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Beが書いたもんどす

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天理教に関してBeが思うことを書いた記事です。批判的なものが多いので、アンチ天理教と思われがちですが、「ホンマかいな?」と首を傾げたくなる「教理もどき」に辟易としている私は、ただ…
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#真柱

ひながたの同行者「中山こかん」考

序に代えて 僕の中山こかん像 noteで雑文を書き始めて以来、いつか”中山秀司・こかん兄妹”について書きたいと思い続けてきたのですが、あまりにも資料が乏しいため書きあぐねていました。加えて「こかんの何について書きたいのか?」と自問した時、それすらも判然としなかったのですから、書けなくて当然でした。 しかし前2作でこかんの兄である秀司について思いつくままに書き散らしたことで、結局僕は”そばな者”の人間的な部分。つまり「理と情」でいうところの「情」の部分に強く惹かれていたことに

秀司さん&儀三郎さんwith Be

最近、SNS上で天理教道友社編『"逸話のこころ”たずねて』という本の朗読を始めた。 人様の前で朗読をした経験は無い。声は通らない、息も続かない。おまけによく噛む。我ながら酷いものだと朗読しながら笑ってしまいそうになるが、思うところがあり、恥を忍んで続けている。 さて、『”逸話のこころ”たずねて』で取り上げられているのは、タイトルからもお分かりのように『稿本天理教教組伝逸話篇』に登場する先人たちである。 天理教を信仰する方であればその名を聞けばすぐにピンとくる、道の黎明期を生

春季大祭を迎えるにあたり-明治二十年陰暦正月二十六日のおさしづ割書から-

本年最初の記事になります。 盟友いっけん氏によるnote『春季大祭を前にして、明治20年陰暦正月26日午後の割書とおさしづを読む』を読んで思ったことを記します。 いっけん氏は上記の記事の中で、割書を「考察」するのではなく「味わう」ことに注力したと言います。 また「この記事の思案は私の“肌感覚”であって、教学を修められた先生方の考察には到底及ばず、しかも及ぼうとも思わず、陰暦正月26日の『割書』『おさしづ』を音読すればするほど伝わってくる、おやさまお隠れ当日に至る情景を追い

復元の実とは何ぞや『祭儀研究委員会答申書』

教祖100年祭を翌年に控えた立教148年(昭和60年・1985年)、『みちのとも』11月号に「特集」【復元四十年 第一部】として、本部員、田邊教一氏による「神道とのかかわりの中で」と題された随想が掲載されました。 その中で田邊氏は「復元とは、単に復旧ではなく、元を極め、根源をたすねる所に、復元の意義がある」という二代真柱の言葉を引用した上で、 と述べました。 「復元」の何たるかをとても分かりやすく教内に示した文章であると思います。 その後、今日までに一般教会においても〆縄

雑感....年祭と諭達と数値目標と別席とか

令和4年10月26日に『諭達』第4号が発布されました。 内容についてはここ何度かの年祭前に出されたものと大きく異なる部分は無く、強いて相違点をあげるなら表現の柔らかさが逆に気になった点でしょうか。「希望もありましたので、今日付けをもって、諭達を出すことにしたのであります」との言葉にも正直なところ、ちょっと拍子抜けしました。 まあ『天理教教規』第21条には とありますので、「希望もありましたので」という文言は間違いではないのでしょうが。 それはさておき、考えてみれば年祭の三年

I'm back!「理の親」再び  

立教153年度(平成2年・1990年)の『かなめ会報』を読んでいて、とても気になるお話がありました。 上の画像は教祖100年祭から4年後、当時の表統領である故深谷善和氏が「かなめ会」で語った言葉です。 読者に分かりやすいよう、以下に黄線枠内を抜粋してみました。 ※深谷善和氏は元表統領室長、深谷善太郎氏(河原町大教会長)の父 深谷元表統領は「かなめ会の席上でも何度か私共に、お預かりしている理の子に対しての、理の親としての心尽くし、という点を重ね重ねお仕込み頂いている訳でござ

真柱のお言葉と『諭達』第四号

立教185年(2022)10月26日秋季大祭での真柱のお話し(諭達全文を含む)を文字起こしました。 皆様方には、本日、秋の大祭に各地よりお帰り下さいまして、大変ご苦労様でした。 また、未だコロナの影響も続く中、助け一条の御用の上におつとめ下さって、心よりお労い申したいと存じます。 少しご挨拶をさせて頂きたいと思います。  (四拍手) 年頭の挨拶で、私は教祖の年祭を、140年祭をつとめさせて頂きたいという旨、お話いたしました。 そしてその後、希望もありましたので、今日付けをも

理の親ってなんだ?-捏造という誹謗中傷への回答を含む-

昭和27年に開講された第14回教義講習会で、講師である山名大教会 諸井慶五郎は「理の子供として、又理の親として、現実の姿には色々ありますが、これを具体的に申しますならば上級教会と部属教会、教会長と信徒、たすけた人とたすけられた人、という事になりましょう」と理の親子の関係について講義をした。聴衆は全国から寄り集った教会長である。教祖の教えに無い理の親信仰が、あたかも純教理の如く伝えられたのである。 この講義の内容に危機感をおぼえた二代真柱は、閉講式において と、柔らかな表現で

理の親ってなんだ?

※こせつ氏からの批判に対する反証はこちらをクリック。 昭和27年に開講された第14回教義講習会で、講師である山名大教会 諸井慶五郎は「理の子供として、又理の親として、現実の姿には色々ありますが、これを具体的に申しますならば上級教会と部属教会、教会長と信徒、たすけた人とたすけられた人、という事になりましょう」と理の親子の関係について講義をした。聴衆は全国から寄り集った教会長である。教祖の教えに無い理の親信仰が、あたかも純教理の如く伝えられたのである。 この講義の内容に危機感を