認めます。僕は高校デビューです。
前回の投稿からだいぶ空いてしまった。笑
最近はTwitterの方をメインで動かしてるから、ついつい後回しになってるけど、ちょっと書こうと思います!
今回は、まじで思ってることをつらつらと何のまとまりもなく書いていこうと思います。笑
1.意識高い系を公言してみて...
Twitterとnoteで"意識高い系"を公言しだしてから、もう2週間が経とうとしてます。
公言した後の影響は、主に4つありました。
①Twitterのフォロワー数が600人台から724名に増加
②身近な人から人生相談を受けるようになった
③「かっこいい」「見習いたい」というポジティブな評価をもらって、自分に自信が持てるようになった
正直、自分で思っていた以上にいろんな変化があってかなり驚いてます!
何より、自分に対して肯定的な意見を寄せてくれる人が多かったことに、本当に驚きと感謝の気持ちしかなかったです。
始めた当初は、
「嫌われる人には嫌われよう。自分らしく過ごしたい。」
「広く浅くではなく、狭くてもいいから深く人付き合いをしよう。」
そんなつもりでした。笑
これまで、八方美人をしがちだったのをもうやめようと思って始めた試みが、範囲は狭いかもしれないけど、変化を生み出したような気がしてなんかすごい嬉しかったです。笑
「note読んだよ!そんな気持ちで頑張ってたの知らんかった!」
「芯が強い!ぶれない軸を持ってるのすごい!」
「成長したな!」
そんなことを言ってもらうことや、
「相談に乗ってほしい」
「考えを聞いてみたい」
そうやって頼ってくれる人も増えてきました。
まだ社会にも出てないこんな奴を頼りにしてくれたり、評価してくれたり、ありがたい限りです!
そうやって温かく受け入れてくれた人のためにも、これからもどんどん成長していきたいなと思います!!本当に感謝です!
一方で、
「見ていてうざい」「自分の価値観押し付けるな」
「昔は○○やったくせに」
みたいなコメントも一部であったこともまた事実です。
でも、僕はこれでよかったと思っています。
昔の自分やったらきっと、批判されるのが怖くて、誰からもよく思われていたくて、裏アカつくったり、こそっと友達にだけ本音をこぼしたりしていたと思います。
まして、批判なんかされたら怖くてたまらなくて、すぐにツイート消してたと思います。笑
ミスキャンに出たときも、「質問箱」という匿名のコメントツールで誹謗中傷をされたことはありました。
学生時代も、批判を受けることはたまにあったし慣れてます。
(嘘です。若干傷つきます。笑)
でも、自分自身が未熟だったがゆえに起きたこともあるし、きっと相手にとっても何かの事情があったり、気に食わないことがあったんだと思います。
僕は、正直言って僕は高校デビューと言われても仕方のないような過ごし方をしていたので、ある意味仕方ないと思っています。笑
2.これまでの自分
なんで批判されるん?学生時代に受けた批判って?
そんな疑問を持ってくれた人のために、簡単に小学校~高校前半までの話をしようと思います。
(語りモード、入ります。笑)
■小学校
勉強をまじめにやって評価してもらえることが素直に楽しかったし、親友と点数を競うのがゲームみたいでわくわくしました。
また、母が進研ゼミを受講させてくれて、それも意欲的にやっていました。
うちの母は、女手一つで仕事と家事を両立して、進研ゼミの丸つけまで夜中までかかってこなしてくれました。毎回、コメントを書いてくれるのも楽しみでした。
母の温かみのある字で「頑張ったね」と言ってもらうのが子ども心に嬉しかったし、「お母さんも頑張ってるし、自分も勉強頑張ろう」「将来はいっぱい稼いで恩返ししよう」みたいなことも一丁前に考えていました。笑
学級代表や委員会活動も積極的にやりました。
運動会の応援団もやりました。笑
小4の時にはピアノを習い始め、学習発表会などの学年合唱でピアノ伴奏もしました。
とにかく、人に認められることが楽しくて、そんな姿を母や友人、親戚に褒められることが嬉しかった。
だから、はたから見たらクソ真面目なやつだったと思います。笑
でも、わりと誰とでも分け隔てなく仲よく過ごしていたし、ぶつかることはあっても話し合って、解決しながら過ごしていました。
校区外のゲームセンターに行って、巡回の先生から逃げたこともあったし、たまに息抜きはしつつ、活発に過ごしていたなと思います。笑
■中学校
運動音痴を克服したくて男子バレー部に入りました。
先輩がとにかくいい人たちで、同期も本当に楽しいメンバーでした。
これまで文化系できた自分が、朝から練習に行く、試合で他の中学校にいく、そんな過ごし方をするようになったことにも、わくわくしていました。
たぶん、「スポーツできる人はかっこいい」ってどこかでずっと思ってて、スポーツをしている自分に酔っていたような気もします。
(気持ち悪い。笑)
とにかく、できないことができるようになっていく過程が楽しかったのを覚えています!
