見出し画像

今ここで見つけたタカラモノ

何を書こう、なんて考えた時点でこの指を止めてさっさと寝たほうが自分のためになると思うのですが、思ったより書くことが楽しくて今日もこうしてPCに向かっていました。「書く」という作業は私にとってそこまで苦ではないようです。

note以外にも日記をつけたりノート(物理)をつけたりしてます。
まあこれは就労移行支援に通い始めてから生まれた習慣ですが。
自分の生態を俯瞰するのはどうやら人間的には健康な活動みたいですね。

引きこもっていた時期は天井とスマホを眺めてたら1日が終わってた、なんてことはザラにありました(今もたまにあります)が、日記をつけたり自己分析とか言う啓発本でしか聞かない単語を馬鹿みたいに受け取って実践を繰り返した結果、幸か不幸かそうした過ごし方は最近は減ってきています。これが世に言う認知療法ってやつなのかもしれません。知らんけど。


私にとって自己分析なんてものは、新卒就業を目指すモラトリアム真っ盛り、かつバイトやサークルで飲み歩いていた以外これといったエピソードを持たず、親の脛を齧り続けて生きてきた結果自分の力で何かを成し遂げる術がなく人生の肝心な場面で窮地に立たされた文系大学生が半泣きで取り組むものという印象がありました。当時の私がそうでした。今もその状況に立っています。

四半世紀以上も生きてきて何やってんだ、とお思いでしょう、そうでしょう。私もそう思います。恥の多い人生です。


で、何やってんだって自己嫌悪を交えながら真面目腐って自己分析というものに学生以来取り組んだのが今日一日のハイライトでした。私のノート(物理)にはとても人様にお見せできない小っ恥ずかしいアレコレがそれはもうビッシリと刻まれています。今日以降も続きそうです。
果たしてこの行動に何の成果があるのかは未来の自分以外の誰も判断できないのですが、目に見える成果もありました。それは

「あ、悩みを相談できる友達って大事だな」

と気付けた事です。
悩みを相談したいな、この人には聞いてもらいたいなと思える人がいるなんて。相談される側からはこいつマジかよって思われそうですが。
それでもこんなコミュ障引きこもり陰キャにもそんな存在がいたことに感動します。

実際過去に何度も相談に乗ってもらったり励ましてくれたりした友人たち。
私の激重ノートに書き刻まれた決して多くはない友人たち。
文字の羅列だけで宝物です。どうか嫌がらないでほしいなと思います。

誰かの為に報いる人生というのは考えた事がないですし今後も考える機会は少ない気がしますが、私の極々小さなキャパシティの中で大切にできる人は大切にしたいと思った次第です。


今回も読み返したら小っ恥ずかしくて数年後に消したくなりそうな記事になりました。
真っ当にnoteを使い始めて約1週間、いろんな方のエントリーにちょろちょろっと目を通していますが、情報がゴリっと詰まっててそれでいて重さを感じさせない記事を書ける方が沢山いらっしゃってトキメキが止まりません。

私も、興味分野でそうした記事を書けるようになりたいですね。
いつになるのか知らんけど。気長に取り組みます。

本日も最後までお読みくださりありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?