ケイネス先生の聖杯戦争 第四十三局面
ディルムッド・オディナは自分を器用な人間だとは考えていなかった。ホクロがなくば女性とは大して縁のない人生を歩んでいたことだろう。
とはいえ、今しがた下された命令を実行に移すには、恐らくかなりの意訳が必要になることぐらいは、わかった。
「久宇舞弥、君がこの聖杯戦争に身を投じた理由を聞いてもいいだろうか」
「理由? ないわよ、そんなもの。切嗣がそうするから、私は従うだけ。どう生き、どう死ぬかは切嗣が決める」
そういう在り方を、辛いと思ったことすらない。
「ではなぜ、こうして来てくれたんだ? 我々が衛宮切嗣とは決して相容れないことはわかっているだろうに」
「それ……は……」
女は頬を赤らめた。にぎりこぶしを胸に当て、うつむく。
「認めよう。俺は君の心に好ましからざる手段で近づいた。今君の胸をかき乱しているその気持ちは、偽物だ」
久宇舞弥は目を見開く。そして目尻に涙を浮かべた。自分でも目を背けていた事実の指摘を受け、傷ついている。
「だけどな、考えても見てほしい。衛宮切嗣の道具として生きた日々と、俺を想って戸惑う日々、どちらがより辛く、不安だった?」
「それは…っ、あなたと出会わない方がずっと楽で、穏やかにいられたわよっ!」
「そうだ。それが生きるということの代価だ。君以外の人間は皆、その不安と戦いながら生きている。願望し、迷妄に惑い、想いはきっと遂げられない。自分が正しいのかどうか、誰も答えてはくれないし、選んだ答えは多分間違っている。人間は、そういう世界に生きている」
女は口を引き結ぶ。
「君のこれまでの生が、どのようなものだったのかは聞かない。きっと過酷なものだったのだろうと想像するだけだ。だがあえて問おう。その過去のすべては、今この瞬間の君にとって、何か意味のあることだろうか?」
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久宇舞弥は言い返せない。
物心ついた時にはもう少年兵として殺し合いに駆り出され、上官の欲望のはけ口として利用されてきた。
一般人が聞けば間違いなく憐れんでくるであろう子供時代だったが、実際のところこの経験は久宇舞弥という人間にとってさしたる重みを持っていなかった。
話題に上れば、あぁそんなこともあったかな、と思い返す程度の、特にどうということのない記憶である。「思い出」などという高尚なものではなく、トラウマですらなかった。
人は、失うことには耐えられずとも、最初から持たないことには余裕で耐えられる。ことによると「耐える」という意識すら不要だ。
ある意味において、久宇舞弥ほど心穏やかに生きてきた人間はいないかもしれない。自分を大切にするという思考が根本的に欠けている者にとり、人生とは微睡みの夢よりも重みを持たない些事だ。胸をかき乱されることなどありえない。
だが、目の前のこの男は「目覚めろ」と言う。
願い、想い、足掻き、苦しめ、と。
切嗣すら、そんな過酷な命令はしてこなかった。
いったい何の権利があって、そんなひどいことを言うのか。
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