シン・ウルトラマンを見た。

タイトルでわかるだろうが容赦ないネタバレを含みます。

シン・ウルトラマンを見た。ウルトラマンの知識は「光の星から来てる」ってことと「スペシウム光線を撃つ」ということと「バルタン星人がいる」ということだけだ。
加えて、映画前に信用のおける特撮オタクから「メフィラス星人が出てくるとろくなことが起きない」とも吹き込まれた。誰。

それでもシン・ウルトラマンを見ようと思ったのはひとえに私が米津玄師さんのオタクだからである。もうこれに尽きる。こっからちょっとオタクが話すだけのパートなので飛ばしていいよ。



米津玄師さんのオタクを名乗るのはちょっと勇気がいるがもう名乗っていこうと思う。
どうせ米津さんじゃなくてハチさんだからとかいう厄介オタクなんでしょ?と思う方もいらっしゃいましょうがそのとおりである。
某動画サイトで楽曲投稿をしていらっしゃった時から、それはもう気持ちが悪いほど聴き「雨降る街にて風船は悪魔と踊る」が削除されていた時はどうしてこんな〇二が全員聴いて頭がおかしくなるべき名曲を…!?と本気で泣いたし、それがリメイクされたときは後方彼氏面でっふーん…悪くないジャン…でも原曲もすっごいよかったけどね…?などと何に対してかわからない負け惜しみを心の中にしまい(さすがにまき散らすほど厚顔無恥ではなかった)、「砂の惑星」でおいていかないでくれと泣いた(そもそも追っているのはこっちの勝手なので進むほうは置いていくも何もなのだが)。

まぁそんな拗らせ厄介古参面オタクという考えうる限り最悪の老害だったので、なんか米津さんのオタクを名乗るのはさすがにおこがましいかなと思っていたのだけど、もう話が進まないので名乗りましょう。私は米津さんのオタクです。

そんな米津さんが主題歌を手掛けたというじゃあありませんか。いや、主題歌を手掛けてる作品を全部網羅してるわけではないんですよ。ドラマとか苦手だし。またそこが米津さんのオタク名乗るのを躊躇していた原因なんですけどおいておきましょう。

今はシン・ウルトラマンの話です。

拗らせ厄介古参面老害オタクであるところの私は、主題歌が米津さんと聞いた段階でこれは何かの罠かもしれない、と警戒をしたわけです。
野生動物か何かかな?とお思いの方もおられましょうが、これは私の性分でありまして。古参面老害ムーブは推していた歴によるものですが拗らせて厄介になるのは生来の癖でありました。
つまり、勝手に期待して勝手に落ち込んで勝手に裏切られたと思い込むたちでして、そうするともう裏切られないぞとまずは疑う厄介オタクが発生するわけです。悲しい化け物だな。

そういうわけですからいかにオタクをしている米津さんが主題歌だと聞いても、期待する心を押し隠してまずは期待しないで、まぁ……そういう?すっかり流行りの歌手におなりにあそばしたから?(古参面老害)あと米津さんを使えばオタクが釣れるって思ってらっしゃる感じ……っすか~?とハチャメチャに斜に構えていたわけです。受け取り方が歪みすぎている。まるで当人の性根みてぇだな。

そんなひん曲がった性根ですが、拗らせ厄介オタクでもある私は公開後Youtubeに投稿された主題歌「M八七」を性根のごとくひん曲がって斜に構えた姿勢のまま聴きに行き、そしてつぶやきました。

「よすぎ。ぜってぇ見てぇな映画。」

拗らせ厄介古参面老害クソチョロオタクへと華麗な転身を遂げた私は、シン・ウルトラマンを見てぇ見てぇと周囲に吹聴するBotと成り果てました。こうして文章に起こすと本当にゴミクソで笑えないな……。

しかし吹聴のかいあって周囲の信頼のおける特撮オタクをはじめ、周囲のオタクたちからどんどんと感想(ネタばれない範囲)や情報などが集い始め、身内のオタクパワーが集結していく中。
特撮のオタクたちが米津さんの主題歌に打ちのめされていく様子が観測されたので私の期待はどんどん高まっていく。斜に構えていたのも忘れて、まぁ……米津さんですし?打ちのめされるのも当然っすよね……超いい曲だもんなどと古参後方彼氏面をキメてしまう程度には期待値が高まっていく。なんて身勝手なんだ、この世すべての悪か?

