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「双極性障害 + ネガティブワード」検索

鬱に至る前には

自分には鬱に転ずる前触れとして、夜中にgoogleなどで長時間にわたり「双極性障害 XXX」を検索ワードにサイト巡回し続けるというのがあります。もちろんXXXにはアダルトでムフフな単語ではなく、自死、自殺、離職、離婚などの、いわゆる「双極あるあるネガティブワード」が入ります。自殺関連のワードを入れると、最近は必ず上位に厚生省の自殺対策、電話相談のサイトが引っかかりますが、ここに立ち寄ったことはありません。電話相談ってなにさ?事情も知らん人に、壊れたレコードのように(死語 → 一周回って復権?)マニュアル通り「自殺はだめだよ」とか延々と説かれても何かの役に立つとは微塵も思えない。万が一、気の迷いで掛けたとしても混み合ってて繋がらないって聞くからなぁ。却って凹むわ。

全然関係ないけど、10年連続だっけか自殺者が減ってるって嘘くさい。変死に割り振って統計上はそんな結果を出させている為政者がいるとしか思えない。誰とは言わんけど。

メタ的視点の構築と、その価値について思う

よく医者は、この疾患では自分の精神状態を自らで捉えられるようになるのが大事、と言いますが…。

早めに「落ちてきたな」と気付いたところで落ちる時はどうしたって落ちるのだし、逆に操状態をリアルタイムで捉えるのは、ほぼ不可能。発症から15年以上経った今でも、後からの「(また)やっちまった感」で、あの時は操だったと気付くのみ。躁のときはやっぱり楽しいし、上手くコントロールすれば普段の自分以上のことが出来るはず、とも思ってしまう。実際、かつて振り返ってみると、研究とかしてた頃アイディアが浮かぶ時期は睡眠が極端に短かったり、少しおかしかった気がする。プレゼンしても通らないと相手が上司であろうとも無能扱いしたり、隠れて空き時間を作って好き勝手に進めたり。研究職は自分のペースでできる(?)から双極性障害の人には向いている仕事という記述を時々みかけるけど、必ずしも真ならず、ってとこです。

こころの奥にあるものは

閑話休題。

検索して出てきたサイトを見て回るのですが、その先には、「この人、自分より辛そうだな」とか、「自分もこの先、この人みたいに生活が破綻していくのだろうか?」と思わせる世界が広がっている。調子の悪い時に情報発信するのは難儀だろうから、書き手は少ないが。自分は彼らに対して何もしてあげられないけれど、彼らが書き綴ったそんな想いを、ただただ拾い上げていくだけの作業にも意味はあると信じたい。

しかし、そんなボランティア精神だけでサイトの巡回を繰り返している訳ではないことを懺悔の気持ちと共に告白しておく。結局のところ、この作業に明け暮れる原動力、その最奥には自己憐憫があると考えている。自分の辛く苦しい気持ちを上手に表現してくれる文才のある人に出会いたいだけなのかもしれない。更に言うならば、より辛い立場にある人の存在を知ることで安心しようとする、とても醜い自分がいることにも気付いているつもりだ。

重要なことなので何度でも言います

ところで、ネガティブワード入れても何故かポジティブなサイトが引っかかってしまうことがある。悪意あるトラップか?まぁ大概が病院、医者のサイトだが、一般のサイトにも無くはない。その中でも腹立たしいのが前にも書いたが、どこかにテンプレがあるらしく、破廉恥にも、

双極性障害は薬さえ飲んでいれば健常者と同等の生活ができる疾患です

と書いてあるサイトだ。じゃあなにか。普通の生活とやらが出来ない方が悪いのか?この一文に、難治性患者がどれだけ傷ついているのか、考えたことがあるのか?勇気を出して周囲に精神疾患であることをカミングアウトしても、ネットで検索したら大したことない病気だと思われてしまう可能性については考えないのか?

本当、この不正確極まりない、かつ配慮に欠けた文字列は、早いところ全面的に削除して欲しい。


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