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浄化作用。

とても個人的な事なのだけど、自分は汚い言葉で何かを『言われる』事には大してダメージは受けない。
親がアレだったのである種の慣れというか。

(あー…はいはい、ボキャブラリーの少なさマイナス20点、捻りの無さで更にマイナス20点…何番煎じかな、マイナス15点)
とか聞きながら(聞いてるのかも怪しい…?)採点するくらいは。

ただ、不思議なもので。
それが文字になると、とてもダメだしとってもダメ。
仮に同じ内容だとしてもダメージは比べ物にならない。

チャット等は更に顕著になってしまうのだけど、まずファーストコンタクトからタメ口はごめんなさい。
はじめましてでさようなら。
音声変換なさってるのであればボイスチャットという方が良いかと。

真面目とか堅物とか言われましても。
寧ろ不真面目だし、わがまま放題だと思いつつ…もう生理的に無理なので。
そういった場にはあまり参加しないけれど、無性に好きな作家の方や趣味についてお話したくなる時にふらっと出向いて不向きだと痛感する。

よく考えれば、基本的に文章ではなくても人とお話する時に余程に関係が深くなければ敬語だと気付いた。
知り合いといった感じなら間違いなく敬語。
友人でも咄嗟に出る事がある。

親しみづらいとか、取っ付き難いとか。
とても高飛車な発言を失礼しますが、親しんで頂かなくて大丈夫です。
距離が近い方が致命的になる事の方が多いので。

英語が世界の共通語なら敬語は大人の共通語だと思っている者です、はい。

…と、得意の脱線が。

その文章に目とメンタルがダメージを受けた際に、自分にとっての癒しと浄化は書籍で。

名言集でも古典でも写真集でも辞書でも、とにかく美しい(と個人的に感じる)文章を眺めて目とメンタルのケアを。

美しいものに対しての『目の保養』というのが、比喩ではなくて本当に目の保養。
書籍は本当に浄化作用が高い。

お借りしたヘッダーの画像が、とても自分の感覚に近く感じて。
書籍から緩やかに柔らかな雰囲気を纏う花が芽吹くように、目とメンタルがゆっくりと浄化されていつの間にか花が芽吹くような。

書籍は自分にとって、そういう存在だなと思う。

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