とはいえそういった内心を取り繕うことには長けた老害オタクですので、身内の信頼できる特撮オタクたちはシン・ウルトラマンぜひ見てほしい、知識のない状態の感想が聞きたい、むしろ知識無くても楽しめる、知識無い人とある人では見える景色が違う、初見の悲鳴を聞かせろと私の背を善意(?)で押してくれてその言い方がまた何が待っているんだろうとわくわくさせていただいた。



そうして公開10日以上過ぎて遅参ながらシン・ウルトラマンを拝見したわけだ。ここからがようやく感想。なっげーわ寝てた。

まず見て思ったのはウルトラマンという作品はなんて強いんだ、ということだ。

先述したように私はウルトラマンシリーズはほとんど知らない。それでも映画の中で「これは見たことがある!」と思う演出や聞いたことがある!という音楽、効果音がふんだんにあった。
いったいどこで触れたのか定かでないのにここまで確信をもってこれは「ウルトラマン」の演出なのだとわかる表現の多さ!これを強さといわずして何というのだろうか。
そして、不思議とその演出が映画で現れると、なんというか「戻される」心地がするのだ。私は生まれも育ちも平成なのだが、まるで昭和にウルトラマンを見て楽しんでいる少年少女に「戻される」気分になる。通った覚えのない時代に「戻される」気分になるなんて不思議な表現になるのだが本当にそうとしか言えない。
点滅する背景にウルトラマンが飛び出してくる時、スペシウム光線が放たれた音を聞く時、どこかで見た怪獣が現れた時。アッと思った瞬間、私はその瞬間だけなったこともない昭和の子供になってウルトラマンを見ている心地になった。

これは演出の妙、としか言えない。先述したウルトラマンシリーズの知識を持つ人が見たならよくぞこの演出を入れてくれた、と思うファンサービス的な意味合いが強いのだろうというのはわかる。わかるが何度でもいうが私はウルトラマンシリーズに詳しくはない。
それでもまるでいつか見たヒーローをスクリーンに見つけたような気持ちになったというか、むしろその瞬間だけただかっこいいヒーローを見に来た人、になったのだ。
わぁ、かっこいい!と私の中の男子小学生がカットインで、スペシウム光線で、怪獣で声を上げた。いくらでももっともっと別の演出を、技術的にも高度な演出も、私は見てきてるのにそれでもかっこいい!と男子小学生になってしまった。本当に何故だかわからない。シリーズを通して培ったブランド力であり、そして演出そのものの力、としか言いようがない。
なにせ何十年も子供たちと大人たちを虜にし続けてきた演出なのだ、それだけの力があったんだろう。強い。

演出といえば、戦闘シーンの話もしなくてはならない。
一部感想ではウルトラマンがやられてクルクル回るところがちょっと間抜けに見える、みたいな話もあるらしいが全然気にならなかった。というか、戦闘シーンは全然大げさじゃなかった、と私は感じた。むしろ、アクションとして見れば地味な部類だとすら思う。
なのに迫力というか、見ていて楽しい。戦闘シーンは大げさすぎれば間抜けになるしあまり地味でも「シン・ウルトラマン」を見に来た人には物足りないだろう。
また最新の技術でごてごてと装飾しすぎるのも「ウルトラマン」を見に来た感じがなくなってしまいそうだ。もうそれが、完全なバランス感覚で構成されていて私にとっては物足りないなと思うところが全くなかった。ちゃんとかっこよかったしちゃんとウルトラマンが戦っているところを見た、と感じられた。

多分、これは戦闘シーンが毎回全然違っていたのが大きいと思う。最初は代表的な"怪獣"っぽい怪獣との戦闘で、演出もただただカッコイイ。
派手だし、偉大なもの同士のいわば超然たる戦いを見た、といった印象を受けた。もうこの戦闘中は私の中の男子小学生がただただウルトラマンがんばれってなっていた。すごいぞ、かっこいいぞ、僕らのウルトラマン!スペシウム光線がバリバリ飛び出たり、ジャイアントスイングが出るともう心の男子小学生のエキサイトがすごかった。ワー!だった。ワー!

