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夏の終わりに思うままに

今年も八月が終わる。
早晩は冷んやりとした風が吹くようになったし、先日寄ったドラッグストアでは、秋をパッケージした缶チューハイが売り出されていた。季節が変わろうとしている。

今夏は中旬に雨が降り続け、低気圧や交通ダイヤの乱れに悩まされた。
そもそも今年は梅雨も長かったので、いつもより多めに雨に打たれている。
これだけ便利な時代になっても、傘だけは昔から進化しないのが不思議だ。もう少しスマートに雨に対応できるようにならないものか。

夏休みも今日で終わる。
実生活に休みがあるわけではないが、通勤時に学生の姿が消えるので、間接的に夏休みムードを受け取っていた。何なら大量の宿題に追われていた学生時代よりも、好意的に受け止めている節がある。

今月の頭に書いたラジオ体操だが、幸いまだ続いている。

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3週目が怪しいのは、その、お盆なので……。
でも真面目な話、小学生の頃は盆休み中はラジオ体操も中断されていたので、トータルでは今年の私の方が体操している。えらい。
ちなみに今朝のラジオ体操は東京のスタジオから生放送で、新鮮味があって良かった。八月の最終日だからだろうか。
ラジオでも言っていたが、来年は各地を巡回してほしい。あれこそ夏の風物詩なので。


……願うだけなら自由だが、現実的には難しいとも思ってしまう。
去年の今頃は感染者数がぐっと減っていて、冬だけ注意すれば良いならインフルエンザみたいなものかと許容しかけていた。
それが今年の夏は変異株で散々なことになっていて、神経をすり減らす日々が続いている。

来年はもちろん、その先も好転する見込みがないように思うのは、悲観的すぎるだろうか。
ワクチン接種が進もうが、特効薬が開発されようが、日本は十年後もマスクと三密の生活が続いていそうな予感がする。嫌だな、それは……。
こんなに不快感を覚えるのは、様変わりした世をまだ受け入れられず、受け入れる覚悟も決まっていないからか。

一個人があれこれ考えても解決しないことだ。日常の感染対策だけ徹底して、あとは気にしすぎないように過ごす方が良い。
そう分かってはいるし、実際にそうしてきたけど、予想よりずっと長丁場になりそうだ。

頭の中で考えっぱなしを続けるのも身体に悪いから、たまには文字に書き起こして、自分の頭の中を眺めてみる。
こうして気持ちが沈む話を形に残すこと自体、本当は癪だが、心身の健康には代えられない。

別に感染症に限った話でなく、いかに心身の健康を守るかが最近の命題になっている。
体の健康は食生活や運動や睡眠として、心の健康は「書くこと」が良い作用を与える気がしている。
だから取り留めのないことでも、何かと理由をつけて書いていきたい。たとえば今日みたいな季節の区切り目に。

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