†闇の炎に抱かれし凶眼の拳あとがき†

 当時の俺はいまだ自分の気持ちを加工せずにそのまま小説にブチ込むほどに素直というか不器用であった。「グギギギギ……ぼっぼっボクは野郎どもがものすごい形相で殺し合うところが見たいだけなのに世の中のクソどもときたら愛だの絆だの癒しだのウンザリなんだ万年発情期か貴様ら!!!! こっこここ、こうなったら愛をくそみそにけなす話を書いてやるぞ!!!! ザマ―ミロ!!!! しかし待てよ? 主人公にただ「愛とかクソだよね」とか言わせても非モテのひがみにしか取られない危険があるぞ!? く、クキィーッ!! 許しがたい!!!! そんなことになったらボクの研ぎ澄まされたナイフのように薄っぺらいプライドが!!!! そうだ!!!! 主人公は超絶美形でモテモテのモテなんだ!!!! これで南の島で愛愛いってるおさるさんどもを血祭りにあげてやるぞッ!!!! サマーミロバーカバーカ!!!! オタクは経済を回す!!!!」というような、まぁそれ自体は別に初期衝動としてはアリなんじゃないのというアレであるが、素材をゴロッと何の調理もしないまま並べ立てて「さあ喰え」であるからして付き合わされた読者にしてみればたまったものではないのである。夜天は計算のうえで演出した中二文学であり、作品の中二濃度こそ高いものの、作者の視点の中には素面成分が多分に含まれているが、凶眼は作者がもう頭のてっぺんから何かの先端まで中二に浸っているのである。あのー、俺はこの表現大嫌いだし、これを多用する奴は例外なくつまらん奴だと思っているが、正直なところ今読み返して「痛い」と感じてしまった。おい、マジか。マジでこれをnoteに出す気なのか。人格を疑われるわ!!!! しかし俺は自分大好き人間なので「まいっか☆」と軽率に公開ボタンを押したのであった。だが後悔はしていない。「痛い」とは思ったが、最後まで読めば「面白い」が先に立ったからだ。

 本作は、恐らく意識してホットなベイブを描こうとした最初の作品である。いやぁ、桐旗氏カワイイだなぁ!!!! のちの黒澱さんのプロトタイプなだけはある!!!! それがあのー、なんというか、ああいうアレなあたり、当時の俺はまだホットなベイブをキャラクターとして描くことに関して照れがあった。ぼぼぼボクは美少女とかぜんぜん興味ないっしぃ? 世の病的なカワイイ至上主義に噛みつくための手段として仕方なく描いてるだけだっすぃ? やめよう。俺はこれ以降エンタメに徹しようと思った。いいじゃないか美少女。いいじゃないか主人公は最終的にホットなベイブと良い仲になれば。そこで奇をてらう意味が分からんわ。そういう姿勢で現在は創作を続けているが、しかしそれは「角が取れて丸くなった」というファッキンブルシットな現象ではないのか? 俺は今この文章を「昔はバカやってたよ」的な文脈で語ってはいないか? 今の俺は本当にかつての俺が目指した俺か? そういう思いが数年越しに再燃してきた結果、とある暗黒ファンタジーが産声を上げたわけであるが、それはまた別の話である。

 しかしまた凶暴な僕キャラか。ネタが被っとる。いやしかし、凶暴な俺キャラとかギャップがなくてなんか印象に残らねえだろという思いがある。暗い目の男しかり、橘静夜しかり、諏訪原篤しかり、俺キャラほど人格が落ち着いている感。海坂涼二は「誰かに定義づけられたくない」という強い欲求を持つ男だ。ゆえに、有り余る攻撃性を自分の意志で抑え込んでいる。「お前が知っている何かになんて決してなってやらない。僕はお前が嫌いなので、お前が理解も共感もできない立場からお前を罵倒する」という、なかなか他人に興味津々で微笑ましい動機が根底にある。だが愛を知らぬ者が愛を否定したところで「ロボットがなんか言ってるぞ」としか思われない。愛を知ったうえで愛を否定してほしかった。そうでなくば読者の思考体系を揺さぶる作品にならない。ゆえに、終盤は心理描写の上とはいえ、ヒロインへの想いを吐露させることになった。そうゆう理屈は覚えているが、しかし今読み返してみるとやはり「ぶれ」であるように感じられる。このあたり、一考の余地はあるだろう。だがどうすればよかったのか。いまだにわからない。いや、そもそもなんでそこまでして必死に愛を否定しようとしているんだ俺は。愛ってなんだろう。愛。わからない。オレ バール ニンゲン ノ ココロ ワカラナイ I`ll be back...

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