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株式会社Beを創業するまでの転機・キャリアと築いてきた「人のために頑張る」ことの大切さ

稲垣です。
今回は、幼少期から現在にかけて、人生の転機だったなと思う出来事や、その時に感じていたこと、判断基準などを書きます。

おかげさまで株式会社Beを創業し、皆様のおかげで少しずつ事業を拡大できています。
そんな僕のキャリアをとてもざっくりとまとめるとこんな感じです。


出身地である網走で、のほほんと遊んで過ごしていたが、ある出来事をきっかけに猛勉強して北海道大学に入り、
大学での研究や自動車会社での勤務など理系バリバリなキャリアを作ったが、
なぜかイベント会社を立ち上げ、
内外美容と国産オーガニックにこだわったメーカーを立ち上げた


自分のキャリアについて、僕自身としては「なるべくして至った」と思っていたのです。
ただ、取引先様や取材先で昔の自分のことを話す中で、「意外ですね」「驚きました」と言っていただくことが多いことに気づきました。

キャリアプランや人生の正解がわからない、将来設計をどうしたらいいのかわからない、という相談を受けることもあったので、何かの参考になればと思ってまとめることにしました。

あくまでも僕の話ではありますが、ぜひ読んでいただけたらと思います。


◆幼少期
僕は、北海道の網走という田舎町で生まれ育ちました。

三人兄弟の末っ子なのですが、実は僕が生まれる前に姉がいて、病気で1歳の時に亡くなってしまいました。
僕の姉は1歳当時の写真のまま。なので物心ついた頃から「天国にいる姉のためにも、姉の分まで全力で生きて幸せになろう」と良く自分に言い聞かせていました。

今でもそうなのですが、僕は自分自身のためよりも、「人のため・期待に応えるため」と思った方がが強い力を発揮できると思っています。


◆第一の転機 成功体験失敗をきっかけに背水の陣を敷き、北海道大学への奇跡的な合格!!
第一の転機は高校三年生のとき。

親と兄二人は地方公務員という公務員一家で生まれ育ったので、高校を卒業したら自分も公務員になるのだと思っていました。

ところが、運命のいたずらが!!なんと、公務員試験当日に寝坊してしまったのです。


公務員になるとばかり思っていたのに、その道がなくなった。
どうしよう。。。
よし!大学進学しよう!

ということで、急遽そこから大学受験に切り替え猛勉強を始めました。
志望校は、北海道大学でした。

周りからは無理と言われましたが、なんと奇跡的に現役で合格したのです。この時の成功体験が今でも強く心の支えになっています。

この時にうまくいった原因を振り返ってみます。

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①志望大学への強い憧れ
志望した北海道大学は、本当になんとなく決めただけなのですが、志望大学についてより詳しく調べていく中でどんどん入りたい想いが強くなりました。

僕は北海道大学のこんなところに魅力を感じていました。
・地元北海道で唯一の伝統ある旧帝国大学
・国立大学最多の12学部を持つ総合大学
・札幌の中心地にある広大で自然豊かな敷地

憧れから、そこに辿り着きたいという想いが明確になったので頑張ることができました。

②応援してくれる先生の存在
高校時代はろくに勉強もせず遊び呆けていたので、当然周りからは「絶対無理」と言われました。

しかし担任の先生だけは「すべての時間を受験勉強に集中すれば出来る」と背中を押してくれました。

③周りからの反対
最後まで頑張り切れた原因としてはこれが一番大きいです。

実力に対して立てる目標が高ければ高いほど、周りからは心配という行動で反対されます。

ただ、反対されればされるほど、「今に見てろよ、絶対受かってやる!」というハングリー精神が芽生えるものです。だから目標達成が近づいたのだと思います。

◆第二の転機 チェコ出張?!海外での窮地で劇的な成長!
そして第二の転機は会社員時代。
会社に入ってからは仕事中心の生活となり、何度か海外出張の経験もさせてもらえました。

