友達多いは陽キャ。少ないは陰キャ。

とまあ、好き放題言われています。

さて、そちらがその気ならこちらも好き放題言わせていただきます。
以下、便宜上ヨウキャ・インキャを使います。

小綺麗でお喋り好きで“自称コミュ力あります”面をし「人の悪口は言いません」と浅い正義感を語って、いつでも苦し紛れのなんちゃってポジティブ。「そんな我らはヨウキャ◯人衆」と称して自らを肯定し、築き上げたピラミッドからこぼれ落ちないように必死に寄り集まって、内心ヒヤヒヤしながらも引きつった笑顔をふりまく彼らのことを、我らインキャは心の中で小馬鹿にしています。
中には、そんな健気なヨウキャに可愛げすら感じるインキャの人もいるかもしれません。


さて、もう既に「なんだコイツ」と、読むのをやめた人もいるかもしれません。
ここまで快く読んでくれた方とはとても波長が合うような気がします。
これからもどうぞよろしくお願いします。


何が言いたいかというと、、、
私が通う建築学科にも「嫉妬」が存在している気がする。


いや、俺だけかもしれない。。。


小さい頃から工作が好きであった私は小中高と過ごす中で、なんとなく将来はものづくりの仕事に就くんだろうなぁと思っていました。

そんな漠然とした考えから、大学受験は建築学科に絞って受験しました。
無事に志望校に合格&入学するころ、世界はコロナを迎えます。

それからしばらく世界に起きたことは説明するまでもないでしょう。
私の大学生活でも、ご想像の通りオンライン授業など様々な影響がありました。
そんな話もこれまでさんざん方々で耳にしたことでしょう。

人にはそれぞれ個性があり、人に会えないと気分が落ち込んでしまうという人もいれば、人に会わない方が諸々はかどるという人もいる。

また、それらの個性は学習意欲にも関係する。
コロナによってやる気の格差が生まれたように私は思う。
リモートによって同級生同士のつながりが切れ、いわゆる伴走者がいなくなる。
伴走者がいなくなれば基準のペースがわからなくなり、焦って先を急ぐ者もいれば、諦めて歩みを止める者もいるということだ。


私は高校時代、駅伝部に所属していた。
練習の中に4〜5人で一塊となって走るメニューがある。
選手として選ばれている以上、皆体力もあって速いペースで走れるのだが、
その中でもやはり速い人から遅い人までいる。

しかし、各々が好きなペースで走ってはチーム全体の底上げにはならない。
速い者は遅い者を引っ張るつもりでペースコントロールをしなければいけない。
また、遅い者は、速い者が早々に体力を使い切ってバテてしまうことを防がなければならない。この均衡が崩れると収拾がつかなくなる。
塊はたちまち崩れ、全体のスピードは失われる。


大学の話に戻る。
コロナ以前は他の学生がある程度自分の視界に入り、学生はお互いの様子を伺うことができた。
隣のあいつを覗き込み、自分とそいつの距離を測ることができた。
自分が劣っていればそいつに少しでも追いつくように努力するし、やり方がわからなければそいつから教えてもらうことができた。

A「スケッチうまいね」

B「そんなことないよ」

A「この木の描き方教えてよ」

なんとも良い関係性である。


逆にBからすれば、自分の能力を認められたことで自己肯定感も向上するだろう。
いずれにしても、互いの距離がわかるというのは自分にとってプラスになる。

しかし、これがひとたび間仕切りを立てられ、お互いの様子がわからない状態で描かされるスケッチほど怖いものはない。

「自分だけ下手だったらどうしよう。笑われるんじゃ...」
「逆に上手すぎて目立ったらどうしよう。引かれるんじゃ...」

オンライン授業で感じた不安の根本はこれのような気がする。互いが見えない。
ちなみに、「周りと比較するな」と言う人がいるが、それは時と場合によるだろうと私は思う。
一定の競争意識に、お互いを高め合う効果があるのは明らかだ。
周りと比べずに自己満足に浸りたければ、趣味として勝手にやっていれば良い。
…なんて偉そうなこと言ってみたりしてネ。許してネ。


冒頭の「です・ます調」から気づいたら「である調」に変わっていた。
なんか堅苦しい話を始めたあたりから「である調」に変わったようである。
一般的には統一すべきだろうが、なんかこれはこれで転調した感じがして、
良い効果になっている。発見だ。


ということで、長くなったのでpart2に続きます。
引き続き読んでいただけると幸いです。


noteってこんなんでいいのかな…?(笑)



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