見出し画像

いつのまにか

「〜のはず」「〜であるべき」「絶対〜」のような強い言葉で、その人の決めつけや思い込みで話を打ち切られたり方向を決められたりしてしまうと、
中々しんどいなあと感じるし、実際しんどくなって対話を諦めてしまう事があります。
「あ、なんかもういいや」と心のシャッターを締めて、適当に相槌を打って話を終わらせた経験は、誰しも一度くらいはお持ちではないでしょうか。

ただ、そんな風に感じる時って自分も同じような事を口にしてる事が多いんですよね。会話が終わった直後はモヤモヤ、イライラとしているんですが、冷静にその会話を思い返すと「あっ」と気付きます。そしてモヤモヤとイライラが自分に返ってきます。


人生経験の多寡についてはいったん置いとくとして、歳を重ねたなりの経験値から「大体こんなもんだろ」と自分の中で線を引いている物事は結構あります。こと人間関係については、直感とか肌感覚とか、言葉に結びつく前の無意識で距離を取ろうとする事が、それはもうたっぷりとあります。
決めつけや思い込みで喋る人だなあ、と私が感じた人は、私の決めつけと思い込みでそういう人になってしまっているのかもしれないです。

そしてそんな事言い始めたらキリがないので、自分の心を守るために結局何処かで線を引くのですが、これは自衛という名の他責のようにも思います。

でも一切他責なしで自分の心を守れる人っているんでしょうか。
その人個人にボールをぶつけることはなくても、常識とか社会通念とか、あるいは関係ない誰かを代替品にして、それにひたすらネガティブなボールをぶつけまくってる気がします。所謂壁打ちってやつです。
(SNSなどで使われる壁打ちはもう少しソフトなニュアンスですが、他に適当な言葉が思い浮かばないのでひとまず壁打ちとします)


『現在のような悩める時代にあって、心身ともに健全と言うこと自体が、異常であり、おかしいのである。健全と言うことは、すなわちデリカシーの不足あるいは想像力の欠如ということであって、私たちは先ずこれを排することから仕事を始めねばならぬと思う』

中公文庫『怠惰の美徳』(著・梅崎春生)から引用

私の愛読書の、大好きな一節です。
このマインドは本当に大事にしたい。

「え、ここまで読んだ事なんて今まで考えた事もなかったけど」という方も、もしかしたらいるかもしれません。
今回の話はそういう方の存在を考慮していません。そんな人はいるはずがないと、私自身が決めつけているからです。いらっしゃったら本当にすみません。こんなこと書いといてなんですが、全く他意はないです。

ある程度は壁打ちで解決できるようになり、若い頃に比べれば誰かを傷つけるような事も多少は減り、若い頃に比べれば円滑なコミュニケーションを取れるようになってきたな。
と思っていましたが、案外そうでもないようです。壁打ちで跳ね返ってきたボールが転がりすぎて足元が掬われそうです。


壁打ちをやめて、ちゃんとその人と向き合えれば多少は見え方が変わるかもしれません。そんな事を感じた一日でした。

また乱雑な文章になってしまいました。
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?