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僕は占い師になる前に、猫と出会った

孤独な都市生活者にとって、猫は素晴らしい友人である。

それはたぶん、猫が侵しがたい孤独を抱えているからだろう。だから寂しがって近寄ってきたとしても、気づけばふっと目の前からいなくなってしまう。群れではなく単独の狩猟者がもつ静寂に、むやみに立ち入ってはならない。

猫はボーダーの領域にいる存在だ

僕が単身の都市生活者だったころ、一匹の猫を拾ってきたことがあった。夏の夜で、雨の降ったあとだった。夜道を歩いていると、幼い猫の鳴き声が聞こえてきた。声をたどっていくと、細い溝のなかで片手に乗るほどの小さな子猫がもがいていた。こいつを助けあげて、つれ帰ったのだ。まだ幼くて、足もとも覚つかないほどだった。
風呂場で汚れを洗い落とし、タオルで拭いたが、ひどく怯えて部屋の隅で震えていた。ミルクをやった。すると怯えより食欲が勝ったのだろう。貪るように飲みはじめ、そのあと気絶するように眠ってしまった。

そのころ僕は、急な坂道の途中にある集合住宅に暮らしていた。古い建物だったが、見晴らしだけはとてもよかった。子猫はそこで大きくなっていった。
ほとんど家具のない簡素な部屋で、年季のはいった板張りの床に、僕は本を積み重ねていた。猫はときどきそれらにからだをこすりつけて崩し、慌てふためいていた。陽だまりで毛づくろいをし、壁を引っかき、丸くなって眠る。その気ままな動きは僕の感情の揺れを誘い、ときには鎮めてくれた。

多くの猫はときどき中空を見つめている。うちにきた猫もそうだった。なにかを見ているらしいけれど、僕には見えない。
「なに、見てるんだ?」
と声をかけたところで、もちろん言葉は返ってこない。動物の心を占うということも、できなくはないが、それをしたことはない。しようとも思はない。なんとなく不可解で、どことなく神秘的で、かぎりなく無垢なその姿を見ているだけで充分だった。
ただし、暗闇のなかで中空を見つめる目の光に接したときは、その妖しさに気おされて、見てはいけないものを見たような気分になった。猫という存在は、この世界とどこか別の世界の中間にいるように思えたからだ。

古代エジプトの女神バステトの化身

古代エジプトでは、猫を神聖視していたという。彼らも猫のもつ妖しい気配に魅了されたのだろう。神話によれば、猫は女神バステトの化身とされ、人の奥底にある心を読み、疫病や悪霊から人を守護し、ときには罰もあたえたという。
ロンドン中心部のブルームズベリー地区にある大英博物館には、エジプトでつくられたバステト像が収蔵されている。その顔は大きな耳をもった猫で、首から下は人間の女性のからだをしている。タイトなロングドレスを身にまとい、その立ち姿には独特の気品がある。半分擬人化された女神像だ。
これとは別に、全身が猫のかたちをしたブロンズ像もある。黄金の豪奢な装飾品で耳や胸もとを飾り、すらりと伸びた前足をそろえて、上品に座っているスリムな猫は、高潔さと優雅さにあふれている。

それを象ったレプリカをもらったことがあった。高さ5センチほどの小さなもので、本棚に飾っていた。ところが、何度か引っ越しをするうちに、あのレプリカを失くしてしまった。気に入っていたのでとても残念だが、もしかするとどこかに帰っていったのかもしれない。うちの猫もそのうちどこかに帰っていくのかと思うと、目の前にいるその存在がいよいよ不思議なものに感じられたりした。

猫との暮らしは長くなり、部屋を移り、環境が変わり、家族もふえていった。猫はそのたびに怪訝なそぶりをみせたが、しばらくすると馴染んでいった。やがて猫は老境にはいり、家のなかを見回りして悦に入るその姿は、ネコ科の大型獣のような風格を感じさせるようになった。僕が帰宅して玄関のドアを開けると、のそっと姿をあらわし、小さく鳴いて挨拶をする。そのときの瞳はたいてい満月のように真ん丸で、ときには光の加減で赤い光を放った。

猫の目が光るのは、網膜のうしろにある反射板のせいだ。これによってわずかな光を増幅させ、暗がりでの視覚感度をあげている。
加えて、その瞳孔は光の量によって、細長くなったり丸くなったりする。カメラが電気信号によって自動的に絞りを調節するように、猫の瞳孔には自律神経が深くかかわっている。体調や精神状態が崩れると、この自律神経も乱れて、瞳孔の動きも変化する。こういう不安定さも猫の妖しさのひとつの要因だろう。どこかしら不安な気配を漂わせた月の満ち欠けのようだ。

バルサミック・ムーンと猫

バルサミック・ムーン という言い方がある。
29.5日という月のサイクルの終わりを、静かに迎える細い月のことだ。そこには、闇に溶けこんでいく直前の、はかなくも鋭い月の姿がある。balsamic とは「バルサミコ酢のような」という意味をもつ言葉だが、長い年月をかけて熟成され、深い味わいとまろやかな酸味をもつこの酢には、抗菌や抗炎症作用があるという。そこから、心を落ち着かせるという意味が派生したらしい。
占星術では「鎮静の月」などと呼んで、この月が夜空に浮かぶ時期に生まれた人は、現実と日現実があいまいになり、他者の悲しみや傷ついた心に深い共感をよせるとされる。

Balsamic Moon

カミソリで削いだように縦に細くなった猫の目を見ると、僕はふとこの言葉を思いだす。ときには口のなかに、あの香り豊かで、すこし甘さのある酸味が広がっていく気さえする。

猫は15年と7か月を生きて、ある日突然、逝ってしまった。
生きるものはみな、それぞれの周期をもつ。猫は鎮静の月を迎え、新月の闇に溶けこんでいった。

僕は自分自身の未来を占ったことがない。自制でも期待でも恐れでもなく、それをすることに興味がもてないからだ。しかし、過去を占うことはしばしば試みた。占いはまったくの独学のため、最良の師となったのは自分自身の過去だった。
ふいに思い立って、子猫と出会った夏の日のことを占ってみた。正確な日付はわからないが、だいたいの時期は覚えている。
占いによれば、僕はそのころに、人生での大切な存在に出会っていたのだ。


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