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4. No means no ダメはダメ

本日ニュースをみていたら、性被害や性的合意を推進しようとしているNPO法人について取材を行なっていました。

mimosasは、声があげられない、苦しい思いをしている性被害者がきちんと正しくその声を聞いてもらえるように活動している団体です。

日本でもこんな団体がやっとできたんだなぁとすこし嬉しくなりましたので、紹介させていただきます。

専門家を交えて、性被害への正しい情報を伝え、« 性別やセクシュアリティに関係なく、性被害に遭ったサバイバーが自分を責めず、「安心して話せる場所」や「対処の方法」を事前に知ることのできる社会 »を創りたいという思いで、日本で10人に1人いる性被害が少しでも減るように、活動をされています。

最近では、伊藤詩織さんが、自身のレイプ事件を公にして、勝訴を勝ち取ったにも関わらず、さまざまな人が彼女を非難するようなコメントを残していますが、その非難する行動が、日本の教育のあり方がその中で垣間見える気がします。

日本では、性被害に合うのは、被害者のせいでもあるという考えが少しは、あるのではないでしょうか。また、まだ女性が夜遅くに飲みに出歩くことに批判的なコンサバな考えを持っている人も中にはいるかもしれません。

日本にいて感じるのは、ずっと安全な国だったからこそ、自己防衛や暴力そのものについても鈍感な国でもあるということです。カバンを椅子の上に置いて、席を取れるのは日本だけではないかと思います。

でもだからこそ、きちんと暴力を受けるとは、暴力をふるうとは何なのか、身を守るとは何なのかを教えなくてはいけないのではないかと思うのです。それを知るからこそ、暴力をふるう方も、暴力をふるわれた方も、暴力をふるった・ふるわれた、ときちんと認識できるのではないでしょうか。

何を暴力と指すのかを知らないからこそ、被害者にも落ち度があったのでは?という考えに結びつく。いじめも同じよう風潮があるような気がしますし、モラハラ・パワハラについてもそうです。本人が悪いと思っていない、周りもそこまで悪いことだと思っていないから、多少の罪悪感があっても簡単にできるのです。レイプや性的暴力についてはそこまで気軽ではないかもしれませんが、でも10人に1人の被害者がいるのです。みんなが思っているより、気軽にしている人が多いということでしょう。

誘うような格好をしていたから、露出していたから、夜遅くに酔っ払っていたから、それは被害者の過失にはなりません。そういう人を見かけたからといって、その人を自分のしたいようにしていい、という訳はないのです。

親であっても、子供であっても、兄弟であっても、友達であっても、恋人であっても、夫婦であっても、自分は1人の人間として大事で、自分の尊厳を傷つける権利は、誰にもないのです。そして、それは自分が相手に対して対応する際も同じです。

今世界は国際セクシャルティ教育ガイダンスという、科学的根拠から性教育を行う、包括的性教育へとシフトしています。包括的性教育では、性とは生殖機能と性行為だけではなく、セクシュアリティ、人権、健康 的で尊敬しあう家族関係や他者との関係性、個人的 / 社会的価値観、文化的社会的 規範、ジェンダーの平等、反差別、性における態度、暴力 / ジェンダーに基づいた 暴力、同意の実現、性暴力や害を及ぼしうる児童婚や女性性器切除などの範囲でエンパワメントを行うこと。つまり、性について学ぶには生殖機能だけでなく、包括的に学ぶ必要があると提唱しているものです。

特に人権や性における同意についてなのですが、タイトルのno means noについて、皆さんどんな印象を持たれましたでしょうか?男性(もしくは女性)が嫌がり泣き叫ぶ人を殴る蹴るなどの暴力を行い、押さえつけ、嫌だといってもやめてくれない、そんなシーンをイメージしなかったでしょうか?そこまで残酷なものではなかったかもしれませんが、何か押さえつけられたり、無理やりという場面を想像される方が多かったかもしれません。私も一番最初に浮かぶのはそんな場面です。

でも私が海外にいて学んだno means noはもっとカジュアルなものです。もっと人権的なものです。もっと根本的な対話の中で発生する、意思の確認なのです。そして、その同意が得られない限り、性暴力になるのです。意識がない状態なんて、言語道断です。

恋人とパートナーと、会話の中で今日はnoだよ。と、今日のご飯はカレーがいいな、どう?というぐらいに、日常の会話の中に入り込んでいて、確認をする。相手を大切にしているからこそ、相手の気持ちを大事にすること、なのです。相手の人権を、自分という1人の人間が大事にしているから、相手の意思を尊重する。

だから、no means no. Not screaming no. Just a simple no is a ‘no’.

それはおもてなしの精神に溢れる、相手を気遣うことが日常に溢れている日本人であれば、簡単にできることではないのかな、と思います。

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