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『鉄路にて』Brasilシリーズ2

序章

大柄で屈強な男がゆっくりと近づいてくる。凶相をしたアフリカ系ブラジル人だ。その目は確実に私を捉えていた。
全速で走行している列車の中という逃げ場のない状況。
漆黒に近い男の顔からは喜怒哀楽を読み取ることができなかった。だが少なくとも国と人種の枠を超えた友好関係を結ぼうとしているわけでは無いようだ。男が醸し出す禍々しい雰囲気はそれほどに雄弁だった。
断っておくが、僕には何人かのアフリカ系の友人がいる。それも真っ黒の。僕は肌の色や人種に対する偏見がまったくない。しかし男は僕にその偏見を植え付けそうなほど危険な気配を身にまとっていた。
これは間違い無く、ブラジルにやってきて以来最初にして最大のピンチだ。

ブラジル連邦共和国

この記事はブラジル最大の都市サンパウロで、30数年前に起きた出来事を記憶を辿りながら書き起こしたものである。
その頃僕は日本文学に特化した民間の小さな図書館に勤めながら、夜は半官半民の日本語学校で教師をしていた。ブラジルには多くの日系移民とその子孫が住んでおり、その総数は200万人に達する。日本の国策としての移民事業は戦前から始まっており、一攫千金を夢見た多くの日本人がブラジルに渡っている。
過酷な開拓生活での塗炭の苦しみに耐え抜き、この国に根を下ろした移民たちもすでに3世、4世の時代になっていた。
「移民」というより、国家による「棄民」に近い形で放り出された1世たちは、それでも日本人であることの誇りを失わずに祖国を愛し続け、その精神を子や孫の代に受け継がせる努力を怠らなかった。ことに、祖国の言葉である「美しい日本語」の教育には熱心であり、僕が教えている生徒の中にも多くの日系人がいた。

鉄路にて

São Paulo サンパウロ

それは僕がこの国に来て1か月が過ぎた頃のことであった。
日本語学校の生徒の一人である岡野ジュニオールの実家に招待された。90才になる祖父の誕生パーティーが開かれるという。ジュニオールの祖父は移民1世だ。
この国では、そうしたプライベートなパーティーに、赤の他人を招くことは珍しいことではない。
ジュニオールはサンパウロ市内の地下鉄 Liberdade(リベルダージ)駅近くに下宿し、国立サンパウロ大学に通う日系3世だった。
彼の故郷の街は、サンパウロ市の郊外から延びている中距離鉄道の終点近くにあった。サンパウロから3時間の距離にある往年の日本人入植地だ。
まだブラジル国内で使える自動車免許を取得していなかった僕は鉄道を利用するしかなかった。

「センセイ、鉄道はアブナイデス。ダイジョウブ?」
僕が鉄道で行くことを知ったジュニオールが心配そうな顔をして言った。
バスや地下鉄などの公共交通機関内で発生する犯罪の件数がハンパじゃないことは、この国に来て日が浅い僕でも知っていた。しかし若かった僕にとって「日本人はビビって鉄道にも乗れない」などと思われることは耐えがい屈辱だった。
今思い返すと、蛮勇をふるって「大丈夫だ。どうってことない」と応えた僕は、このとき勝手に「日の丸」を背負っていたのだろう。

そして約束の日がきた。
この国の地理を何も知らなかった僕はジュニオールに書いてもらった住所と電話番号、そして降りる駅の名が記されたメモを頼りに地下鉄を乗り継ぎ、中長距離列車の始発駅に向かった。
住所と電話番号と降りるべき駅の名まで分かっていれば子どもでも行けるじゃないか。「余裕だぜ!」と、僕は思っていた。

