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ケイネス先生の聖杯戦争 第十八局面

  目次

 即座にディルムッドはその場を飛び退り、凶暴な唸りを上げて薙ぎ払われる漆黒の鉄靴ソルレットを間一髪で回避した。

 仕留められたとは思っていない。だが、頸脈を断裂させれば重要器官への魔力の循環には支障が出るだろう。特に脳はまともに機能しなくなる。ごく初歩的な状況判断すら覚束くまい。

 ブレイクダンスめいた動きで頭蓋をセメントから引き抜き、跳ね起きる狂騎士。首が据わっておらず、頭蓋が力なく揺れている。どう見ても行動可能な状態ではない。

 だが。

 ディルムッドは、ここで一つの失策をおかした。

 あるいは、敵の力量を見誤った。

 〈必滅の黄薔薇ゲイ・ボウ〉。

 海神マナナーン・マックリールより賜りし、回復阻害の呪いを有する魔槍。

 目の覚めるような黄色の輝きは、今ディルムッドの手元にはない。致し方のないことであった。今生の主より、〈必滅の黄薔薇ゲイ・ボウ〉の開帳は禁じられていたのだ。双槍の戦闘スタイルに慣れていたので、一応携えはしていたが、敵の想像を絶する膂力を見た瞬間から手放し、〈破魔の紅薔薇ゲイ・ジャルグ〉の一本のみを今まで握りしめてきた。

 そして、背負い投げの要領で彼我の位置が入れ替わった結果、〈必滅の黄薔薇ゲイ・ボウ〉は今、頸椎を砕かれたバーサーカーの足元にあった。

 この瞬間、ディルムッドの脳裏に切迫した危機感などなかった。〈必滅の黄薔薇ゲイ・ボウ〉は紛れもなく己を担い手として選んだ、ディルムッド・オディナ個人の宝具だ。余人に扱えるものではない。宝具の側が拒むだろうし、力ずくで握りしめたところでそれはただの槍以上のものにはなりえない。

 宝具とは単に「優れた武具」などという意味の言葉ではない。担い手となった英雄の手の中で、共に数々の偉業を成し遂げ、それが人々の信仰を集めて貴き幻想ノウブルファンタズムを纏うことで初めて機能する「現象」だ。ディルムッドの手にない〈必滅の黄薔薇ゲイ・ボウ〉など、英霊の目から見ればそのへんの棒切れと大差ない。

 ゆえに、奈落のごとき籠手が黄槍に伸びた時も、なんと愚かな、と狂化の呪いに対する同情心すら抱いていた。

 相手の宝具を、「触れた物体の超強化」でしかないと見損なっていたがゆえに。

 続く事態に対して、防御することしかできなかった。

 二騎の間で激しい火花と魔力の烈光が瞬き、青き槍兵は後方に吹き飛ばされた。床に二本の轍が刻まれる。

「なッ!?」

 慌てて重心の制御を取り戻すと同時に、神経を引き毟るような凄まじい叫喚を貫いて致命的な黄光が射込まれてきた。反射的に紅槍で叩き伏せ、交差したふたつの穂先が床にめり込む。

 圧倒的な剛力によって跳ね上がろうとする〈必滅の黄薔薇ゲイ・ボウ〉の切っ先を、巧みな力加減の妙技で抑え込む。

 ハリエニシダの燃え盛る花のように鮮やかだった金糸雀色の魔槍は、今や赤黒い葉脈の汚染を受け、油ぎった黄褐色に貶められていた。

 眉が、険しくひそめられるのを自覚する。

「貴公……!」

 宝具の、収奪能力。

 あまりにも恐るべき敵の本質を痛感するとともに、自分がかつてない危機にあることを自覚する。

【続く】

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