でも、次第に同期がめちゃくちゃ活躍するようになり、気づくと自分はベンチメンバーになっていました。
「ああ、やっぱりスポーツは向いてないんや」って正直かなりへこみました。笑
何か周囲に差をつけたい!という一心で、顧問の提案で、部内で始まった部活ノートだけは、誰よりも本気で書きました。
プレーの何がいけなかったのか?どんなアドバイスをもらえたか?
次の練習でどういう心がけをするか?
そんなことを必死で書いて、顧問に提出していました。
今思うと、教員としての業務の傍らで、部員のノートを読んで、コメントを書いてくれていた顧問にも感謝しないといけないなと思います。
その甲斐もあり、サブチームのリーダーという役割を与えてもらうことができました。
実際は、ほとんどお飾りのような役職だったのですが、「この役割はお前に任せたい!」って言ってもらえたことが、この上なく嬉しかったんです。笑
この頃から、褒められたら喜ぶ単純さは変わりません。笑
でも、その当初の自分は本当に甘かった。
顧問の体育会系の指導に耐え切れなくなってしまったんです。
役職はもらえたものの、レギュラーになれたわけではなく、たまにレギュラーメンバーの交代要員で試合に出ても、緊張に押しつぶされて失点の連発。
中2の途中から、だんだん自信を喪失し、プライベートにまで影響を及ぼすようになっていました。
そのくせ、どこかで昔の「目立ちたい」「優秀でありたい」自分が出てきて学級委員をやったり、ピアノ伴奏をしたりしていました。
そうかと思えば、おしゃれに目覚め、ヘアセットをして登校するようになりました。もちろん、中学はワックスとか整髪料をつけるのは禁止です。
おとなしいかと思えば、たまに目立つし、真面目にしてるかと思えば、髪型キメてくるし...
本当に意味の分からないクソガキです。笑
たぶん、こうやっていちびってたのが、周りから見たら気に食わない人も多かった理由じゃないかなと思います。笑
僕なりに、「バレーはできないけど、カッコよく過ごしたい」みたいなくだらない意地があって、やり通してたのも、逆効果だったんだろうなと思います。笑
勉強もいい加減にやるようになり、友達と遊ぶことばかりを考えていました。母が頑張ってるのに、自分のことで頭いっぱいで、家の手伝いもほとんどしていませんでした。
結局、自分が一向にバレーがうまくならない悔しさも重なって、次第に部活の練習に行くのが嫌になりました。
「こんだけ頑張ったんやから、仕方ない」
「きっと、指導が悪かったんや」
そんなくだらない理由をつけて、自分を正当化しました。
そんな時、自信喪失している自分に美術科の先生が
「名畑君、絵うまいし、うちの美術部きたらいいのに!」
そんな言葉をかけてくれました。
その先生は本当に心優しい方で、僕の部活での悩みまで親身に話を聞いてくれました。
そんな日が続き、僕は中学2年生の冬に男子バレー部をやめました。
これが人生で最初の逃げでした。
その代わりに、せめて何かを成し遂げたい一心で、美術部に入ってすぐのポスターの出展で1つだけ、本気で絵をかきました。
それが、大阪市立美術館に展示されたときはこのうえなく嬉しかったです。
また、中学校3年生の時からは受験勉強のために、馬淵教室に通わせてもらいました。
僕にとってはここが転機でした。
近くの3つくらいの中学から同い年の生徒が集まって、教室で授業を受ける。
いわば、感覚としては、新しい学校に来たようなものでした。
僕はここで、小学校の時のようにかなり明るくふるまって、教室の他の生徒と仲良くなりました。
塾ではあったものの、教室の中心メンバーとして過ごすのが、めちゃくちゃ楽しかった!笑
でも、馬淵教室は難関高校に合格するような生徒がたくさんいる環境だったこともあり、僕は学力が教室内で常にワースト3でした。笑
ここで初めて、「おバカキャラ」として扱われました。笑
(「初めて」てなんか腹立つ言い方やなこれ。笑)
でも、それも嬉しかったんですよね。笑
これまではずーっと優等生として過ごしてきた自分が、勉強ができないことで笑われた。
小学校の頃は周囲から褒められるのが楽しくて勉強を頑張った。
けど、次第に周りからは「すごいね」ではなく、「さすがだね」と言われるようになっていました。
勉強に嫌気がさした極めつけは、クラスでの一幕でした。
成績の悪かった子が90点をとるとヒーローであったのに対し、僕は100点やクラストップでないと評価されなくなっていました。
しかも、言われるのはいつもの「さすがだね」。僕は、これがめちゃくちゃ悲しかった。
そんな風に、何となく周囲から「あいつは賢い。高得点で当たり前」と思われていることがプレッシャーでした。
だから、馬淵教室で「こんな問題もわからんのか!」と教室で笑われたとき、肩の荷が下りたような気持ちでした。
それに、「またここから頑張ればいいや!」という気持ちも生まれたし、何より、教室で笑顔で過ごすのが本当に楽しかった!