始発駅に着くと、すでに3両編成の列車が停まっていた。
中距離列車にしてはこぢんまりしている。それだけ鉄道の利用者が少ない、ということなんだろう。
思ったとおり、車輌には人影がまばらで、僕が乗り込んだ車輌には数人の乗客しかいなかった。全員がアフリカ系だった。
ブラジルの人口比率は欧州系(約48%)、アフリカ系(約8%)、東洋系(約1.1%)、混血(約43%)、先住民(約0.4%)で、全土に約2億人1千万人が暮らしている。
ブラジルはポルトガルの植民地だった時代に多くのアフリカ系黒人が奴隷として連れてこられたという悲しい歴史がある。
ブラジルに住むほとんどの黒人が、理不尽な歴史に翻弄された人々の末裔であった。
僕はガラガラの車内に足を踏み入れると、車両中央付近の席に腰を降ろした。
アジア人がこの鉄道に乗ることは珍しいのだろう。その車輌に乗り合わせたすべての乗客が、僕に無遠慮な視線を送ってきた。
なんとなく居心地の悪さを感じてシートに深く座り直したとき、鉄の擦れ合う大きな音が響くと列車がゆっくり動き出した。

Brasil

窓の外を茫漠たる赤土の大地が流れていく。赤土の先に緑のコーヒー畑が地平線まで延々と続いていた。地平線を見ることなど何年ぶりだろうと考えながらその景色に見とれていた僕は、突然あることに気づき愕然とした。
なんと、すでに相当のスピードが出ているにも関わらず、列車のドアが閉まっていないのだ。いや違う。何かがおかしい。目をこらしてみると、驚いたことにドアが閉まっていないのではなく、ドアそのものが無かったのだ。かすかに残るドアレールの痕跡が、以前はそこにドアが存在していたことを窺わせていた。後日、運行を終えて保線区に停めた列車のドアが夜中にしょっちゅう盗まれるとジュニオールから聞き唖然とするのだが、その時はただ、乗客の安全などどーでもいいと思っている国なのだなと感じた。

列車がカーブにさしかかると、床に捨てられカラカラと転がっていたコーラの缶がそこから飛び出していった。
(ひぇ-。危ねェなぁ)
僕は少し不安になり、一旦立ち上がってドアから離れた席に座り直したその時、フト視線を感じた。顔を上げるとまだ乗客たちが僕を注視している。
(なんなんだよ?こえーよ)
無表情なアフリカ系の皆さんにジッと見つめられてみなさい。正直、かなりビビりますから。
(もぅ。そんなに珍しいのかよ)
それは決して刺すような視線ではないけど、やはり気持ちのいいものじゃない。
(視線を合わせちゃいけないよ)
脳に内蔵された早期警戒レーダーシステムがアラートを発している。

20分ほど走っただろうか、列車がスピードを落としはじめた。最初の停車駅が近づいてきたようだ。
少しずつ速度を落とした列車は、ほとんど人が歩くくらいのスピードで進んでいる。
その時だった。まだ動いている列車のドア、いや違う。正確には「かつてドアがあった開口部」から、数人の男たちがよじ登るようにして乗り込んできた。あきらかな「無賃乗車」だった。
線路からいきなり乗り込んでくるという荒技を使った男たちは、全員が背中に麻袋を背負っていた。生きた鶏や子ヤギを抱えている男もいた。
ほどなく列車は駅に停車したが、駅から乗ってくる者は一人もいない。
(そりゃ線路からの乗降フリーなら、誰もカネなんか払って乗るわけねーよな) 
と呆れたのだが、同時にあることに気づき僕は少し、いやかなり焦った。
駅に到着するアナウンスがまったく無かったのだ。
(これってかなりヤバいんじゃね?)
ということは、僕が降りるべき駅は、駅名の書かれた表示板で確認するしかない。そう思って再び動き始めた列車の窓からホームに設置されている表示板を見た。
ゆっくりと流れていくプラットホームの中に静かにたたずむその表示板は完全にペンキがはがれ落ちており、一面の赤サビで覆われていた。
僕は愕然となった。駅名が消えていた。赤サビに覆われて。
なんということだ。降りるべき駅が特定できないのだ。赤土の大地のど真ん中に敷かれた鉄道路線の上で。これはもしかしたら絶体絶命というやつなんじゃねーの?
地理に不案内な土地で、しかも言葉が通じないという恐怖。これは結構キますよ。その上、まだ見てるんです!乗客全員が僕を。しかもさっき無賃乗車してきた連中の分だけ人数が増えてるんです。ガン見してくる目ん玉が。
軽いパニックを起こしながら、僕はジュニオールの言葉を何とか思いだした。
「センセイ、サンパウロから5番目か6番目の駅だからね。」
確かそう言っていたような気がする。5番目か6番目。実にブラジル人らしい、テキトーなアドバイスなのだが、まあ駅名が分かってるからいいか、と軽く考えた自分がバカだった。
たった1駅だが、間違っておりてしまったら次の列車がいつ来るのかも解らないのだ。最悪、今日はもう1本も来ないという可能性すらある。「鉄道ダイヤ」など、有名無実の幻の概念なのだよブラジルでは。
ちょっとした賭だった。僕は6番目の駅に賭け「親神様・教祖、どうかお守りください」と祈ったね。少し気持ちが落ち着いた気がした。

