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04号から05号まで日記 0523-0529

0523

注文が減ってきたので梱包&発送作業からやや解放された。早朝や深夜に黙々と単純作業ばかり続けていると、頭の調子が狂ってくる。

 

01号と02号は合本にしないで、別々のままでよいと考え直す。

理由は、以下のような感じ。

 

・ページ数が多くなると読むのが大変

・編集後記や目次を書き直すのが難しい

・合本にしてボーナストラック的なページを入れたいが入れにくい

・おまけに豆新聞をつけて、執筆編集に関する日記とボツ企画について書きたい

・どっち道、両方を購入する人が多いだろうから制作しやすい方にするべき

・豆新聞だけ欲しい人(初版を買った人)には数百円で別売りすればいい

・豆新聞のタイトルは仮に「おはよう!B.C.Q.新聞」「ひるどき!B.C.Q.新聞」とでもしておく

 

作っている自分も01.02.03号までと04号との関係が曖昧で区別しにくい。売り方としては「01.02号セット」と「03.04号セット」とで2つに分ける予定だが、内容では04.05号が「前後編」という風に見えるかもしれないし、「ドゥワッチャライク」に関する文章があるので、03.04.05号というまとめ方もできる。

 

どこで区切っても変ではないし、04号から入って、03.→02.→01と進んでも支障はない。時系列がバラバラで、終盤になって全体像が見える映画のような感じ。

これを再編集する際には、時系列順にする方法も考えられる。

総集編A:簡潔で入門書的なまとめ

総集編Z:長くて増補版的なもの

まずZを時系列順に作ってから、圧縮してAを作れば楽にできるかもしれない。その方が無難だし、販売もスムーズに進められる。

 

 

0524

「短歌研究」を買ったら、意外なことが書いてあった。坂元裕二脚本による映画「花束みたいな恋をした」に出てくるカップルの親しくなるきっかけが穂村弘と長嶋有の本なのだとか。私もこの二人は尊敬しているが、短歌評と漫画評が好きなので、本業の「作品(短歌自体や小説自体)」の方はさほど熱烈には読んでいない。しかも「短歌研究」と同時に買ったのがブルボン小林の「有名人の愛読書50冊読んでみた」なのだ。余技を褒めてしまうと失礼になるのではないかという遠慮があるので声を小さくして言いたいが、三十年後にも読まれるのはそっちの方ではと思う。

 

 

0525

ブルボン小林(=長嶋有)の本を読んでいたら、アーサー・ランサムを愛読書に挙げている有名人がいた(何かと話題になる人)。「海へ出るつもりじゃなかった」ではなくて「ツバメ号とアマゾン号」。

 

余技と本業の関係でいうと、映画監督がエッセー集を出した場合(たとえば西川美和)、明らかに本業と余技の間に上下関係が生じる。しかし穂村弘や長嶋有はそれほど上下関係を重んじてはいなさそうである。ちなみにアーサー・ランサムの本業は文芸評論家で、余技で書いた児童文学は不滅の名作になっている。

 

 

0526

次の05号に書いてみたいテーマがチラホラと頭に浮かぶようになった。

 

 

0527

新潮文庫に入った「ルポ 川崎」を読んでいたら、山田太一と小沢健二の対談について触れられていた。ニュータウンのできた頃から90年代くらいまでは山田太一と小沢健二に代表されるような人々の街でもあったのだ。川崎とひと口に言っても「南」と「北」とではかなり様相が異なるらしく「川崎ノーザンソウル」という命名は鋭い。2話の後でまた8話でも同じ話題の続きがある。

 

 

0528

段ボールの底にある04号を見たら、表紙の隅が少しよれているので「アウトレット紙ものコレクション」とあわせて600円くらいで販売しようかどうか考える。

 

 

0529

「スポーツから元気をもらう」というコメントやキャッチコピー風の文を見ると理解に苦しむ。自分は良い批評や評論風の文章を読むと心身ともに調子がよくなるので、おそらくこういう感じに近いんだろうなあと推測はできる。今日は虫明亜呂無の「女の足指と電話機」を読んで元気をもらいました。

 

 

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