この頃から、
「新しい環境に行けば、やり直せるんだ」
「高校では、学校でこんな立ち位置に行こう。無理してでも」
そう思うようになりました。
中学の卒業式は、時計を見ながら「早く終わらないかな」と思って過ごしていました。(なんて冷めた学生や。笑)
自分の中では、
「もうこんなうじうじした学生生活はこりごりや。」
「小学校のときみたいに、中心で明るく過ごしたい」
「早くここを出て、リセットしたい」
そんなことばっかりを考えていました。
合格した高校は、オープンキャンパス感覚で文化祭に行ったとき、めちゃくちゃきらきらしてたんです。
OBには、ココリコの田中さんや桐谷健太さんがいる。
行った日が文化祭だったこともあり、生徒はヘアセットやメイクをしていて、めちゃくちゃ輝いて見えました。
だから、はやくそこに行きたかったんです。笑
■高校生
髪を染めました。
高校入学前に、TwitterやLINEを通じてできた「新入生グループLINE」では、わざとらしく発言をしました。
とにかく、目立ってやろう。学年の中心にいこう。
それと同時に、
自分が学年の中心核になることができたら、中学の時の自分のようなクラスメイトにも明るく接して、盛り上げよう!
そんな偉そうなことも考えてました。笑
入学してすぐ、軽音楽部に入り、ボーカルになりました。
オーディションを受けて、選抜バンドに入りました。
憧れだった文化祭では、軽音部としてLIVEに出演しました。
当時、三代目J SOUL BROTHERSにドはまりしてて、髪型は常に登坂広臣さんを追いかけ続けていました。
部活の先輩からは臣くんって呼ばれてました。(やかましいわ)
冬には、当時バズっていた、逆バレンタインをやりました。
ほぼ、僕と野球部の友人の強行でした。笑
何が「企画した俺は天才や」やねん。爆笑
ただのパクリじゃ。どっちかゆーたら転載じゃ。笑
結果、高校の友達には、だいたいこんなことを言われてました。
「ヤンキーやと思った」「チャラすぎて怖かった」
「絶対こいつは絡まんとこうと思った」
「でも話してみたらええやつやった。」
うん、少々やりすぎた感は否めない。笑
でも、自然体にしているだけで「思ったよりいいやつやった」ってギャップで好感を持ってくれる人が多かったのは、めちゃくちゃ嬉しかった。
こうして、僕の高校デビューは大成功しました。笑
ここまで意志持って、意図的に高校デビューするやつもなかなかおらん気はするけど、自分的にはやってよかったと思ってます!
しょーみ、周りにどう思われようと関係ない。
自分が変わりたいと思った瞬間が、変わるときやと思う。
批判する人もいるやろうけど、あくまで他人。
無理して嫌いな人と付き合う必要もない。
他人からどう見られるかばっかり気にして、他人の価値観の中の自分を演じる人生なんか面白くない。
批判する人とも、自分が変わった先でまた仲良くなれたらそれも縁やと思う。
変わることは絶対にあかんことじゃない!
本当に、学びの多い高校デビューでした。
(どんなオチやねん。)
3.最後に
ここまで読んでくれた人の中には、「え、高校デビューなんw」って思った人もいると思います。
でも、これが俺です。
逆に、こんなやつでもミスキャンには出れるし、長期インターンで1位も取れるし、こんな暑苦しい語りを平然とやるようになれます。
(たぶんならんでいい。笑)
むしろ、逃げた過去があったから、大学生活では逃げずにやり抜けるようになったと思います。
だから、これまでの自分は恥ずかしくもなんともないし、過去のことを今批判されたところで「自分は変わったし、仕方ない」としか思わん。
批判的に僕を見ている人にも、いつか、自分の思いが伝わって、仲良くなれればいいなとも思う!
ということで、これからもこんなやつと仲良くしてやってください。
こう見えてナイーブです。優しくしてくれたら喜びます。笑
ここまで読んでいただいてありがとうございました!!