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躁鬱の波形:正弦波とのこぎり波 〜その2〜 そして「キューブラー=ロス モデル」まで

その2、と言うより先日あげた記事の訂正? である。後半に行くほど暗い話なので、ご自分の精神状態に合わせて適当なところでやめましょう。

昨日、今年最初の診察に行きました。いつも通り、調子はどう? と訊くので、

カサンドラ:昨年末までは躁っぽかったんですが、急に軽い鬱に落ちました。先日お話ししたように、躁の後に必ず日を置かず鬱が来るんですよ。(持って行った資料に書き込みながら)こんな感じの波形で。
主治医:それは、普通なんじゃないかな。
カサンドラ:(狼狽うろたえつつも)でも、双極性障害のパンフとかには正弦波っぽく描いてありますよね? 
主治医:嗚呼ああ、あれ間違いだから。
カサンドラ:……。
主治医:躁が来るから鬱が来ると考えられているんだ。躁さえ来なければ、鬱は来ないんだよ。躁の振れ幅を徐々に小さく、間も空くようになれば症状は改善さr……(途中から聞こえていない)

10年以上に渡るデータを元に提唱した僕の仮説は、医者の一言で霧散した。ただの「普通」だった。そして正弦波は、そもそも「間違い」だった。(注:一精神科医個人の説かもしれませんので、情報の正確性は保証しません)
でも、これまでもずっと躁鬱の波形(正弦波とのこぎり波)の話、してきたよな。なんだよ、今頃になって。もっと早く説明しろよ。

そして肝心の躁鬱の振幅、この10年弱は小さくなって無いですよね。しかも相変わらず急速交代型で、周期もあまり変わってないと思いますが、どうなんですか。

それ以前の7年ほど、クローズ就労で働いた。通勤は片道2時間以上。少しでも体調が悪くなると出勤できなかった。年次休暇は貯まるどころか年度が始まるとすぐに使い切り、それでも足りず欠勤で減給。仕方なく、その部署の責任者だけには事情を打ち明けて働いた(つまり、実質的にはオープン就労)。不規則型睡眠覚醒リズム障害が始まるまでは。

ラモトリギンを処方された時は重篤な皮疹が出た。オランザピンでは血糖値が急上昇し(しかも、他の病気の検査で見つかった)、今も正常値に戻らない。しかし、忘れてまた処方しようと言い出す。どちらも、副作用に関するまともな説明はなかった。


それなら転院すれば良いのでは? と思うかも知れないけれど、色々と問題がある。僕は精神疾患の診断名なんて医者の気分次第で、それほど再現性が高いものでは無いと考えている。診断基準は決まっているらしいが、最終的には患者の自己申告というあやふやな情報(問診とも言う)を元に医者がそれまでの経験(勘とも言う)で評価する。定量的バイオマーカーは存在しない。
定量的評価法と言えば光トポグラフィ(NIRS)という気分障害の補助的な鑑別法があった気がしますが、最近も使われているんでしょうか? 

さて、転院先で診断名が変わったら、どうなるだろう? いま現在獲得できている福祉関連の諸々がご破算になる可能性がある。僕が仕事と呼んでいるもので、その額を賄うのは難しい。

転院先で正しい治療をし、働けば良い。正論だ。しかし、今の医者が正しくて、転院先の医者が誤診をするかも知れない。これでも僕は二大精神疾患の患者である。誤診されたら、「ランク」はほぼ確実に下がる。そして何の精神疾患だとしても、完治するなんて極めて疑わしい。「寛解しました、良かったですね」などと言われて中途半端に治ったことにされ、社会に放り出されても困る。そして、どのような職種に就くのか。僕が嘗て獲得した能力は、もう如何なるアドバンテージにもならない。悲しいことに、もう若いとは言えないのだ。リスクを取らないのが正解。そう、

僕は健常者に近づけるかも知れない可能性を
金銭に変えて生きている。

醜悪だ。生活保護の不正受給と大差ないように思えてならない。


昨夜、京王線の車両内で放火しようとした犯人のドキュメンタリー番組のようなものが放映されていた。彼らを擁護する訳ではないが、不幸な出来事が重なったとき、「なぜ自分だけが、こんな目に」と思うのは、それほど不思議なことでは無いと思う。しかし、スタジオのゲストたちは当然、彼のことを口々に責めていた。そして「人間は辛いことを乗り越えてこそ、成長できるのだ」とも。

アメリカの精神科医であるエリザベス・キューブラー=ロスは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)や重篤ながんなどの、治療法が無く致死性が高い難病を告知された際、患者がその事実を受容していく過程、つまり「死の受容のプロセス」について1969年に発表した著書『死ぬ瞬間』の中で「キューブラー=ロスモデル」を提唱している。以下の5段階からなるが、すべての患者がこのような経過をたどるわけではないとも書いている、とのこと。

1.否認・隔離
  自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階
2.怒り
  なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階
3.取引
  なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階
  何かにすがろうという心理状態
4.抑うつ
  なにもできなくなる段階
5.受容
  最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階

Wikipedia『エリザベス・キューブラー=ロス』の項より一部改編して掲載

個人的には、彼らは第2段階と同じような位置にいると考えている。もちろん肉体の死ではなく、精神の死だが。攻撃性を他者に向ける特徴も共通するのではないだろうか。

この手の犯罪のニュースを見ると、「なんでこういう人たちは自分だけで死なないんだろう?」と言う人もいる。内弁慶なので外では言わないんだろうけれど、あまり良い気はしない。

精神疾患の患者というのは順番はどうあれ、どこかの段階に足を踏み込んでいるのだと思いますよ……。


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