列車は赤土の大地を一直線に進んでゆく。
(思えば遠くへ来たもんだ)
そんなフレーズが頭の中でリフレインしていた。
不安と安心の間を行きつ戻りつする僕を乗せた列車が、やっと5番目の駅についた。あと一駅だ。
乗客たちは、相変わらず駅が近づくたびに線路から乗り込んできたり飛び降りたりしていた。
今、この車輌に残っているのは、最初の停車駅に着く前に乗り込んできた5人の男たちと僕だけだった。
僕は視線を上げた。
見ていた。5人のアフリカ系がまた僕を見ていた。
(勘弁してくれよなぁ。まったく)
そのうちの一人が僕に視線を合わせたまま、持っていた麻袋から何かを取り出そうとしていた。
(え!何を出すんだよ。銃?ナイフ? それともまさかのM18クレイモア指向性対人地雷か? やめろやめろやめろ)
当時のブラジルは銃器が簡単に手に入る国だった。ホームセンターのようなところでも販売しており、僕たち外国人でもIDカードを提示すれば普通に買うことができる銃器大国だったのだ。なので彼らが銃器を携行している可能性は充分過ぎるほどあった。ていうか、この凶相は”持っている”に違いない顔だった。
僕はほとんど腰を浮かしそうになっていた。だが、男がおもむろに取り出した物。それはマルボロのカートンだった。

マルボロ

ここからが序章で書いたシーンの続きとなる。
マルボロを持った男、(この際マルボロマンと呼んでしまおう)が近づいてきた。
マルボロマンは僕の目の前に立った。「今しがた1人殺ってきたんだよねー」と言われても「でしょうね。」と即答できそうな「イっちゃってる」顔だった。白目の部分が濃い黄色みを帯びており、凶相を更に引き立てている。
マルボロマンは僕の目の前にマルボロをつきだし、早口のポルトガル語でわめき立てた。
このシチュエーションはどう考えても「マルボロを買え」と押し売りされている以外の何ものでもないだろう。他に考えられるとしたら、
「あのなジャポネース。これはな、ロンドンのフィリップ・モリス社が1902年にニューヨークに子会社を設立して、1924年に『女性向けたばこ』として展開したマルボロっちゅータバコやねん。『Mild as May(5月のようにまろやか)』のキャッチフレーズと共に売り出してんけど、苦戦を強いられたんや。昔のポスター見たら女性向けにキャンペーンをしてたことも確認出来るでぇ。パッケージ上部のデザインはな、実は女性が持つ魅力的なパーツの一つである唇をイメージしてんねんで」
とマルボロについてレクチャーされている図。くらいしか思いつかなかった。
ないないない!
普通に考えて前者だろう。
あまりのしつこさに僕はたまりかね、「Quanto isso custa?(いくら?)」と、数少ない語彙の中から尋ねた。マルボロマンが答えた金額は市価の2倍だった。
1ヶ月もいれば必要に迫られて数字は憶えるものだ。数字が理解できなければ買い物すらできない。僕は数字を真っ先に覚えたていたのだ。
(日本人だと思ってなめてるな。ふざけんなよ)
僕は「ノン!(無理!)」と言い、右の掌を胸前にかざし地面を押さえるような仕草をした。値を下げろと意思表示したつもりだ。
結構、顔と仕草で通じるものだ。マルボロマンの凶相が少し困った感じに変化したのが分かった。マルボロマンはすかさず値を下げてきた。
僕は首を振った。するとまた値段が下がった。そのラリーは3回続いた。
だが、僕は値下げ交渉がしたいわけではないのだ。マルボロなど、ここで買わなくてもどこにでも売っている。ただ単に、この交渉を打ち切るための語彙を持たなかっただけなのだ。しかしこの状況で拒否し続けることが最善の選択であるとは思っていなかった。だって、マルボロマンが肩にかけた麻袋の中にから、いつ何どき38口径の銃かM18クレイモア指向性対人地雷を取り出すか分からないという恐怖は常につきまとっているわけで・・・

