天邪鬼のひとりごと。
ここ最近、世界情勢としても非常に不安定な中で。
とても不思議なのは、日本人に対する『平和ボケ』という言葉。
外国のコメンテーターの方、日本人の方(一般の方も含めて)…よく見受けるし、自分も言われる。
自分が見た海外のコメンテーターの方は若い方だった。
日本人の高校生の戦争に対するディスカッションについて「とても生ぬるいと思う」というような事を述べてらした。
海外の、まして日常的に弾薬が飛び交うような所の出身の方からしたら「生ぬるい」のだと思う。
ただ、若いからかな。言葉にお気を付けて、と思った。
生まれてからの環境も受けてきた教育も違う、自分は昭和の末に生まれた曖昧な年代(?)だけど…受けてきた教育は『戦争はダメだ』の、一種の刷り込みに近いものだし定期的に『火垂るの墓』は観せられたし『はだしのゲン』も。
広島原爆ドームに向けて犠牲者の方の数(小学校在学当時:推定)の鶴を折って贈る(19万7045羽)という事もあった。
『戦争を知らない子供たち』を知らない子供たちの子供たち、なのかとも思う。
「生ぬるい」「平和ボケ」…否定はしないし出来ない。
単に「生ぬるい」と仰ったコメンテーターの方には(日本っていう現状は比較的安全圏に来て何を言ってらっしゃるの?)と思ったのと。
それ以上に、日本人の方が同じ日本人に対して「平和ボケ」という言葉を使う事が嫌な感じがして。
不意に始まったロシアの侵攻とウクライナの現状を見て急に増えたな、と思う。
選挙の重要性やら改憲やら自衛の在り方やら。
それは良い事なのだろうと思いつつ、ご自身達がそういった事を考え始めたからといって他の方を「平和ボケ」と論うのは違うと思ったり。
そして。個人的にはこの「平和ボケ」という言葉はとても失礼だとも。
自衛官の方が退任なさる際に、
「我々の努力と流した汗が無駄になった事を誇りに思う」と仰ったらしたのを見受けた。
そういった諸々の上の物事の上に成り立ってきた「平和」という状況を享受してきた日本人が、同国の人間に向けて「平和ボケ」と言って良いとは思えない。
個人的には「平和ボケ」と言われようと、そういった國で生きてこられた事を有り難く思う。
ロシアとウクライナについて何かのキッカケとするならそれは個人の自由だけれど。
それは他人様に対して「平和ボケ」と言って良い理由にはならないかと。
大多数の方が改憲などについて以前から考えがあったのであれば、それはもう既に変化は終わっているはず。
急に自分が思い立ったからといって他の方を貶める必要は無い。
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