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05号制作日記 0901-0930

0901

会社の某さんが感染したかもしれないということで、PCR検査の結果を待っているとのこと。しかも某さんは定年退職するかもしれないとのこと。もっとお若いかと思っていたので意外だが、その分だけこっちに仕事が流れてくる可能性が大なので、年末からはかなり忙しくなるかもしれない。

カレンダーに自分の走り書きの文字で「会議(お~い)」と書いてあるので何かと思ってよく見たら「会議(よてい)」だった。


会社の某さんは陰性だったが、名古屋の市長も感染したというニュース。


0902

インタビューの件が進んで、たいへん刺激になり、他の原稿の構想も頭の中で進んだ。7割ほどできていた構想が9割に進んだ。


0903

03号の「フリッパーズ・ギターの時代と言葉」の続きのような形にして、話し言葉で書けば、批評や考察に関するあれこれを書きやすいのではと思いつく。


0904

木崎賢治「プロデュースの基本」を読む。この人は牧村さんと同じ年齢だが、かなり印象が異なる。


0905

寺本幸司「音楽プロデューサーとは何か」を読む。FGとの関係でいうと、浅川マキのバックでピアノを弾いていた渋谷毅=「大人になれば」のピアノの人である。浅川マキの生まれた1月27日は小山田圭吾の誕生日でもある。


0906

質問にもいろいろあって、単に「〇〇についてお伺いしたい」ではよくない。「〇〇の✕✕が△△であった点について、当時と今の見解は異なるのかどうか」くらいのピントの合った問いかけを投げなければ、ボールを返してもらえないと考えるべき。浅い質問には浅い回答が戻るのみ、深い質問は深層に眠っていた重要な何かを引っかける鉤になり得る。


0907

昨夜は珍しく咳が出たので、もしやと思って焦った。早めに寝たが、結局また夜中に起きて何かをしてしまう。計画的に物事を進めるには、計画的に休まなければいけない。


0908

内田樹「街場の芸術論」を再読する。大瀧詠一論や村上春樹論など。平田オリザとの対談に出てくる合気道の話題や公共性、演劇論などはプロデューサーについて考える際の手助けになってくれそう。展覧会のプロデューサーに関する本も借りてきた。


0909

あらためて「ニッポン・ポップス・クロニクル」を読み直してみると、余白や行間に多くの情報が見えてくる。あっさりした記述から、大きな力や流れや反復が浮かび上がってくる。固有名詞の理解が進めば進むほど、複雑な掛け算が増えてきて頭がクラクラする。あれこれメモを取る。


0910

「ニッポン・ポップス・クロニクル」を読み返していると、今となっては世界的に有名な竹内まりやの「ヴァラエティ」への言及がある。本作の発売された84年は自分が中二で「イーチ・タイム」「人気者で行こう」「VISITORS」「カラー・バイ・ナンバーズ」などと一緒に聴いていた。当時「ヴァラエティ」を聴いている友人は一人もいなかったが、データを見ると初登場1位、年間売り上げの11位なのであった。


0911

先月は「木曜殺人クラブ」でひどい目に遭った。しかし同じポケミスの「拳銃使いの娘」を読んでみたら、テンポよくスイスイ読める。刑務所から出てきた父親と、11歳の娘が命を狙われつつ逃げつつ攻撃するというサスペンスで「ペーパー・ムーン」「レオン」「子連れ狼」を意識して書いたそう。アメリカの犯罪ドラマの脚本家が最初に書いた小説が本作で、エドガー賞の新人部門の受賞作とのこと。


0912

今日は「music is music」の日。久保田麻琴さんがゲスト。あれこれと発表があり、ここには書けないが驚きの展開が……!半年後くらいには大っぴらにできるかもしれないので、この日記を読んでいる方はお楽しみに。


0913

やるべき作業の優先順位を少し変えて、後回しにできることは後に置き直すことにする。プロデューサーについて考える場合、プロ野球やサッカーのコーチングや育成メソッド、監督論なども参考になるはずなので読んでみたが、なかなかうまく比較できない。用語として参考になりそうなものは「負のフィードバックをいかにして伝えるか?」など。組織内の意識の統一など、たとえばトラットリアの場合はどうなっていたのか?