マルボロマン

市価の80%の値段まで下がったところで、僕はマルボロを買った。
盗品なのかも知れない。いや盗品に違いない。買い叩かれても、男は嬉しそうに札をポケットにしまい込み仲間たちの席に戻っていった。
今度は仲間の4人の男が、僕を見ながら麻袋から何かを取り出した。
マルボロだった。
マルボロが4カートン。つまり4人のマルボロマンだ。
ブラジル公用語であるポルトガル語で言えば quatro vendedores de Marlboro(クワトロ・ベンデドーレス・デ・マルボロ)だ。
うんざりした。僕は彼らに目を合わせ、顔の前で両腕を交差させ×を作りキッパリと首を振った。「もういらない!」という意思表示くらい分かるだろう。分かってもらえなかった。いやそもそも「聞く耳を持たぬ」のかも知れない。そんな耳は切り取って棄ててしまえと思った。
4人がゆっくり近づいてきた。クワトロ・ ベンデドーレス・デ・マルボロは筋肉質で、あきらかに僕より屈強だった。
(勘弁してくれよなぁ)
僕はこの日何度この言葉を呟いただろう。
彼らが純粋なタバコ屋であるとはとても思えなかった。仮にタバコ売りだったとしても、タバコ売りが突然「強盗」に変身するのがこの国なのだ。
その時、列車が急激に速度を落とした。一つ前の駅からずいぶん遠かったが、僕の降りるべき6番目の駅が近づいたようだ。
しかし、4人はすでに僕の目の前まできていた。4つのマルボロのカートンが、僕の目の前で揺れていた。
4人が同時にわめいている。
「買え買え買え買え買え買え買え買え買え!」多分そう言っている。
超絶怖かった。4人とも、何が飛び出してくるか知れない恐怖の麻袋をかついでいるのだ。もしかしたら「買え買え買え買え買え買え買え買え買え!」ではなく、「金を出せ出せ出せ出せ出せ!」または「殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ」と言っているのかも知れないのだ。
それでも僕は「ノン!」と言いながら首を振り続けた。列車はかなり速度を落としている。イザとなったら飛び降りるつもりだった。
4人に前を塞がれたまま、ようやく6番目の駅に着いた。まだ男たちは前に立ってわめいている。
僕は腹をくくった。(南無天理王命)と心の中で唱え、意を決して座席から立ち上がり、今度は大声で「南無天理王命!」と叫んだ。
学生時代、アメリカンフットボール部に7年間所属していた僕は、彼らほどデカくないにせよ、身長175cm体重77kg。比較的体格はいい方だと思う。走力にも自信があり、トップスピードに乗れば逃げ切れる。
急に立ち上がったアジア人が意外と大柄だったことと、大声にたじろいたのか、男たちが一瞬後じさった。そのスキに僕は男たちの間を肩でこじ開けるようにして突破し、そのままホームを駆け抜けて駅の外に出た。線路に対して直角に造られた駅前の街道を全速力で駆け、100mほど走ったところで立ち止まって振り返ると、ゆっくりと動きした列車の開口部(元はドアがあった)から男たちが僕の方を見ているのが分かった。しかし列車から降りてくる様子はなかった。
僕は街道の沿いにあったバール(立ち飲み屋兼食料品店)に入り、カウンターに腰を下ろして大きくため息をついた。
「はぁぁぁぁぁ…。 ヤバかったぁなあもぉ」

