マガジンのカバー画像

Beが書いたもんどす

58
天理教に関してBeが思うことを書いた記事です。批判的なものが多いので、アンチ天理教と思われがちですが、「ホンマかいな?」と首を傾げたくなる「教理もどき」に辟易としている私は、ただ…
運営しているクリエイター

#中山みき

箸休め -秋の空が七度半変わろうとも-

「全教会布教推進月間」と銘打つこのイベントにケチをつける意図など微塵もない。ということをあらかじめお断りした上で箸休め的にサクリと綴ってみる。 さて、こたびのイベントは”全教”ではなく”全教会”と冠されている。つまりは教会単位で活動しなさい。ということだ。 出直しによるようぼく数の減少に対して、新たなようぼくの誕生がまったく追いつかない、という鄙びた漁村のど真ん中にお許しいただいた教会を預かる身としては、「全教会布教推進月間」というタイトルに、思いきり尻を蹴飛ばされたような

ひながたの同行者「中山秀司」考

序にかえて-おまさのおばんと曾孫の慶一-1.「悲しいくいちがい」中山慶一 いきなりの引用で恐縮ですが、敬愛する中山慶一先生の言葉を紹介します。 道の先人が遺してくれた言葉に触れる時、ときおり「ハッ!」とさせられることがあるのですが、慶一先生の「そらもう、親を思う秀司先生の、人間としての真実の心と、人間の親としての教祖の御思いとは、いつでもくいちがう、悲しいくいちがいやな。」という言葉を目にした瞬間、僕は胸を締め付けられる思いがしました。 慶一先生、さすがは"おまさのおばん

ひながたの同行者「中山こかん」考

序に代えて 僕の中山こかん像 noteで雑文を書き始めて以来、いつか”中山秀司・こかん兄妹”について書きたいと思い続けてきたのですが、あまりにも資料が乏しいため書きあぐねていました。加えて「こかんの何について書きたいのか?」と自問した時、それすらも判然としなかったのですから、書けなくて当然でした。 しかし前2作でこかんの兄である秀司について思いつくままに書き散らしたことで、結局僕は”そばな者”の人間的な部分。つまり「理と情」でいうところの「情」の部分に強く惹かれていたことに

秀司さん&儀三郎さんwith Be

最近、SNS上で天理教道友社編『"逸話のこころ”たずねて』という本の朗読を始めた。 人様の前で朗読をした経験は無い。声は通らない、息も続かない。おまけによく噛む。我ながら酷いものだと朗読しながら笑ってしまいそうになるが、思うところがあり、恥を忍んで続けている。 さて、『”逸話のこころ”たずねて』で取り上げられているのは、タイトルからもお分かりのように『稿本天理教教組伝逸話篇』に登場する先人たちである。 天理教を信仰する方であればその名を聞けばすぐにピンとくる、道の黎明期を生

Articles list(記事一覧)

2024年9月5日更新 ● 箸休め -秋の空が七度半変わろうとも- ● 明治二十年陰暦正月二十六日 「家事取締り役」梅谷四郎兵衛の手紙 ● 鳴物の勉強-実践の心得- ● ひながたの同行者「中山こかん」考 ● ひながたの同行者「中山秀司」考 ● 秀司さん&儀三郎さんwith Be ● (続)春季大祭を迎えるにあたり-『御教祖御臨終のおさしづの考察』より- ● 地震は神の残念・立腹の顕れなのか ● 春季大祭を迎えるにあたり-明治二十年陰暦正月二十六日のおさしづ割書から- ● 教

中山みきー老いて傷つきやすく脆い身体ー

渡辺優博士 東京大学人文社会系研究科・宗教学宗教史学 准教授 昨年の春、彼の論文『教祖の身体-中山みき考』(2015年)を読み深い感銘を受けた。 実は渡辺優氏は僕にとっての「アイドル」である。 なにせ論文が面白いのなんの。掘り下げる対象の選び方にも、凡百には及ぶべくもないセンスを感じている。ワクワクさせてくれる論文の書き手というのは、いそうでいないものである。 この論文以来、すっかりファンになってしまった僕は、親しみを込めて彼を「優ちゃん」と呼んでる。無論一度も会ったことはな