見出し画像

連載 第五回:美しい世界÷矮小な私

最果タヒ『MANGA ÷ POEM』
Text:Tahi Saihate / Illustration:Haruna Kawai

ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY でも大好評だった詩人・最果タヒの新連載が登場。好きな「漫画」を、詩人の言葉で見渡すエッセイ


 頑固でマイペースな性格であるとは思うけれど、それは恵まれているからで、実際のところ環境が全く違う場所にいても同じ自分でいられるか、というと、正直全く自信がない。今だって協調性がなく、浮いてしまうことが多々あるけれど、それが「自分を持っている」ということなのかと問われると、案外そうでもない気がして落ち込んでしまう。私は世界が嫌いだから、自分を持っているだけなのではないか。世界が自分に優しく甘く穏やかであったならそんなことはなく、簡単に溶け込んでしまうのではないか。理想の世界がどういうものなのか少しも想像できないが、例えば物語世界に生きる自分をイメージした時、一瞬でその世界に喜んで溶け込み、モブキャラとして背景になってしまう自分が容易に想像できるのだ。私は好きな世界に行きたいと思うけど、その世界に溶け込んで何も考えなくなる自分は嫌いだ。嫌いな世界にいて自分そのものでいる自分を、私はかろうじて愛しているのだなと思う。愛している自分の軽薄さを、愛する世界で思い知るのが怖い。
 などということを、『笑う大天使』を読むたびに思う。清く正しいお嬢様学校に通う、清くも正しくもない三人の主人公の、晴れ渡ったような自分への正直さが心地よい作品だ。私は彼女たちが好きだけれど、麗かなお嬢様たちの中で、純度100%のお嬢様にも、主人公たちのような決して環境に染まらない強い自我を持つ人間にもなれずに、ほんのり湧く違和感をそのたびに忘れて、なんとなく美しい庭で美しい紅茶を飲んで生きていってしまうモブキャラクターが私だろうと思って暗澹たる気持ちにもなる。それなのに共感し、愛着を持つのは自我の強い彼女たちで、どうしてか「同じだ」と思える。同じだ、と思えるのは、たぶんこの世界の外にいるからこそなのだが、それが今この世界を自分のままで生きるための勇気にすり替わっていく。私は、彼女たちに比べたらだいぶ矮小な私を知っている。けれど、矮小な私が矮小さに心を許して、この世界ですべてに流されたら、耐えられないものがあり、許せないことがあり、その耐えられなさにあらがうために、矮小なりに誇り高くいようとしているのだろう。真に誇り高い少女たちを見ていると、私はそのちっぽけな誇りを、握りしめる勇気が持てる。それは一つの思い込みなのかもしれない。私はこんなには美しくない、とわかるけれど、その美しくなさをフィクションは、「こちらはフィクションだから」と正当化してくれる。少しぐらいは彼女たちのようなまっすぐさが自分にもあると錯覚して良い、と夢を見せてくれる。ずるいやり方なのかもしれない、でも私は、宮殿の物語を読んで、美しいドレスを身に纏う自分を想像するより先、そうした、朗らかで正直で決して環境に染まらない強さを、自分も纏っていると想像する。そうでありたい、ずっと。たとえ実際はもっと根っこが弱くても、そう思うことでこの「絶対に溶け込みたくない世界」に自分の足で立てるんじゃないか。

 ものを書くと、正直である自分というものに、どうしても出会い続けます。それは言葉は書いてしまえば固定されてしまうので、そのことが恐ろしく、正直であるのが辛うじて書き続けるための命綱であるからなのですが。それでもそんな日々を重ねると、自分の「正直な部分」が膨らんできてしまうというか、私は私が矮小であることに、物語を読むとき気付かされ、思い出し、恥ずかしくなり、自分の正直さへの誇りを失うのです。でもそれこそが大切で、私は私の矮小さと正直さどちらもないとだめなのです。矮小な自分が矮小なままでかき消されることなく生きる術も正直さであり、それを繰り返し引き戻しながら、私は、私を誇ることよりももっと正確に、ブレのない形で、自分を持てたらと思っています。

・川原泉『笑う大天使』(川原泉・著)白泉社サイト


最果タヒ
さいはてたひ。詩人。詩やエッセイや小説を書いています。
はじめて買ってもらった漫画は『らんま1/2』。
はじめて自分で買った漫画は『トーマの心臓』。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?