ケイネス先生の聖杯戦争 第四局面
跪いた膝を、握りしめる。
恐らくこれは、ディルムッドの生き方の根幹を問う矛盾であるから。
忠義と、騎士道。
生前のディルムッドであれば、その二つに優劣をつけるなど到底不可能であったことだろう。
だが今ここにいるランサークラスのサーヴァントは、正確には英霊本体の一側面を再現したものにすぎない。
聖杯によって「今度こそ主君を裏切らず、忠義を貫き通したい」という渇望を切り取ってコピー&ペーストされた存在である現在のディルムッドにとって、葛藤は必要であれど答えは出せる問題であった。
頭を垂れ、口を開く。
「忠誠を、優先します。あなたに従います。ケイネスどの」
「つまり私の命令のために騎士道を踏みにじってもいいと?」
「ッ!」
唇をかみしめる。揺れるな。これは千載一遇の好機。これを逃せば我が本懐が叶う可能性など芥子粒以下の大きさになると知れ。
心の一部を殺しながら、槍兵は応える。
「騎士道よりも、ケイネスどのの命令を優先します」
「では他のあらゆる事情に優先して私の命令に即座に従うと、聖約として誓え」
呻きを噛み殺すことができなかった。
そこまでするのか。
聖約とは、古代ケルトの戦士たちに通底する信仰であり、規範であり、呪術の一種であり、最も根本的な倫理である。単なる契約や約束事などとは違う。
己の生涯において、任意の禁則事項を設け、誓いを立てる。これによってトゥアハ・デ・ダナーンの神々より加護を授かるのだ。誓いを破らぬ限り、その者は戦士としての基礎能力が圧倒的な向上を見せる。エリンにおいて戦士として大成しようと志すならば聖約と無縁ではいられない。
とはいえ、だ。
それは西暦にして三世紀ごろ――いまだキリスト教化の波が押し寄せず、科学精神も培われてはいなかった頃の事情である。現代においてこの惑星は「例外なき絶対の物理法則」というテクスチャに覆い尽くされており、聖約はその霊威を失っている。今さら誓いなど立てたところで、神秘的な強制力など発生しえない。
それはわかっている。わかってはいる、が。
聖約を破ることは、どのような悪徳よりもなお圧倒的におぞましく不名誉な行いであった。加護と名声のすべてを失い、多くはその場で討ち死にする。古代ケルトの戦士たちは、死なないために聖約を破るのではない。聖約を破るくらいなら死ぬのである。
ディルムッドの胸にも、その文化精神は根強く残っている。断じて軽々に為せるようなことではない。
だが。それでも。
それでも、だ。
――〈輝く貌のディルムッド〉も、こうなっては形無しだな。
見下ろしてくる冷たい瞳。こぼれ落ち、ぶちまけられる水。
生前の最期の記憶。
恨みはない。ただ、己が成した裏切りの重さを痛感するばかり。
もう二度と、繰り返したくはなかった。
ディルムッドの中にあるのは、もはやその一念だけである。
「――誓います。モリガン神、ヴァハ神、バズヴ神よ照覧あれ! 聖約として、私はケイネス・エルメロイ・アーチボルトどのに絶対の忠誠を誓います……!」
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