【読書感想文】 - 無限色の空
無限色という言葉は、とある楽曲の歌詞に使われていた印象的なフレーズで、知ったのは割と最近、というかここ数日の話です。
調べたところ、これといって意味が定義されていないようでした。
概念というか、言葉のつながりが持つニュアンスで無限色という言葉は使われているようなので、僕の中でも勝手に『無限色=黒「と」全ての色』と定義しました。違ったらすみません。
オオルリ流星群を読んで
何かしなきゃいけない、でもその何かが何なのか、わからないまま日常のスピードについていく事に必死で、いつの間にか何もできない自分を肯定できなくなってくる。認められなくなってくる。
以前の自分には間違いなく情熱も信念もあって、青春を過ごしていた。
でもある出来事がキッカケでその頃の気持ちに決着が付けられなくなり、思い出がただの色彩豊かな宝物では無くなってしまっているような感覚。
物語の語り部となる久志(ひさし)、千佳(ちか)と、主要登場人物の年齢はみんな45歳。僕と非常に近い世代の人たちです。
何らかの理由で人生に行き詰まり、人生の迷子になっている状態の彼らが抱えるのは不安、葛藤、焦り、無力感。
そして年齢からくる「今更」という諦めや、経験でいろんな事を「知ってしまっている」事で、夢や目標はおろか、自分自身にも期待が持てず、心を向けられなくなってしまった。
ミドルエイジ・クライシスと呼ばれる彼らのリアルが、そのまま錘となって胸にのしかかってくるような、そんな切実さがありました。
しかし物語中盤以降、登場人物の1人である彗子(スイ子)と共に、「自分達の天文台を作る」という一つの目標に没頭していくことで、登場人物たちの心にも変化が訪れます。特に久志と千佳はそれぞれの現状、過去、未来に改めて向き合い直す事になるのですが、このあたりの感情の機微に胸の奥から込み上げてくる熱さがあり、涙を堪えながら読んでいました。
僕自身、常に不安に怯え、とにかく「何かしないといけない」という強迫観念にも似た思いが、常に体にまとわりついています。
特にここ数年は、毎日のスピードについていくのがやっとで、日毎手からこぼれ落ちていく大切な思いに気づかないまま時間だけが過ぎていきました。心の奥にある錘はこぼれ落ちた気持ちを吸っているのか質量をどんどん増して、気がつくと錘のせいで身動きが取れなくなっている。
体が心に追いつかない時、錘はますます体の中で比重を増やしていきます。
身動きが取れなくなった頃には、自分1人の力でどうにかするのは多分無理です。
幸い家族や友人、主治医、通っている就労移行支援事業所の職員さんのご助力もあり、今はいくらか没頭できるものを見つけたりこぼれ落ちた気持ちを掬い上げたりと、いくらか状況は変わってきています。前を向く目線を持てて、少し錘も軽くなった気がします。
何か問題が解決したわけではないです。
自分の病気も治ってないし、投薬なしで生活していいような状況でもありません。少しだけ前向きになれた、それくらいのものです。
でも「それくらいのもん」がどれだけかけがえがなくて、大切なものか。
作中でも友人、家族、そして友人とまで言えないはずの間柄だったかつての同級生たちの力を得て、当時の情熱や自分の周りに溢れる温かい感情に気づいていきます。
「星食(せいしょく)」とは、ある天体が他の天体を隠し見えなくしてしまう現象、だそうです。
状況はすぐには変わらないし、キッカケを貰えたとしてもそれは一つの道筋が見えただけで、問題が解決できるかどうかはまた別の話なんですよね。
この『オオルリ流星群』は、俯いて震える自分の足から視線を空に移せば、いつか星食の中見失っていた輝きをまた見つけられる。
彩られた星を写す無限色の夜空に、自分だけの星をもう一度見つけられたら。
前を見て、空を見上げて、夢とか希望とかいうには恥ずかしいけど、何か自分が進みたいと思える方向をもう一度探そうと思えるような、そんな力を与えてくれる、とても温かい作品だと思いました。
元々フォロワーさんが紹介されているのをきっかけで読み始めたのですが、おかげで大好きな作品がまた増えました💫
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
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