当時英語はほぼ出来なかったのですが、「通訳が付くから大丈夫」と言われチェコに出張したら、なんと「チェコ語を英語に通訳する方」だったのです。

チェコ語でなくてもOK!ということよりも、自分で英語を話さなければならないという壁が立ちはだったです。

ただでさえ英語が出来ないところに通訳が入ったものだから、最初は意思疎通なんて不可能でした。

…どうしよう。。。


お互い、何としてでも伝えようととった手段は手書きの絵と数字。
これが案外うまくいって、結果仕事もうまくいったのでした。


このことから人は窮地に追い込まれるとなんとかする生き物ということを、身を持って体験できた出来事でした。


◆第三の転機 会社員だった僕が、イベント会社を設立!
そして第三の転機は30才のとき。

20代の会社員時代は静岡の浜松で過ごしていたのですが、30才になって突然横浜への転勤が決まりました。
浜松では仕事しかしていませんでしたが、いろいろ揃っていたし、大好きな仕事に打ち込めていたので満足はしていました。ずっとそこで骨を埋めるつもりでいましたが、突然の転勤。
浜松を離れるのは寂しかったですが、一方で都会への進出、新たな出発だと思いワクワクしていました。

浜松時代は会社以外の人と交流をすることは皆無でした。

せっかく横浜に来たので、いろんな人と出逢おうと、横浜だけでなく東京にも行って、様々な方々と出会うようにしました。
さすがは都会で、たくさんの人がいる。そして本当にいろんな生き方をしている人がいるなと関心し、たくさん影響を受けました。


そこで「人との出会いは人生に影響を与える」と感じ、たくさんの人に出会いの場を提供したいと感じた結果、、、なんとイベント会社を立ち上げることを決意してしまったのです。


当然ですが、今まで会社一筋だったので自分で会社を作ろうなんで思ってもみませんでした。実際、イベント会社を立ち上げるときも、真剣に会社を作ろうと思って動いたのではありませんでした。
それでも会社を立ち上げたのは下記のことがあったからだと思います。


①すばらしい出会いを提供してもらったので、今度は提供する側になりたいと思ったときに、何をするべきか考えたこと
②上記のことを考えてアウトプットしたときに、先人がいて教えてもらえたこと
③応援してくる人がいたこと


そして何よりも、
「関わったすべての人の期待に応えたい、役に立ちたい」
と思って行動した結果、会社を立ち上げることになりました。
会社を立ち上げてから、何度もピンチはありましたが、「期待に応える自分でありたい」という思いが強く、乗り越えることができました。

やはり私は「人の期待に応えたい」と思う時に強い力が発揮できるようです。


イベント会社から今の株式会社Be設立に至るまでについては、以前自己紹介で記載したとおりです。

自己紹介はこちら
https://note.com/be_inagaki/n/n037380b96906


今は自分の家族はもちろん、会社のスタッフがいて、弊社の商品を使ってくれるお客様や扱ってくれるお取引様がたくさんいます。
その方々や、子供・孫の時代までを考えると地球環境を維持するだけでなく、よりクリーンにしていく活動は必須だと考えています。
皆様の期待に応えるべく、これからもステークホルダーの方々と力を合わせ、日々精進していきます。


■公式プロフィール
稲垣大輔(いながき・だいすけ)
株式会社Be 代表取締役
北海道出身
2002年、北海道大学工学部を卒業し、国内大手自動車会社に就職。
ブレーキ部品の設計および最先端エンジンの研究に携わる。
2012年にイベント会社を創業。
2017年に株式会社Beを創業し、現在に至る。

■関連メディア
◆アクティブオーガニックブランド「Be」公式HP
https://be-beauty.jp/

◆「Be」オンラインストア
https://be-store.jp/

◆「Be」公式インスタグラム
https://www.instagram.com/be_activeorganic/?hl=ja

◆「Be」公式Youtube
https://www.youtube.com/channel/UCtEhEgJPGJQ9IX4y5vbmESw

◆「Be」公式Note
https://note.com/beofficial

◆「Be Organic(ビーオーガニック)丸の内本店」
https://be-beauty.jp/be_organic/

◆株式会社Be社長 稲垣大輔のブログ
https://ameblo.jp/not-biz-but-love

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