そして、以降の異星人との戦闘。ここからは異星人の特色が出たから怪獣との戦闘とはまた演出が変わっていくのがいい。
偽ウルトラマンと戦うときはどっちかというと徒手空拳で、それでいて新しい技(丸ノコみたいなやつ)の威力を見せる。このあたりからウルトラマンの「力」だけでなく「技」の戦いが出てるからか、怪獣と戦っているときはなんだかよくわからないウルトラマンの感情、のようなものがはっきりと出ているのもよかった。
怪獣と戦うウルトラマンがアイコンタクトを送ったことを察したチームメイトが、知性の存在やコミュニケーションが可能かもしれない、とこぼすシーンがあったが、あの段階ではあくまで「超然とした」存在というイメージが戦闘面にも出ていたように思う。
一方で徒手空拳を繰り出して戦うウルトラマンは、異星人と戦う「誰か」の戦い方だ、とそういう演出に見えた。
もちろんそこまでのドラマパートで、ウルトラマンであった主人公の描写が出るからでもあるが、戦闘のやり方というか、戦闘シーンでも超然とした何かと何かの戦い、ではなく「誰か」の戦い、という演出に切り替えることでそれを演出する、というように感じてすごく面白く感じた。

メフィラス星人さんとの戦闘にいたっては、「技」同士のぶつかり合いに近くて、そのうえ決着はつかない、というまったく違う戦闘シーンとして描かれていたのが面白かった。
なんでも切ってしまう丸ノコが通用しない相手である、とか異星人は別のエネルギーを使っている、とかウルトラマンの弱点は長時間いられないところである、とかそういった部分を自然に見せ演出しながら全然不自然でもなく、迫力もある。
かつ、はいはい怪獣(怪獣ではない)は爆発して終わりなんでしょ、というお約束をあえて外すことで陳腐さがない。本当に文句つけようがない。

極めつけはゼットン戦だ。超然たる存在のウルトラマンの、さらに上の超然たる存在との戦い。
ゼットンって見たことある~とか思ってたらウルトラマンがあまりにちっぽけで歯が立たない存在で、それまでの戦闘で描かれていたものとはまた全く別の戦闘がお出しされるのだ。戦闘シーンのフルコースかよ。しかも各戦闘シーンが全然しつこくない。むしろ短い。ラスト戦闘なんて戦闘?っていうほどの短さだ。なのに迫力があるというか、パキっとしている。

戦闘シーンが各々違う演出で組み立てられているのが大きいと思うが、ドラマパートとのメリハリもこの充実してる感の比重を大きく占めていると思う。

何しろドラマパートに出てくる人が「当然のことしかしていない」のだ。もう、本当に。
できることをやるとか、無能がいないとか、ちっぽけでありながらもあがくとか、そういうの全部ひっくるめて全員「当然のことしかしてない」。必要なことしか、というべきかもしれない。ドラマパートに説得力しかない。
怪獣が放射性だったらそりゃそうなるよね、みたいな有能めいたドラマパートから、外星人と日本が条約結ぶってなったらそりゃそうなるよね、みたいな部分まで本当に説得力しかない。全員マジで当然のことしかしてない。余計なことはしない。必要なことだけがドラマパートで描かれている。だから不快感もないし、ただただドラマパートが必要。当然に必要すぎる。

それでいて説明臭くない……いやある意味では説明臭いんだけどなんというかそれも含めて演出になっているように感じた。
誰も「世界は核の炎に包まれた!」を説明臭いとは思わないでしょう、みたいな。むしろそれがアニメでナレーションで入ったらうれしく思うでしょ、みたいな。
思えば冒頭の怪獣出現記録のようなものもそう。これまでのあらすじ!ばん!をグダグダと説明臭くやるのではなく、演出としてもう入れてしまう。それがドラマパートではずっと続いてるみたいな感じに思えた。
だから説明臭いけど説明臭くない。ドラマパートという演出にしているから。それゆえに戦闘シーンにも流れにもメリハリが出ている。マジでずっと面白い。チームメイトが軟禁されてストレスでお菓子をバカ食いしてるシーンですらふっと笑って息をつくために必要なシーンになっている。どういうことなの。

正直、先述したが私はドラマが苦手で(理由はまぁいろいろあるのですが)シン・ウルトラマンも予告を見たときはヒューマンドラマ色が強そう~と結構警戒していたが、あまりにも必要なことしかしてなくて全然不快感がなかった。
説明臭くならない、とヒューマンドラマを前面に出しすぎない、と怪獣映画(といっていいかはわからないが)の同居が成立しているのでそんなことできるんだ……と思った。

特に、最後のオチ、とでもいうべき部分。

あそこにはドラマパートで語られた「人間の力」がめちゃくちゃ重要になってくると思う。
見方によっては人間が力を合わせてっていうけど結局実行したのはウルトラマンじゃんとみることができる、んだけどここで重要なのはウルトラマンが実行することでおそらく対消滅するだろう、という事実を人間側が自らの手で導き出している、ということがすごーく大事に思えた。
その前に描かれていた「ウルトラマンに任せよう」という流れがちゃんと描かれていたからこそ気づいたというか、そういうことかな?と思った部分になるのだが、つまりもしウルトラマンがゼットンの排除に成功して1人消滅ないし光の国への帰還を果たしていた場合、人類はどうなっていただろう、ということだ。
そうすると人類は信じ続けることにはならないだろうか。どこかで、ウルトラマンがやってくることを。

