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四月が残酷なのは、芽吹きの苦悩なのか

冷たく晴れて、風の強い日だった。
午後、運河になった狭い海に、ノコギリの歯のような白い波が立っている。
僕は自転車に乗って、運河沿いの公園を走っていた。青葉になりはじめた桜の並木がゆらゆら揺れて、木漏れ日がまぶしかったのを覚えている。なんだか気持ちがざわつくのを感じていた。いまから2か月ほどまえのことだ。

   四月は残酷きわまる月

そう書いたイギリスの詩人がいる。その詩の一節ががふと頭に浮かんだのは、どこか荒れた感じの四月の風景を見たせいだろう。
自転車でむかっているのは、都市の中心部にある高層のオフィスビル。そのなかの小じんんまりした一室を、僕たちは数人でシェアしている。全員がそろうことはまずない。たいていはふたり程度。しかも日が暮れたころには、僕ひとりになる。メンバーそれぞれの棲息時間が異なっているのだ。

部屋には壁一面に大きな窓があって、そこから見える景色がすっかり暗くなったころ、一本の電話がかかってきた。スマホを手にとり、僕はゆっくりした声で名前を告げる。本名ではなく芸名、いや源氏名といった方がいいかもしれない。
電話をつうじて短いやりとりのあと、さっそく用件をたずねた。
「きょうは、どういうご相談ですか?」
相手は、30代後半の女性。柔らかな声だが、どこか警戒しているような感じもある。とうぜんだ。たがいにはじめて話す相手なのだから。

僕は占い師だ。
ほかの仕事もしているので、正確には占い師でもある。

相談をしてくるクライアントのほとんどは女性で、かなり苦しい心理状態で電話をかけてくる人が多い。
その日のクライアントも例外ではなかった。
彼女には四年間ほどつきあいのあった年下の男性がいるが、すこしずつ関係が冷えてきたのを感じていた。彼女は相手の男性を責めるようになり、彼はそれが鬱陶しくなってきたらしい。結局、昨年の暮れに彼から別れを告げられたという。彼女は既婚者で、相手の男性は未婚。つまり不倫関係にあったわけだ。

それから四か月。

彼女が忘れようと思えば思うほど、逆に思いが募ってしまって、いまでは苦しさのあまり食事も喉をとおらないほどだ。彼女は悩んだあげく、その年下の男性にSNSで連絡をとった。
結果は、彼女が送ったメッセージには既読マークすらつかず、スルーされた。行動を起こしたものの、彼女はよけいに傷つき、もうどうしていいかわからない状態だった。相手はなにを考えているのか。また元の関係にもどれるのか。

これを聞いて、道徳的にも法律的にも許せない、という人がいるだろう。なかには、彼女の苦しさはとうぜんの報いだ、と考える人もいるかもしれない。
僕はふたりの関係を称賛もしないし、非難もしない。僕はクライアントの行動について、その是非を問うことはいっさいない。さまざまな感情を、ただ眺めているだけだ。彼女は好きになってしまった。その気持ちに縛られてしまった。そうして、その感情をこじらせてしまったということだ。

僕が考えているのは、こじらせた感情をどう解きほぐすかということ。占いはそのためのツール、いわば薬というわけだ。

患部を正確にとらえて、化学的に治療効果を発揮する薬がある。いわゆる特効薬だ。いっぽうで、プラシーボ効果というものもある。治療のための有効成分が含まれていないにもかかわらず、
「この薬が効く」
という治療者の暗示と患者の思いこみが、病気の治療においてプラスに作用するというものだ。
占いも似たところがあって、特効薬もあれば偽薬もある。もうすこし説明しよう。占いの結果があたっているか、あたっていないか、それは特効薬か偽薬の違いであって、そこが最重要ポイントではない、とい僕は考えている。
目的は、こじらせた感情をどう解きほぐすかにある。
それには、特効薬と偽薬をうまく配合しながら、目的にむかっていくことが、占い師にとってもっとも大切な技量だろう。

