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#019_231107 新しいダンスシューズ;デイリー通信簿

【朝】→4
6時起床→二度寝…がっかり
訪問看護→訪問看護に会う時間が「演技」の時間になりつつある。もう、かつてのように本音を打ち明けられない。

【昼】→5
新しいダンスシューズが届く。1年かけて節約して貯めたお金でやっと買えた。ランニングシューズでスタジオに入っていたところ、インストラクターに注意されたけど、急には買えないと困っていた。そこへ「サイズが合えば、どうぞ」とお下がりをお譲りくださるご婦人がいた。一人っ子でお下がりの経験がなかった私には彼女の計らいがとてもありがたかった。優しいと思った。おかげでスタジオでの活動を辞めず、続けられた。

【夜】→7
新シューズを履くとまるで異次元の世界に降り立ったよう。足の裏が柔らかくなり、地球を感じられる。地面に吸い付くような心地良さ。今まで痛かった膝や腰が痛くない。膝や腰が痛いのは体重を減らせないからだと思い込んでいたけれど、シューズを変えたら、全然違う。

レッスン2本、完遂。よく動けた。うれしい。帰りも約2kmを歩くのだけど、スタジオシューズを変えたおかげで、外履で歩く時も軽快。シューズは大事。

職業を失って、節約に努めねばならない身の上、とはいえ、膝や腰の痛みを抱えたまま、スタジオ活動を続けていたら、最悪、手術とかかえって経費がかかったと思う。

私がスタジオでの活動をしていることを「贅沢」と思う方もいる。シューズを買うなんて身の丈に合わない、とのお叱りもある。けど、私にとって、踊ることは食事の次に大事なこと。傍目、派手な生活をしているように思われるかもしれないけれど、私から踊ることを奪えば、きっと、生きてはいけない。

私たちは一人一人がそれぞれ異なる心を持って生きている。心のど真ん中、ド・ストライクに来る活動を職業にできたら最高に幸せ。私の踊る活動はたまたま収益化できない活動に振り分けられているだけ。社会が変われば、私の活動にもひょっとしたら「価値」が生じるかもしれない。けど、踊ることによって私自身の生きる気力を高められ、今とこれからを頑張ろうと言う気にもなれる、それだけで私にとっては十分価値ある活動。それ以上、見返りを求めているわけでもない。他人にはわからないのかも、踊ることが私にとってどれだけ大切なことか。

【SRED】→8
やった!食べずに眠れた!

【総合】→7
働けない身の上であるにもかかわらず、スタジオでの活動をしている今をありがたく思う反面、働けないことを後ろめたく思う気持ちも大いにある。

訪問看護が「フードバンク利用中止」と言い出したのも、ひょっとするとそんなふうに私を追い詰めたら、働く気になるという思惑なんじゃないかと思う。働いてスタジオに行けば世間体も良い。

今まで十分、喪失感を何度も何度も経験して、その度に乗り越えて、一時は踊ることも断念して、実家のために働いていたこともあった。結婚も諦めた。それを不幸とはあまり思わないけど、生きている間に一度くらい「幸せな時代」を作りたい。

まだ5年後も10年後もモヤがかかってイメージはできていないものの、辛い状況から脱するためには「今できること」で「楽しいと思えること」を続けていくことでしか心境も変わらないし、状況も変えられない。働く気になるかどうかを訪問看護に決められたくはない。指図もされたくはない。自分で納得して決断する。

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