素人からNHKの番組音楽の仕事にするまでの遍歴
私がまだ19歳の時(1999年頃?)
専門学校在学中にアルバイトの募集を見た。
とあるゲーム制作会社からである。
内容が、ローランドの機材のデバッグ。
元々ローランドは愛用しているメーカー
CM-32L、JV-30、XP-50、SC-88Pro
ゲーム制作会社ならゲーム音楽に関われるかもしれない。
そんな期待をして潜り込むつもりで申し込んだ。
バイトの当日、作業する会社のビルの一階で
そのゲーム制作会社の社長と待ち合わせた。
その社長、とあるゲーム会社のサウンド制作出身の方だった。
1999年頃、まだ会社も立ち上げたばかりの
「パオン」と言う会社。
で、そのデバッグする場所はRolandとはまた
別の会社だった。
意味がわからなかったけど、つまり孫請みたいな感じ?
それで、最初にデバッグしたのがMC-80と言う
ハードウェアシーケンサーでMC-50mk2の後継機種。
※ちなみに当時デバッグした機種はたしかMC-80、VP-9000、XV-5080、あとXVの小さいやつ...?
全ての機能を試して報告する。
エクスクルーシブを全部送信してみるとか。
合計で何日かやったかな?
1日で華原朋美の曲を耳コピして送った。
Rolandさんもパオンの社長にも評価してもらった。
それで自分の作曲した音源を社長に聴かせたりして
ゲーム音楽やりたいアピールしてた。
その甲斐あってか、2機種目のデバッグ終えた頃に、ウチの会社で働く?とお誘いがかかった。
最初は雑務。
プリントシール機のロール紙の発送。
筐体の出張修理まで。
サウンドに関する仕事も徐々にやりはじめ
正社員にしてもらった。
もちろんゲームなので作曲の他にも効果音や
プログラムや組み込みまで色々やった。
元々MSXでBASICとマシン語やってた経験があったから分厚い説明書と睨めっこしてなんとかできていた。
そこそこゲーム音楽に携わった頃、
と言っても2000年の終わり頃。
(今思えば1年くらいだった)
専門学校の時のレッスンの先生だった
栗山和樹先生から「NHKの大河ドラマやることになったから手伝ってくれないか?」
と声をかけてもらった。
ゲーム会社に入社できて、ここで骨を埋めるものだと思っていた矢先。
「やるなら会社を辞めて1年間空けてもうことになる」と言われてたので相当悩んだ。
せっかく入社できたゲーム会社。
社長に全部話して「正社員を辞めさせてください」と
頼み込んだ。
意外にも「頑張れ。ビッグになれ」と送り出してくれた。
そこから1年間、当時は尺合わせの当て書きの
30曲くらいを毎週レコーディングしていた。
私は先生のアシスタントとして機材を運ぶこと、
マニピュレーターとして打ち込み部分の準備をして
スタジオで先に流し込みをする。
当時はPCM-3348と言うデジタルテープのマルチレコーダー。
事前の準備がすごい時間かかった。
仕込みに実時間以上かかる。
毎週打ち合わせも同席させて戴いて、台本に曲のIN/OUT点をメモしたり劇伴音楽のイロハをそこで学んだ。
毎週のオケレコーディングも刺激的だったけど
疲労で眠かった。
ちなみにその時、ミュージシャンのブッキングとか
制作で走り回っていたのが作曲家の羽岡佳さん。
その時20歳くらいだったけどNHKの音響デザインの方々に出会えて、仕事をするには至らないけど
顔を知ってもらうことができた。
大河ドラマの1年間を終え、
先生の推薦もあって日音アーティストという事務所に所属することになった。
2001年以降、そこの大先輩にあたる千住明さんの
マニピュレーターを担当することが増えた。
あるレコーディング現場でいつも通りスタジオに機材を広げて音を流し込んでいた時、私の作った音を聴いたNHKの音響デザインの方が興味を持ってくれた。
何度かお会いする機会があって、ある日、
「ちょっと今度こういうのやってみる?」
と小さいけれどNHKの番組のテーマ音楽の
作曲のご依頼を頂いた。
BSとかの5秒〜10秒くらいのものだった。
いくつかやらせてもらった。
これは本当に嬉しかった。
そしてその方から単発だけど、
「NHKスペシャル」1本まるまる依頼をいただいた。
25歳くらいの自分は震え上がった。
「情報聖戦 アルカイダ謎のメディア戦略」という
番組だった。
劇伴音楽のメジャーデビューはおそらくこれだと思う。しかもドキュメンタリー。
これがきっかけとなって、報道、ドキュメンタリーの音楽を手がけることになった。
実は私は今でもそうなのですが報道・ドキュメンタリー番組の音楽に携わることが多く、仕事歴も長いのでした。
なんでもチャレンジしてみてよかった。