僕はクライアントの話をひと通り聞いたあと、状況を占ってみた。残念ながら、かなり厳しい鑑定結果がでている。病状は、治療しがたいほどにほどに悪化しているという診断だ。問題は、これをどう伝えるか。
僕はまず、こういってみた。
「これ以上は、悪くなりませんよ。いまが底」
こういったのは、もうすこし話を聞きたかったからだ。
クライアントは、いきなりすべてを見知らぬ占い師に話すわけではない。僕は彼女が話しやすいように言葉をかけながら、さらに占いを進めていこうと考えたわけだ。

彼女は相手の幻影に囚われている。現実では満たされなていないその気持ちを、心の底では話したいと思っている。この占い師は信用できるのか、腕はいいのか。それにこたえるのは、占いの結果があたるかどうかよりも、占い師の言葉がクライアントに響くかどうかだ。
僕はクライアントの心情に気をつかう。しかし、媚びることはしない。都合のいい嘘はつかない。結局はだれのためにもならないからだ。ただし、すべてを話すわけではない。むしろすべてを話せるように、うながしているのだ。それが無理なのはわかっていても、話すことより聞くことが重要なのだ。その意味では、占い師は鏡である
心の底でわかっているけれど、認めたくなかったり、気づかないふりをしていることがある。それにふれられるように、ちょっと手助けをしているだけだ。

僕は未来を占うためのカードを一枚切った。
隠れていた感情がふっと顔をだすかのように、デスクのうえにそのカードがあらわれる。それは意外にも明るかった。これはひとつの遊戯だ。とても真剣な戯れだ。
「いまは氷のように感じられる彼の気持ちも、溶けてきますよ」
しばらく沈黙があった。
「いつごろでしょう?」
「すくなくとも半年以上先です。その間は、連絡をとらないほうがいいですよ」
また、彼女が口を閉ざす。僕は沈黙を埋めようとはしない。彼女のしたいようにさせておく。長く感じられたが、おそらく数秒程度だろう。そのあと、ふいに彼女がいった。それは僕にも意外な言葉だった。
「わたし、残酷ですね」
一瞬、虚を突かれた。
残酷。それがなにをさしているのか。彼にたいして残酷なのか、彼女の家族にたいしてなのか。もしかすると、彼女自身にたいしてなのかもしれない。僕はこたえる。
「残酷でも、いいじゃないですか」
「えっ………」
「無理しなくてもいいですよ。人に頼るのは残酷なものですから」
すると、電話のむこうで彼女がすこし笑ったような気配があった。失笑を買ったのか、そう思ったとき、彼女が話しはじめた。ふりむいてほしかったのだと。それは夫に対しての言葉だった。不倫がしたいわけではなかったが、気がつくとそこに陥ってしまった。それを知られたわけではないが、結局はみんなをふりまわしていた。自分自身さえも。そう話しながら、すこしすすり泣く気配があった。

その日の夜遅く、自転車で自宅にもどってから、僕は本棚のまえに立った。T・S・エリオットが1922年に発表した『荒地』という詩を探すためだ。それはすぐに見つかった。

  四月は残酷きわまる月
  リラの花を死んだ土から生みだし
  追憶に欲情をかきまぜ
  春の雨で鈍重な草根を奮い起こす

これは詩の冒頭だ。ここからセックスの荒廃と創造を語り、死と希望が重層的に描かれていく。エリオットがこの詩を構想したのは、第一次大戦がきっかけだったという。タイトルの荒地は死の土地をさしている。動員された兵士7000万人、犠牲者1600万人。疫病のように戦火は広がり、美しい町々を廃墟にし、人々の心を絶望におとしいれた。

2024年、春。ウクライナにパレスチナ、ミャンマー、イエメンン、スーダン……世界のあちこちで戦争や内乱がつづいている。朝鮮半島や台湾だってわからない。人の心だってざわざわする。平和な国の平穏な日々のなかにも、それぞれの修羅場はある。悲嘆にくれる日々もあれば、朝に目覚めたとき絶望を覚えることもあるだろう。

その絶望はひとつの意味だと、僕は考える。
人生から投げかけられた意味に、僕たちはつい質問をしたがる。それはどういう意味ですかと。しかし、こたえはかえってこない。僕たちの行動こそが、おそらく投げかけられ意味へのこたえなのだ。
四月の残酷さ、それは荒地に芽をだすことの過酷さかもしれない。そう思うのは、日々悩みの聞きつづけている占い師ゆえだろうか。

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