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『隣の家の少女』と想起された暗い記憶

ジャック・ケッチャム著、金子 浩訳の『隣の家の少女』(扶桑社、1998年(米国での初版は1989年))を読んだ。昨年、『玩具修理者』(角川ホラー文庫)で一部では有名な作家、小林泰三氏が逝去されたということで、このところ彼のホラー作品をいくつか読んでいた。その流れで「King of Horrorであるスティーブン・キングが絶賛している」と知り、選んだ作品。

とにかく陰惨な内容。それと共に、自分の中にある古い記憶が呼び覚まされた。もちろん、かなり暗い記憶。



以下、ネタバレを含むので、ご注意を。残酷な描写、いじめの話題もあるので、それらに敏感な方にはお薦めしません。



この小説は古き良き1950年代のアメリカの田舎町を舞台としている。交通事故で両親を失った15歳の快活な美少女メグとその妹スーザンの姉妹が、親戚を頼って預けられるところから物語は始まる。語り手は隣の家に住む12歳の少年であり、41歳になった彼がその当時を思い返す形で物語は進む。

姉妹の預かり先は亭主が蒸発してしまった女ルースとその3人の息子たちの家であり、物語当初まともに見えたルースは急速におかしくなっていく。ルースの指示のもと息子たちと近所の子供たちはメグへの精神的、肉体的な虐待、凌辱を繰り返し、最終的には彼女を死に至らしめてしまう。そこに一切の救いはない。最後の最後、ルースが無様な死に方を見せる以外には。

この記事を書くにあたりWikipediaで調べてみると、この小説はアメリカで実際にあった殺人事件をモチーフにしているそうだが、日本人ならば「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を思い返す人が多いかもしれない。そう書くと、どれだけ残酷な内容なのか推測できるのではないだろうか。

この小説には後半、メグの身体に灼いた縫い針で卑猥な文章を刻印したり、同じく灼けたタイヤレバー(棒状の金属製工具)で陰部を焼いたりするという、これまた読むに耐えない記述がある。その一節は僕に中学生時代のことを思い起こさせた。

当時、学校の教室には達磨ストーブというものがあり、冬場はこの中で石炭を燃やして暖を取っていた。その管理は生徒に任せられており、着火、火力の調整、消火などは男子生徒が担当していた。刺激を求めるそれくらいの年齢の子達には格好の遊具であり、力の強い、今でいうところのスクールカーストの高い一群が占有していた。

あるとき彼らのうち一際目つきの危ない奴が、おかしな事を思いついた。ストーブの操作をするために金属製の火掻き棒を使うのだが、それをストーブの中にしばらく突っ込んでおくのだ。そうすると火掻き棒の先端は真っ赤に灼き上がる。それを木製の床に押し付けると煙が上がり、長さ3cmほどの黒い焼き印が刻まれる。彼らはこの新しい遊びに夢中になり、ただそれだけのことを喜々として繰り返していた。教師たちは日を追うごとに増えていく床の刻印に気が付かない。しばらくするとストーブの前には黒い花が咲き乱れることになった。

当時、僕はいじめの対象になっていた。真面目で成績が良く、球技が苦手。見た目も色白で女性的。いかにも弱そうだった。授業が終わるごとに床に引き摺り倒され、何人もの男子生徒が上から覆い被さってきた。人間ミルフィーユ。重いし、痛い。そして身動きが取れない。

それだけなら次の授業のチャイムが鳴るまで耐えれば済むことだった。しかし、いつその灼けた凶器を押し当てられるかだけが不安だった。一歩間違えば、そんな事態も起こりかねない危うさを、その場は孕んでいた。小学生時代にはすでに集団心理とは恐ろしいものだと、僕は散々思い知らされている。

幸い現在の僕の身体に火傷の痕はない。しかし、それを彼らに感謝する気にはなれない。

単なる妄想だと言える人は、自らの幸福に感謝すべきだ。

今でも何かの拍子に思い出す、灼熱の赤に輝く暗い記憶。



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