バール

バールのオヤジが不審げな目を向けてきたので、前面がガラス張りになっている冷蔵庫を指さし「コカ」と言うと、ちゃんとコーラを出してくれた。
コーラで喉を潤し、胸をなで下ろしながら駅に戻った僕は再び失意のどん底につき落とされてしまった。
駅の正面玄関に掲げられていた駅名のアーチ型プレートには目的地ではない別の駅名がデカデカと書かれていた…
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
めまいがした。降りるべき駅は6番目ではなかったのだ。
それが7番目の駅なのか、それとも5番目の駅なのか、調べる気にもなれなかった。というか、調べる術すらなかった。もう、目的地へ自力でたどり着く気力は失せていた。
心身共にヨレヨレだった僕は、駅の公衆電話からジュニオールの実家へ電話を入れた。電話に先に帰省していたジュニオール自身が出た。
僕が今日の顛末を話し、目の前の駅名を伝えると、「そこは実家から1時間も離れた駅だ」と言ってジュニオールは笑いこけた。
彼はひとしきり笑ったあと、「車で迎えにいくからそこで待っているように」といった。
2時間後、ジュニオールの運転する車に乗って、僕はやっと彼の家にたどり着いた。3時間で着けるはずだったのが、6時間の長旅になってしまっていた。

終章

すでにパーティーは始まっていた。
僕がその広間へ入っていくと、集まっていた一族の者全員が立ち上がり、拍手で迎えてくれた。30人ほどの人々が集まっていた。日系人以外の人もいた。
みんな飛びっきりの笑顔だった。指笛が鳴り、「ブラボー」と叫ぶ者もいた。
どうやら、列車での出来事をジュニオールがみんなに伝えたようだ。僕を指さし、腹を抱えて笑っている人もいた。
ひとしきり笑ったあと、正面に座っていた主役がおもむろに立ち上がった。
主役であるジュニオールのおじいさんだ。90才になってなお背筋がピンと伸びた方だった。小柄で痩せてはいたが、その顔に刻まれた深いシワは、くぐり抜けてきたであろう苦難に満ちた人生と強靱な意志を現していた。
おじいさんの背後に、昭和天皇の御真影と教育勅語が掲げられていたのが印象的だった。

ジュニオールのおじいさんは、腰を正確に45度折る美しい最敬礼をすると、
「岡野伊兵衛と申します。遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます。孫が大変お世話になっております。以後お見知りおきのほど、よろしくお願いいたします」
と真顔で言い、直後莞爾として笑った。そして
「そいにしてん鉄道で来るっちゃ、お若いのに肝が据わっておられる。うちの孫どもじゃ、しきらん芸当ばい」と肩を叩き優しく抱きしめてくれた。
「偉かぞ。ジョーベン(若い衆)、胸ば張りんしゃい」
耳もとでそう囁き、背中をさすってくれた掌の思いがけぬ暖かさに、僕はわけもなく涙ぐんでしまった。
(やはり相当に無謀な旅だったのだろうか?)
そんなことを考えていると、伊兵衛翁はやおらピンガの入ったグラスを高々と掲げ、一族郎党に向かって叫んだ。
「ニッポンからお侍が来たっちゃ!乾杯のやり直しばい!」
岡野一族が再び沸き上がり、指笛が吹き鳴らされブラボーが連呼された。

カイピリーニャ(田舎娘の意)

なみなみと注がれたグラスの中身はカイピリーニャ。
ピンガはさとうきびで作られた蒸留酒で度数は40度。南十字星に似合う火の酒だ。ピンガにざく切りにしたライムと砂糖を入れすりつぶす「カイピリーニャ(田舎娘の意)」が定番の飲み方だ。
カイピリーニャを一気に飲み干す。
再び沸き起こった指笛とブラボーの嵐の中で、緊張と疲労が氷のように溶けていくのが分かった。
(お侍か。そう呼ばれて悪い気はしないな。やっぱり日本人なんだ僕は・・・)
何だか嬉しくなってしまった僕はこの日、ブラジルに来て以来初めて意識を失うまで飲んだ。
(了)

後日、この物語の最後に登場する岡野伊兵衛翁から、ブラジルで起きた「勝ち組・負け組」の悲劇の抗争についてお話を聞くことになる。
その件については前回の記事『勝ち組と負け組 日の丸と君が代』に詳しい。

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