ジブリの「熱風」でガンダムの監督の富野某が高畑勲について語っているが、下品で嫌になってくる。「あの顔でピアノを弾ける」とか「あの東大の仏文科が」とか半分は悪態のような、馴れ馴れしい発言がくどい。本人は面白いつもりで言っているこの種の発言をノーカットで広める必要はないので、もう少し編集するべき。


0914

社会で起こる出来事の先を知ろう、考えようと努めるのはいかにも知的な態度に見えるが、実際は臆病さによって動いているだけかもしれない。

インドア派の読書にしても、アウトドア派が見聞を広めるための旅行にしても、実は臆病さによって衝き動かされているのではないか。

先のことを考えず、計画性に乏しく、今しか見ない人は、この種の臆病さが足りないともいえる。良質の臆病さを思考や感性を動かすエンジンにするべき。一方で、悪質な臆病さは、デマや噂に餌を与えてしまう。


0915

二回目のワクチンを打ってきたので、ひと安心できた。昨夜はSF作家の大原まり子が反ワクチン派になってしまってツイッターのアカウントが消されて、ブログも読めない状態になっていた。


0916

週刊文春に小山田圭吾のインタビューが載るというので買ってきた。読んでもこれといって意外な話はなく、これまで多くの人が考えていた真相と大差ない。

オリンピックの仕事を引き受けるのに「正式に契約書にサインすらしておらず」、大騒ぎになっているのに「最後まで組織委員会や政府関係者と話す機会はありませんでした。」とのこと。

仕事は白紙というが、アンチが図々しく「もう表舞台に出るな」と書いているのを見ると、擁護したい派の自分も「表舞台に出る必要があるのか?」と思う。殺害予告までされて、狂犬みたいな連中が咬みついてくる危険を引き受けてまで、一般向けに作品を発表する必要があるのだろうか。

ファンクラブ会員向けのライブ、会員向けのアルバム、会員向けのグッズ販売、などを中心に展開して、海外には普通に配信して、アナログ盤も出すなら出して、それで済むのではないだろうか。地上波のワイドショーやNHKの番組やツイッターが社会の中心だと思っている人達は、おそらくもともとコーネリアスの存在など気にもしていないのではないだろうか。

やはりこれは「何が何でも死刑にせよ」と「無期懲役でも実質的には死刑と同じ」の対立にそっくりだ。正義漢の正義が折れずにどんどん延長されて、それがこじれると駄々っ子になる。「絶対に許せない」と叫んでいるうちに、自分の変節を自分で許せなくなるからだろう。


0917

ちくま新書「批評の教室」を読む。先行作と後続作を「親-子」のような関係ではなく「友達」として扱うなど、ちょっとした実践的な指摘が面白い。批評したいと考える作品の関連作品を読まずに平気でいる学生が多いというが、学生より上の世代でも多い。「関連作をカバーしきれない」という罪悪感と共に批評は常にあると思うのだが。


「コーネリアス」として無理に復活しようとしても、たとえばライブ会場の観衆やスタッフにまで迷惑(最悪の場合は多数の死傷者)が及ぶかもしれないし、反省や謝罪などは永久に受け入れないという一部のアンチはゼロにはならないだろうから、ここは「賞味期限が切れた感じ」と言って、改名するというのはどうか。

「Secret guest」とでも名乗って、世界各地のロックフェスに神出鬼没の存在になる。正式名称が「Secret guest」なので、予測がつかない。分かる人は音を聴けば分かるし、分からない人は永久に分からなくても別に構わない。そうなればバッシングも減るのでは。


