最後の認定日 Last certification date

 先ほど、職安(ハローワーク)から帰宅しました。失業状態であることを認定してもらうために職安に行くのは、今日が最後です。再就職先から告げられている初出勤日の前日、採用報告するために職安に行かなければなりませんが、認定日は今日で終わりです。失業保険でお金がもらえて助かりましたし、計算では数万円を残して(もらわずに)何とか再就職できそうです。
 職安に一度も行ったことがないという人は、私からみれば、とても幸福な人だと思います(雇用保険のある会社で定年まで勤めて退職すれば一度は行くことになりますが)。行ったことがない人に、あの雰囲気を説明することはなかなか難しいです。職員を別にすれば、みんな失業者または求職者です(人材派遣系の社員が忍者のように情報を収集していたり、退職を迷う人が在職中に覗きに来ているというケースもあります)。もちろん明るいムードではありません。カップルや夫婦、中年女性の友人同士を見かけることもありますが少数派です。基本的には受付順番の番号呼出の合成音声が響くだけの静かな空間です。ときどき担当職員に、泣きつく人や怒る人もいます。
 通い始めて1カ月くらいは、前職に在職しているような錯覚が少しあります。意欲があり楽観が優位な頃です。3カ月超えると意欲が焦りに変わり、楽観は悲観に傾きます。今年はコロナ禍もあり、悲観と絶望が紙一重です。半年近く失業状態が続くと、世の中から自分という存在そのものが否定されているような気分になってきます。私は鬱者でもあるので死すら身近に感じます。存在が否定されていく感じは、求人条件(収入・休日・福利厚生・キャリアを生かせるかどうか、等)をレベルダウンせざるを得ない、自分で自分を安売りせざるを得ないことからも起こります。世の中だけでなく自分自身からも、否定されているような負の連鎖が始まります。
 noteにはハイスペックな人が多いので、私のように職安のお世話になるような人は少ないと思います。でもコロナ禍では、突然、何が起こるかわかりません(安倍さんの件も驚きですが)。明日あなたが職安のお世話にならないとも限りません。以下は、読み飛ばしてもらっても構いませんが、頭の隅にメモしてくれたらありがたいです(半年の苦労が報われます)。
 私は何とか負の連鎖を断ち切り、再就職に辿り着くことができましたが、それはたまたま運が良かっただけです。私にはあまりありませんでしたが、根拠のない自信とか、カラ元気もあればあるほど、いいと思います。根拠よりも気分が生きる力になります。もちろん自分を安売りすることは、自分の人生を否定している気分になるので、かなり心が折れます。折れますが、安売りのタイミングが遅れると、失業状態が長引くことになります。かといってブラックは避けましょう。安売りすることとブラックに飛び込むことは違いますので、ご注意ください(職安にもブラックな求人はあります。過去に職安の担当者から「そこはやめた方がいい」と言われたこともあります)。
 私には豊富で充実した人脈やコネクションはありませんでしたが、利害関係のない親身になってくれる、いつも愚痴を聞いてくれる友人が数人いました(数人で充分です)。お願いですから、家族の方は失業者を責めないでください(すでにずっと自分で自分を責めていますから)。家族みんなの、発想の転換も必要です。たとえば妻の収入が多ければ、私は主夫になっていたかもしれません。
 「プライドが邪魔して再就職できないんだ」という外野からの言葉をよく聞きます。「プライド」をどのように定義するかにもよりますが、この言葉を本気で発言できる人、この発言に心底同意できる人は、ある意味、ずいぶんハッピーな人ですね。個人的に私は「プライドをあえて捨てる必要はない」と思っています。矛盾するかもしれませんが、プライドを持って自分を(就職)戦略的に安売りしましょう。自分を安売りすることはプライドを捨てることではありません。もちろんアピールする必要もありませんが。
 仮に、ずっと無職であっても人は人です。人間の価値とは、仕事のある(する・できる)人が上、仕事のない(しない・できない)人が下、というわけではありません(よね?)。プライドを捨てて卑屈になったら、自分自身の生きる意欲が消えてしまいますし、大切な人達や周りからの信頼を失います。そのことを身近な人が失業者に力説してください。私はそれでずいぶん救われました(自分で自分を勇気づけるのには限界がありますから)。

追伸

 ちなみに私の嫌いな言葉に「働かざる者、食うべからず」があります。以前、このテーマで記事を書きました。ぜひご一読を。
 

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