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遺書§25「老害」と孤独、ペシミズム


「老害」

最初に断っておくのは、ここで軽く触れる「音楽活動の人」というのは私のSNSで繋がっている特定の方(多分ご自分だと分かるはずです)を指しているのではないということです。

大変愉快に、奇天烈に、そして情熱的に展示は過ぎゆき、売り上げは輸送代の元を取るくらいにはなった。権威的なアーティストの盲目な信者にも「可能性がある」とお世辞をいただくほどのもの。そんなものを制作・展示でき、売り上げもよく、それでいて精神も安定している。何にも文句は「なかった」。お前ひとりを除いて。
入ってくるなりひょうひょうとこちらにすり寄って来ては「音楽活動で…」と話し始める。面白そうだから話に付き合ってみた。ノイズというのが一番近い音楽のカテゴリーらしく、それなりの興味を持って接していた。急変したのはその後。「油絵の展示をここでやる」というから「同業者だ」とお近づきになりたくなったのも束の間、「どんな作風ですか」とお伺いを立てると、私の作品たちを指さし「こういう訳の分からないものを」。
分かっている。万人受けを狙っていないからこそ、自閉的に自分の世界を押し広げたただの実存的絵画に傍から見た価値がないことくらい。そもそも多くの人眼にとって美しくあるだけの作品がすべてではない。彼のノイズもそういう「基礎から外れた面白いもの」として受け止めるから面白くもなるのだろう。それを何だ「訳の分からない、何が描いてあるのか分からない」だなんて。人の作品を貶していいのは自分の作品を貶されてもいいと思える人だけだ。勿論そのマインドセットがあるから人を貶してもいい免罪符になるわけでもない。結局やっていいることは変わらない。お前は俺を貶めた。デカいバックの大型コレクターは「可能性がある」と評し、お前の審美眼では計り知れないものもあるんだと、その場で言ってやりたくなった。
こんな風になってくるともうその人自体が嫌いになった。関わりたくない。気持ち悪い。老害が。


孤独

そんな風に私の青春を取り戻す人生の一端はへし折られそうになって、また別件で泣きながら帰路についていたのだが、その時は孤独について考えていた。
自分で展示に呼んだ高校時代の顧問はもう結婚相手を見つけたという。「ああ、こうして人は歳を重ねていくのに僕はいつまで学生なんだろう」とか「一年の時の恋を成就させていれば今頃は」とか考えてしまった。極め付けはtuki.さんの「サクラキミワタシ」。
どうせなくすのだから、どうせ壊してしまうのだから、どうせ同じ痛みを繰り返すのだから(RADWIMPSとクライヤの影響かな?)と出会い分かれるという摂理に、少しだけ心を病んだ。
死に場所も死に時も選べない。そんな人間。病み上がりに無茶をしようとした埋め合わせに借金を抱え、趣味でやっていたトレーニングをもうやめてしまい残ったのは脂肪のついたごついガタイだけで、そのうえ持病持ち、精子もタバコで汚れているだろうし、こんな人間を好きになってくれる人なんてそうそういない。いるとしたら、私が成功した後のその財産を狙っている虎視眈々だけ。それも私が成功すればの話。つまり内的にも外的にも可能性は限りなく低いのだ。内的な可能性というのは私の出生に関する持論にある。こんなことを宮台真司の前で言ってしまったら(コスパ重視の「合理主義者」としての)「クズ」と一蹴されてしまうだろうが、私には子を持つということが大変に怖いことで、手に余ることのように思える。一時の感情の振れで、愛を重ねて絶頂を迎え、そんな快楽に溺れて、そんな痴情に愛されて生まれてきた人間にこんな世の中見せたくない。「狭心症」でも語られている「いやなものを見ることになるのなら目の裏にでも貼っといてくれ、辛い時も苦しい時も気持ちいい時も全て思い出すから」だなんて。私は今完全に恋をしているのだろう。「可愛い」だなんて冗談でも吐けてしまう、少し歯茎の出っ張った、枝先みたいな腕をした、出目金のような、だから決してかわいいとかいう美的感覚では測れないものを備えている彼女のことを、私は好きになってしまったから、この思いもいつかの悲しみのための種なのだと思うと、やっぱり苦しくなる。かたや結婚する人間が、かたや恋と決別したい人間がいる、そんな狂った世界で、人一倍狂って、元居た好きな人のことを探しながら「One more time one more chance」を聞くのだろうし、そんなことをしても流れなくなってしまった、枯れた涙にもう辟易した。

ペシミズム

いつ死んだって良い。心からそう思う。会う人すべてに対し「僕なんて生きてたって死んでたって一緒ですよ」と言い、帰ってくるのは「そんなことないさ」の応酬。苦しみが分からず、そこから抜け出す術を死ぬこと以外に見出せない人間がいる(私が人間だとして、という条件付きで)と分からない人が多すぎるのだ。そんな人にはどこか「斜に構えた人」とか「ペシミスト」「痛い奴」でしかないのだろうな。分かんねぇならいいんだって。理解なんかできると思うな、他人のことを。それがなんだ?年の功だのなんだのって言ってお前らが理解してきただけのちっぽけな世界の、言い古された古株を擦り付けられて、それで満足な顔してな、ウゼぇんだよ。

今日の日記に書くことがなくなりそうだからこれでお仕舞にしておきますけど、私は恨んだらとことん恨むし、好きになったらとことん好きだし、めんどくせぇって思ったら音沙汰なく出てって、俺の世界から。

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