夜になって、コーネリアスの公式サイトで何かメッセージ的な告知があったらしいが、つながらない。


0918

コーネリアスの方はインスタグラムやフェイスブックの方で読めるようになった。とりあえず不当なバッシングはこれからは減るだろうという印象。


批評について、書き始めたらかなり長くなってしまい、骨子を書くだけでも書いていてしんどい。それでも、中学一年生でも分かるように書きたい。


0919

三連休の真ん中の日曜日だが仕事で千葉まで行って、意外な話を親戚から聞く。


コーネリアスは「真摯に謝罪した」と見る向きがほとんどだろうと思ったら、「小山田圭吾“いじめ懺悔”も再炎上!」というネットニュースが出ている。この種の記事で紹介されている「ネットの声」は実に怪しい。


0920

アマゾンで買うよりヤフオクで探した方が簡単で早くて安いので、あれこれ買ってしまう。シュガーベイブのジャケットの元になった写真の載っている本や「映画のどこをどう読むか」など。


0921

いよいよ本格的に取り組むべき時期なので、少し整理して目次を作ってみる。豆新聞は製作日記にしようかどうか悩む。昨年の春ごろ~8月終りまで(いまnoteに公開している分の直前まで)にするか、余った企画を入れておく場にするか。


0922

疲れたので早めに寝る。


0923

とりあえず頭と終りの部分だけ書くとか、タイトルとレイアウトだけ決めるとか、そういう風に作業を始めないと始まらないので、少しずつやってみる。

100ページ以上にはならないように心掛けないと、すぐに長くなってしまう。その点に注意しながら、70-80ページくらいにしたい。


0924

「ベレー帽とカメラと引用」の01から04号までを振り返ると、予定通りに製作できた面と、手探りで一歩ずつ進めた面と両方あり、後者はよくぞここまで来たなあと思う。


「僕ら」「僕たち」に関しては、山登りでいうと山頂を目指してここまで来たという訳ではなくて、遭難に近い状態であっちへフラフラ、こっちへフラフラ、それでたまたま平地よりは少し高い所にいるかどうか、という感じ。


0925

批評や考察も、あらかじめ「あらすじ」のようなものを想定して書くとつまらない。事実を鋳型に嵌めてしまうような例としてテレビのドキュメンタリー番組や、有名人へのインタビューを挙げたい。


0926

毎日、少しずつフランシスのアルバムの推薦コメントがツイッターで紹介されている。今日は小西康陽で、言いにくいこともサラリと交えつつ、見事にまとめられていた。


https://twitter.com/orimakoto/status/1441971806500384771


自分も視聴した範囲ではすごく良いメロディの曲が多いと感じるので、明日は買いに行く予定だったが、BASEで販売するということなので買った。


「music is music」は今日で最終回。美島さんコーナーでガーシュインが流れた。これは自分のリクエストが採用されたのではないか。ガーシュインならこれ、と決まっているようなものなので「簡単にできそう」という理由でリクエストしたつもりだったが、製作は難しかったとのこと。


「もげるブックス」と一緒のブースで文学フリマに出る予定だが、版型やページ数、タイトルほか、ほとんど何も決まっていないようなので、あれこれやり取りをする。自分のことで精いっぱいなので、あまり親切に構っていられない。


0927

何も書いていないのに頭が疲れるので、気休めにあれこれ読み散らかす。武満徹の伝記など。


0928

何も書いていないのに頭が熱くなるので、おでこに冷えピタを貼って頭の中を整理する。


0929

Francisのアルバムが届く。BASEで購入する際に、ぜひ「コパカバーナ」のカヴァーも出して下さいとお願いした。


0930

05号は11月末の販売を予定していたが、諸々の事情により12月にずれ込む可能性が高くなりつつある。文フリに出てバックナンバーとネクタイを売るだけというのも寂しい話だが……。


(次回は10月に更新します)


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