生活

昨日は初のzoomによるオンライン面接を終えて、チラチラと画面の端に映る自分の画面を気にしつつ、一般的な面接より緊張感が薄れていつもより話をよく聞けた。オンラインっていいな。なんでもオンラインだったらいいのに。

今後をどうするかまた改めて考え始めて振り出しに戻った。
メンタルの調子が悪いとついメンタリストDaigoのYouTube動画を見てしまう。
夜なのに現実逃避のために片付けていた荷物をさらに片付け始めた。
本当はもっと荷物を減らしたいが、やっぱり捨てられない思い出がある。思い出は胸の中に仕舞えばいいのか?特別幸せな思い出というわけではなく、見なければ思い出さない思い出ばかりだとも思う。でも定期的に見ているから忘れない思い出にもなっていると思う。それに執着することで私が得をすることはないけど、後悔することが"ありそうな気がする”から捨てられないのかもしれない。
まだ捨てられないが、いつかは手放してもいいかなと思える日が来るかもしれない。そう思えるようになりたいのかもしれないし、そんな自分は少し寂しいと思ってしまう。

モヤモヤした時間を過ごした時、こうやって文章にすると頭の中で消化できた気がして良い。まとまるとは言い難いが、ため息だけで終わらせずに済んだ、

今日は三連休初日。
知人宅へ夕飯に誘われ、なんとなく、確証に近いなんとなくで断ろうかなと思っていたが、今日は三連休の初日ということもあり、自粛期間中ではあるが久しぶりにそこそこ忙しかったので断るタイミングを逃していた。前から私はOFF時の誰かとの予定をドタキャンしたくなる衝動に駆られて実行しまくっていたので、申し訳ない気持ちをアピールして許してもらおうと思う下卑た人付き合いばかりしていて是正せねばと思っていたが、今回はドタキャン案件だった。

お邪魔した知人宅はシンプルでナチュラルテイストなお宅でとても好感を持てた。いいなぁこんな部屋にできたら〜とずっと言っていた。食器や家具が木製だったり焼き物でできていたり、個々にハンドメイド感がありつつも統一感がありとてもいいお部屋だった。

その知人とゲストの間で時折交わされるワードが不穏を呼び、最終的にはそのゲストとLINE交換してしまった。つい最近、断れない自分が嫌だなぁと痛感していたところだったのに、早過ぎるって!

「なかなか勧誘慣れした話術だなぁ、私は絶対流されないけど」
と思いながら全然興味ない態度を取っていたが、そこは既に相手フィールドで周囲は賛同者しか居らず不利だった。さっきまで和気藹々と雑談しながら笑い合っていた空気は一変し、資料を広げ、用紙に説明書きを加えながら明らかに勧誘されていた。「勧誘じゃないよ、怪しくないよ」とは言うものの、いやいや、もう勘弁して欲しかった。

私は別に長期的に見てお得でどこよりも安心安全な生活など求めていないし、未来の子供や減っていく自然のためにどうこうしたいなどとは全然思っていないクズ人間だ。農薬まみれの野菜でもマージン取られまくった商品でも"今"安ければ買う。ついでに人から言われる絶対なんて言葉を全く信じていない。そんなような全く興味のない話を「その話是非聞かせて!」と言われたような熱量で説明されてもこちらは引くだけなのに、それを察せないはずないコミュ力の持ち主が話術でゴリ押ししていくメンタルの強さはもう仕事だなと思った。いつの間にか愛称呼びを始める距離の短縮スピード、時折相手にYes以外の返答をさせる会話、なんだか損をしている気分にさせようとする身近なものとの比較、他者との共通点を見つけてから勧誘に入る段取り、知人の口コミなど…。すごいなぁ、OFFの日でも常に仕事のことを考えているドイツの人(イメージ)みたい。憧れはしないけど。

なんだかなぁ。
「いい人なんだけどね」「悪い人ではないんだけどね」
と言いたくなるような気分だ。それはもう"良"ではないと言うことをあえて匂わせて下げていたんだと思って反省した。私も言われたくない。でもその言葉は自分がいないところでしか発言されないのでどうでもいい。嘘、本当は気になる。

悪い人ではない。
人にはいろんな面があるからその一面だけを見て判断してはいけない。
でも自分が関わる時に見るのが特定の一面だけかもしれない。
「この人にOFFの顔ってあるのかな」と思わせるようなON/OFFが一緒のような人は必ずしも裏表がないということにはならないと思う。だからみんな好きに生きれば良いじゃないというスタンスでいくなら、今日出会ったあの人は、好きで私に私の興味のない話をしていたのかもしれないが、私はまた話したいと思える人とたまにワイワイして好きに生きたいと思う。

ゲームSIREN の屍人は、絶対に屍人の世界の方が美しいから人間を自分達の世界に引き入れたくて仕方がないという設定だ。自分が満足しているならそれで完結すればいいのに。みんな統一していいことなんて無いと思うし、そうじゃないから成立していることの方が多いと思う。白黒グレー、モノトーンだけじゃなくいろんな色があっていいじゃない。
何かに属さず生きていくことはできないが、絶対を信じる人が怖くなる。
人を怖がらせてどうする。

…と思うことが最近身近に起こったばかりで、ああここでもかと思った。私も知らず知らずにそんな行動をしているのかもしれないな。こういう場面に出会わないと気づき改められないのかな私は。私が良いと信じて疑わないものってなんだろう。
福岡はうどん、とか?

あーあ。なんだかなぁ。
私は断れないからドタキャンをよくする。
断れないからドタキャンはおかしいかもしれないが、多分その場で対面していると断れない。あとで電話やメールで何か嘘をついて断ることが多い。相手は案外気にしていないことが多いが、嘘をついたこと・ドタキャンしたこと・何度も繰り返している自分…など気にする羽目になり損だ。
大きな目標になりそうだが、その場で断れるようになろう。
頭の中で帰宅後の予定を立てている自分は予定がないわけじゃないと胸を張って思えるようになろう。

「自分が思っているより相手は自分のことをよく理解している」
でも、「自分の意見を信じるか相手の意見を信じるか」という話にはならないのかと思うし、個人の内面に対する正誤を誰かが判断するのか考えた時、他の多数の意見が正しくなるのは正しいのか?個人と他の意見が一致しなければいけないのか?
前提条件にケチすら付けられていないと思うが、私はそんなことを思った。
どちらの意見も参考に考える程度でいいんじゃないかな。

だから私は人見知りでも恥ずかしがりでもなく、人が怖いのだと思った。
誰からも絶対にそうは思われないであろう、今のところ私が思う"絶対"正しい意見だ。

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