「ハック」

昔好きだったバンドの話をします。

そのような話をするのはひどく難しい。
だって、全ての物事には理由があるから。
昔それを好きだったことにも、今はそれほどでもないってことにも。

「ザ・カスタネッツ」というバンドがいます。彼らの音楽がとても好き。
彼らが描く、時間という存在。それがとても美しいのです。きっと、彼らの眼に映る“時間”と同じようなものを私もこの目で捉えていたからなのかもしれない。
春になれば「ムーンパレス」を聴きながら、実家の窓から遠く見える海の姿を思い起こしてみたり。
冬になれば「時間」を聴きながら、横須賀に珍しく雪が降った朝の透き通った空を思い起こしてみたり。


『その昔冬はもっと寒くって静かだった』
そんな歌詞から始まる曲。確かに、あの頃、冬は寒いし静かだった。ポケットに手を突っ込みながら、どこまでも続く青空の向こうを透かし見るような景色。
冬が変わったのは、別に地球温暖化の影響ってわけではなくて。自分の周りの風景が変わったってだけだった。例えばあの頃よりも、今は近くにいてくれる人が増えたこと。
今の冬は少しだけ暖かい。それは、冬が寒いんだってことを知ったから。
その景色の美しさ寂しさ。そういうものをたった一行で描いてみせたのが彼らの凄さだ。

私が彼らの曲でいちばん好きなのは「ハック」。
四季折々の情景を歌に乗せる彼らが描いた夏の曲。

「ハック」とはハックルベリー・フィンのこと。
マーク・トウェインの児童文学小説に出てくる彼は、俗世間のしがらみから遠く離れた、純粋さや自由さの象徴なのです。

『みすぼらしくてお粗末な自由にくるまった僕らは
ふさわしい王国の中でいつもにやついてたんだ』

きっと、小さいこどもの頃は誰もがハックと仲良しだった。同じ目線で物事を見て、同じように楽しんで笑っていた。それが稚拙だって誰かに笑われても、それを曲げずに心の底から笑えていたはずなんだ。
カスタネッツの音楽が見据えているのは、およそいつでも美しい過去の風景。
自分が自分でいられた時間、あの人が隣にいた美しい時間、誰かが自分を見ていてくれた時間。
今はもうここには無い、だからこそ美しいって。確かにそう思うんだよね。

一度だけカスタネッツのライブに行ったことがあります。
あれは確か2010年くらいのことだったか。
下北沢の狭いライブハウスで行われたワンマンに、サークルで一緒に幹事をやってた女子が連れてってくれた。大学の4年間、カスタネッツが好きだって話をずーっとしてたから。
彼女がカスタネッツのことを好きだったのかは覚えていない。けれど、2時間のライブを見終わった後、感想をどのように表現してよいのかわからずにうんうんと唸っていた記憶がある。
その時に二人で話したことを上手くまとめるのは難しいけれど、ステージ上の4人に聞きたいことはお互いに一致していた。

「あなたは音楽に命を賭けることができますか?」

これは何に対してもそうなのだけど。
私がハックを美しいと思う理由はただ一つ、純粋だから。
自分の信じることだけを全力で見つめる。そしてそれ以外は視界にさえ入らない。その視線の真摯さが美しいんだ。

翻って、あなたたちは私たちはどうなのだ。
はじめは純粋に見えていたものが、何か他の色々に邪魔されて見えなくなってはいないか。

あの時に下北沢で見たライブで覚えていること。
知らない曲が何一つ無かったのだ。1990年代の彼らしか知らなかった自分の知らない曲が。

私は彼らのバックグラウンドを知りません。その10年の間に何があったのか。きっと苦しいこともあったし、やりたいことやれないこと、葛藤だってあっただろうことは容易に想像がつく。
だけど別に、私はあなた方の歴史を愛しているわけじゃない。
差し出してくれる魂の結晶が美しいと、どうしようもなく惹かれた。
それだけのこと。


確かに過去は美しい。だって、今はそれをもう持っていないから。
だけど、失ったものを数えていたって何も始まらないんだよ。触れられるものは未来にしか存在しないから。
過去に手を伸ばしたって、そこにあるのは触れるたびにすっと消えてしまう林檎に過ぎない。
そんなものをいくつ数えたって前には進めない。
人が変わっていく生き物であるならば、過去にとらわれるのは死んでるも同然なんだ。



なんて言うのは簡単だけれど。
自分のことを考えると、変わることが本当に良いのかさえ見えなくなってくるんだ。

この1週間くらい、ずっと文章を書いては消していた。というか、そもそも何が書きたかったのか。
今年の夏って何やったんだっけ。夏フェスに何回も行った以外、そういえばこれまで当たり前にやってたことを一個もやっていなかった。

村上春樹の「風の歌を聴け」を読むこと。
横須賀や横浜で海を眺めること。
一日じゅう、図書館の日当たりの良い席で過ごすこと。
カスタネッツの曲を聴くこと。

初めて、ずーっと仕事のことを考えていた。
そのおかげで信じられないくらいに上手くいって、本社で表彰をされるくらいの成果が出たのだけれど。
そんなん面倒なだけで何にもならない。
美しいものを美しいと感じながら生きていたいだけなのに。

『君の猫の鳴き真似の合図も
ここまでは届かない
僕の景色は徐々に錆びていく
残酷なくらい早く』

カスタネッツの牧野さんは「ハック」でそう言っていた。
それは自分の目線の問題。だから今までは、誤魔化しながら生きてこられた気がするのだけど。

『みすぼらしくてお粗末な
君のこと笑う人たちと
同じ世界を生きているよ
何もないままに』

このままここで生きていれば、ある程度のことが成せることは約束されている。
多くの人を助けることが出来ることも分かる。
でも間違いなく自分は死ぬんだよね。

例えば20000人規模の会社で役員になって、自分含め多くの人を経済的に豊かにすること。
ただし、代償は自分の時間と価値観。
これは広義のボランティアになるのだろうか。
人はこれを是とするのか。



『みすぼらしくてお粗末な自由に
また着替えられたら
君のところに帰るからね』

あの日、彼ら4人は、まだ自分がハックの元に帰れると信じて疑っていなかった。
彼らは過去の美しい時間を取り戻そうとしている。ずっと。

もしかしたら、彼らのことが羨ましかったのかもしれない。
私も、一緒に行った彼女も。
彼らは大人になろうとなんてしてなかった。生きている世界とあまりに違いすぎて、眩しくてよく見えなかったんだ。

彼らみたいに生きられたら、どんなに世界は美しいか。

今、彼らのことを手放しに好きだと言えない自分は。どうやって生きていくんだろうね。
今もそこに帰れるのかな。

親愛なるハック。

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