何が「自分は意識低いからなあ」だよ。なんだそれ。
僕は「しゃべり」がうまくなりたくて、日々勉強したり実践したりする。
すると、「○○発表うまいよね~、自分は下手だからなあ」といわれるようになったが、何をいってるんだろうと不思議だった。
彼らを見るたびに『いや挑戦してないくせに何言ってんだよ』と思っていた。
彼らはそもそも下手か上手かわからない。発表してない。「3つの△△~」を試したな、ということもない。
場数がないと下手か上手かもわからない。だから発表のチャンスがあれば「俺がやる!」と言うよう常に心掛けている。
先ほど「しゃべり」がうまくなりたいと言ったが、僕が通うのは教員養成大学で、「しゃべる」のがうまくなりたいというよりも、いや、うまくなれよ、教員だろ、と思っている。
当たり前だ、そういう学校だ、それが本分だ。お笑い学校に行ってお笑いを練習するようなものだ。
多大なコストをかけて大学に通っている。リターンをきっちりとる。じゃないと時間はすぐに溶けていく。じゃないと大学の意味がない。
「誰か発表して。。」
「ウケなんてねらってませんよー」
「ザーッとスライド読み上げて、席に帰りまーす」
なんだそれ。
せっかくの発表チャンスがあったのに、何も得ずに帰る人がほとんどではないだろうか。
僕はしゃべるのがうまくなりたくて、本で勉強して、大学で発表があるたびに友だちにフィードバックをもらったりする。最初はへたくそだったものの、少しずつマシになってきた。
そこで得られたもの、自分で気づいたものをアウトプットしていった。
これだけでなく、ディスカッションから得られたものもあり、広く使えるノウハウをツイートして、noteにまとめたりした。
スピーチの練習にとどまらず、何をするにもリターンを獲っていかないと、いつの間にか恐ろしいほどの差がついていく。
この意識の差が、たった1回の発表で自分をぶち上げる。
あとは積み重ねるだけ。
「自分は意識低いからなあ」じゃない、なんだそれ。
しかしほとんどの人は一回の発表ぐらい軽く流していると思う。
取捨選択は大事だ。これを見てくれている人もスピーチがうまくなりたいわけではなく、他に注力しているのなら、それもガンガン成果が上がっていくはず。
しかしやってもないのに「自分は下手だからなあ」って意味が分からない。
何が「自分は下手だからなあ」だよ。まだ下手かわかんないだろ。
何が「自分は意識低いからなあ」だよ。なんだそれ。
人は新しいこと、いつもと違うことをしようとすると、防衛本能でストップがかかるらしい。
僕は挑戦してもないのに「自分にはできない」と言う人間にはなりたくない。
一回一回のチャンスから最大限の学びを得たい。
一回スピーチのチャンスがあれば、「俺が発表する!」と申し出て、新しい課題を知りたい。
いきなり芸人・講演家のようにしゃべるのは不可能だとしても、彼らの動画にしがみついて、本のページをめくり、真似し、試すことは誰にだってできる。
やる前から諦めれば失敗もない、でもやらないと出来ないかなんてわからない。
やってダメならもっとやれ。最初はどうせダメだ。だからもっとやるんだ。
そしていつか、自分が真似される時がくる。
そんなことを考えた、新年の始まりだった。
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