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まだ、しずくが残っている。

「いや、まだだ」と私はつぶやいた。
 油断大敵。焦ったために、パンツの中にオシッコを漏らしてしまう愚は、もう二度とごめんなのだ。
 以前、結構多めに漏らしてしまい、「いやあ、手を洗っていてズボンに水がかかってしまったよ」という演技をすることになってしまったのである。あれは、情けなかった。
 どうせ、漏らしたことはバレているのだ。漏れたなら「いやあ、小便が漏れてしまった」と正直に言うべきなのである。正直の頭に神宿る、正直は最良の豊作、英語で言えば、Honesty is the best policyである。
 後ろで咳払いがした。私の排尿が長いので、後ろで待つ男がせかしているのだ。なんとせわしない男であるか。
 私は、腹立たしかった。なぜ、「がんばれっ」と励まそうとしないのだ。「もっと出るはずだ。あなたのオシッコは、その程度ではないはずだ」と声を掛ける思いやりが、なぜ生まれない。
 ふと、私は、子供の頃を思い出した。
 立ち小便の思い出だ。私が子供のころは、一日一度は、立ち小便をした。学校や家の臭いがこもるトイレよりも、屋外でやる心地よさは格別だったのだ。
 国民全体のモラルが低かったのもあるだろうし、今のようにアスファルトやコンクリートで覆われていなかった時代だ。立ち小便をしても、すぐに地面に吸い込まれていったのである。少しばかりの罪悪感も同時に消えた。
 当時、私はクラスメートの大江君といっしょに帰っていたのだが、途中にある空き地で連れションをした。ただ、小便をするだけではつまらないので、どちらが長く小便が続くか競争をした。
 他愛がないが、他愛がないことを楽しめるのが子供の特権なのだ。さすがに大人になってから、小便競争をしたことはない。
 さて私は、その競争にいつも負けていた。
 私は、わりと負けず嫌いである。そして、研究熱心でもある。 どうすれば立ち小便競争に勝つことができるか、私は懸命に考えた。そして、結論づけたのだ。
 小便がたまるキンタマを鍛えるべし。
 その頃の私は人体の役割に関する知識がなく、小便がたまる場所は睾丸だと思い込んでいたのだ。
 そもそもブランと垂れ下がる睾丸は、いかにも水分がたまりそうな形状ではないか。見えない腎盂や膀胱よりも、見えるキンタマに役割を見いだすのは、これは決して愚かなことではない。
 私は、スポーツ選手が筋肉をもみほぐすシーンを思い出し、寝床の中で睾丸をもみほぐした。時々、思い切り皮をひっぱる。 これで、オシッコの保有量が増えるはずだ。約3割の増量が見込めるに違いない。
 次の日、自信満々、私は大江君とオシッコの競争をした。今日こそ私の圧勝のはずだった。その日は、学校では一度もトイレに行かず、小便は満タンだった。今にも小便が漏れ出しても不思議ではなかったほどだ。
 だが、何と言うことか。やっぱり負けたのである。
 私は、悔しさにうつむいた。昨夜の努力は、一体何だったのだ。努力は、報われるのではなかったのか。「巨人の星」は、嘘っぱちなのか。手で伸ばすだけではダメなのか。本格的なキンタマ養成ギプスを使う必要があるとでも言うのか。
 私は、うなだれた。見ると、私のチンコもうなだれていた。努力しても勝てないとすれば、私にはおそらく一生涯勝ち目はないのだ。
 だが、そこで大江君は、思いがけない言葉を発した。
「しずくが垂れてるから、同時やね。引き分けや」
 私のオシッコのしずくを、彼はカウントに入れてくれたのだ。そして、引き分けだと慰めてくれたのだ。なんという優しさか。それに比べて私ときたら、つまらぬ競争心を抱き、勝つことに必死になっていた。
 今でも私は、そのときの大江君の言葉を忘れていない。今でも私は、彼の優しさを……そして、フェアプレー精神を……。
 また、後ろで咳払いがした。
 せわしない男だ。
 私は、最後のしずくを落とし、パンツにモノをしまい込んだ。隣の便器では、すでに4人目が終わり、5人目の男が立とうとしていた。
「4連勝か」と私はつぶやき、後ろのせっかちな男に場所をゆずる。
 男は、慌ただしく小便器の前に立ち、盛大な音を立てて小便をはじめた。私のチョロチョロと小川が流れるような清涼な響きに比べて、彼のそれは、下品極まりなかった。
 人間というものは、小便にも品が出るのだ。そう言えば、大江君の小便も品が良かった。
「大江君、また、いつか戦いたいものだな」と私はつぶやいた。



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