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個として。

『多様性を考える』といった事の中で、最終的に辿り着いたのは『個人として在る事と接する事』だった。

老若男女から始まる諸々のカテゴライズを外して見た時にどう見えるか、そこからどう受け止めるか、どう受け流すか。

受け止められない・受け入れられない場合は受け流すもアリだと思う。
そこは無理に対応しようとしない、という選択肢。


ストレートに言うなら『あなたはあなた、私は私』これで済む事かなぁ…と。

どんな違いがあっても良いじゃない、丸っきり同じ方が落ち着かないし面白くないわ、という次第。


良くも悪くも『個人として接する』感覚。


あなたはそうなのね、私はこうかな。
…それで済む。


物事って紙一重で良くも悪くも受け取れる事が多いから…逐一何かを比べたりしてたら疲れる。


ただ、これは…元々が自分と他人の境界線が濃い方だからそう思うのかもしれない。

決定的に合わないと感じたら否定も肯定もせず距離を置く。
自分と『違う』だけであって『間違っている(誤っている)』というのはまた別だと思うから。

物事の正解か不正解かは個人の受け取り方だろうし、余程の事は法に基づいているだろうし。

正解か不正解かというより『自分にとっての最適解』が他人様の迷惑にならなければそれで良いかな、って。

人の数だけ正解があるならそれもまた。

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余談。

非常に大きなお世話だと思うのだけど…

疲れがピークの時には宣言しても良いと思う事が。

「ヒト科ヒト属〇〇(自分の名前)は絶滅危惧種ですが、ただいま非常に危険な状態なので自己保護活動に励みます」

自分の中で休むのに理由が必要な際には是非。

地球上の人類はみんな絶滅危惧種なので、お互いに絶滅するような事は避けましょうよ、とも。

気の持ちようだと思うのだけど、そう思うと割と合わないなと感じる方にも少しだけ優しい気分になれる。

「あぁ、絶滅しないようにお気を付けて…」

動物愛護的な方々からすると不謹慎かもしれないけど。
そして、急に話の規模が大きくなった(?)気がするけど。

多様性の在り方は自分の中で【個を認識する事】なのは変わりない。


『家庭』『夫婦』『親子』etc…

【個人】と【個人】の間に築かれる関係性は、それこそ星の数程…

余程の事が無い限り、そこに他人が口出しするのは無粋かと。

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