職務と信念のあいだで
私はイラストやデザインの監修を本職にしている。
プロデューサーさんの意図を読み取ったり、クライアントさんに提示してもらった仕様を考慮して、作家さんが取り組んでくれた制作物の方向指示や修正をすると同時に長期的に育てていく仕事。これを3年程やっている。
採用面接やら案件に起用する作家さん選びやらなんやらで、他人のポートフォリオ(その人の実績や制作した作品集)を見る機会がたくさんある。
それらにどうしても合否をださないといけない。
今後に伸び代があるかどうか、案件の要求に合わせた柔軟な対応力があるかをその作品たちと文字資料から厳しい目で見る。
その時に心がけていることがある。
それは、いかなる結果を出そうと、作品たちにきちんと誠意を向けること。
仕事なので所感として不足点や改善点を挙げたりする。
でも、制作は何らかの考えを持って行われているもの。完全に批判してはならない。
オリジナルだろうと二次創作だろうと、作品はその人をうつす鏡。生き方は作風にあらわれる。
自己表現の一種だから。
これは社会人思考じゃなく創造者の思考で生きているからこその感情だと思っている。
なぜなら私の副業はイラストレーター。監修を受ける側の立場であり、ポートフォリオを出す側の人間。
そういう働き方の人もたくさんいる。今まで出会った上司もみんなそう。
それでも、利益になるかどうかで割り切れたらもっと心が楽なんだろう。残念ながら私は社員であってボランティアではない。私が賃金を受け取っている以上、それを上回る利益を産まなくてはいけない。会社員全般に期待されている当然のこと。
誰だって有益な人材が欲しいと思ってる。
でも、私に言わせればポートフォリオは人生の縮図。
選ぶ言葉やレイアウト、間の取り方からその人が大事にしてきたものがある程度感じ取れるもの。
それは絶対に単純な技術力だけではおしはかれない価値だ。
何を思ってこの作品は生まれたのだろう。その発想が知りたい。どういう生活の中で養われた感性なのだろう。
作品をみている時、私は確かに社員じゃなく1クリエイターとしてその人の世界観を堪能している。
そこから社員として切り替えて振る舞うのはもう慣れた。ずっと続けてきたから慣れてしまった。
仕事が合いそうか。納期通りに仕上げられそうか。
何より、会社にとって利益になるか。色々な観点から考慮した結果「難しい」に一定以上天秤が傾いたらさようならをする。
まるで私の中の心の柔らかい何かを切り離すような、見て見ないふりを学んでいる、人の生き方が数字で表されているように思う。正直切ない気持ちになる。
でも、私はその恩恵で今生きてる。損得勘定を否定するのは都合が良すぎるだろう。
そうやって人は社会のあり方に順応して仕事に専念していくようになるのかもしれない。残念だけど理想だけじゃ食べていけない。
切り替えがしんどいことは確かにある。
全て捨てて割り切ってしまえば、とも考える。
それでもこの創造者目線はどこかで持ち続けないといけないような気がするんだ。
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