ウルトラマンがいくら光の国にお別れを告げても、主人公に命を返しても、人類のあずかり知らないところの話である。
あずかり知らないところでの話なら、人は期待してしまう。だからこそ、人類の手でウルトラマンは消える、という解を導き出さないとその期待は消えない。
自分たちで消したのだからウルトラマンはもう頼れない、という解を出さねばならない。それがあのドラマパートで描かれていたことなのではないかと私は思う。
主人公は命を戻されて目覚めたが、この解が人類で出ていた時と出ていないときでは、映画が終わった後の想像は格段に違ってくる、と思う。

ドラマパートで唯一、残念だった点があるとすれば主人公以外のチームメイトは基本的には見守るだけ、待つだけ、という描かれ方だったことだろうか。
当然そこを描くのはウルトラマンを描くことではなくなってしまうので余計なことでありしょうがないのであるが、バックアップとして動いている、という描写はあってもよかったなぁ……と思いつつ。
実はこれにも自分の中で答えが出ていて、チームメイトはすごく優秀だと作中で描かれているので先述したように「映画の後」を想像すると実際めちゃめちゃ活躍するんだろうなぁ、と感じることができるのだ。
これは面白い演出だと思う。実際にチームメイトがどのくらい優秀なのか、という部分は作中ではあくまでさらっと流す。なぜなら触っていると趣旨に反する、というかきりがないので。それでいて描写しないわけではない。
上司のリーダーシップ(腹くくるの爆速でおもろかった)、同僚の知識(先述のオチの部分は言わずもがな、生物学のおねーさんも「におい」という観点を提供するなど活躍している)、必ず印象づくところで1度は触ることで、チームメイトがいかに優秀であるかはちゃんと描写しているのだ。それにより映画の後の想像が膨らむ。

そう、オタクは映画の後を想像するのが大好き(オタク君すぐ主語をおっきくする……)。
だから余韻に浸ろうとしてるときに「M八七」が来たらもうそれはもうウオアアアアアアアーーーー!!ってなっちゃうよ。そりゃなっちゃうよ!!はい今から米津さん厄介古参面老害クソチョロオタクによる、シン・ウルトラマン見た後の「M八七」の感想やるからね。席ついて。興味ない子は帰っていいよ、おつかれ。

だってさぁ~~~~~あなた歌詞見ました!?!??あんなのにぶん殴られたらおかしくなっちゃうよそりゃもう狂っちゃうよ。私は狂った。ウルトラマンミリしらなのに限界オタクみたいに「ウ"……ッゴァ……」ってなったよ。
もともとい~~~い曲だったけどさァ!?映画を見る前と見た後でこんなにも味わいが変わるかね!?!???!今完全にあれ、なんかかじったらレモンが甘くなる食べ物あるじゃん。あれ食べた気分。完全に味わいが変わった……。

あんな……あんなさぁ……!!お、お星さま(ウルトラマン)と人(人類)の"愛"の曲じゃん……!!
人は光を追って……望んで……そしてそれに強く応えて、語りかけ、見守るお星さまの……それを愛といわずなんて呼ぶのか私ゃ知らないよ……ウッ……(限界オタク)。
マジでもうこれ歌詞1個ずつ独自解釈語りたいけどさすがに気持ち悪いかなァ!?解釈で米津さんに勝てないのはさもういいから米津さんの解釈を解釈していこうぜ!?(?)
お星さまは見てるんだよぉ……姿見えずともさぁ……!はるか先で……そして人は、そんなこと何も知らなくても進んでいくんだよ……ウワアアアアアアだめだ言語化できない、泣く、もう授業終わりです!!解散!!!希望があれば米津さんの解釈を解釈する地獄の解釈蟲毒(1人)別で頑張って書きます。



最後に。

長澤まさみ(長澤まさみではない)が巨大化したときめちゃめちゃ「パンツ見えちゃう!!!!」って心配したし、巨大化させられたうえ顔面を観察されるという毛穴とかどうするんだよ!!!!というデリカシーゼロの行動をしたメフィラス星人さんは、記録は消せても記憶は消せないのでウルトラマンは許したが私の中の乙女心が許しちゃおけねぇ、長澤まさみ(長澤まさみではない)でなかったら耐えられんかったぞ。お前は許さん。

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