掌編小説『同じ誕生日』Short story "Same birthday"

 私が最初に同じ誕生日の人間を知ったのは10歳の頃だった。相手はアイドル歌手だった。3年くらいしたら芸能界から姿を消していた。こっちもアイドルとかに興味を失っていたけれど。それからしばらくして、売れないフォークソングの歌手も、私と同じ誕生日だと知った。特に感慨はなかった。
 中学の頃、たまたま隣に座ったクラスメイトが同じ誕生日だということを知ったときは、結構驚いた。生年月日がすべて同じで、血液型も同じで、違うのは性別だけだった。これがSF小説なら、入れ替わりというドラマも起こったかもしれない。隣同士で話していて、なかなか楽しかったけれど、2年目の春になる前に遠い所へ転校していった。「今度手紙を書くから」と、新しい住所を教えてもらったけれど、馬鹿な私はその紙をポケットに入れたままにしていたから、洗濯機の中で溶けてしまって紙のゴミになって、母親に怒られた。
 大学の頃、本屋でバイトをした。私がバイトをしていた本屋の店長と、私がバイトの休憩中にランチを食べていた店のマスターと、私は同じ誕生日だった。そのうえ我々は干支が同じだった。24歳上が店長で、12歳上がマスターだった。店長は真面目だったが、髪が薄くて、その分腹回りが厚かった。マスターは病的に痩せていて、寿命は期待できそうになかったし、そのうえ滲み出るほどの「ヤサグレ感」があった。それはまるで私の未来の選択肢を見るようだった。
 大学を出て証券会社に就職して(自分探しのために)すぐに辞めた頃、兄が結婚して、子供が生まれた。甥っ子の誕生日は、私と同じだった。ちなみに兄嫁の弟の誕生日も、私と同じだった。干支は違うけれど。血液型はみんな一緒だった。そういうことを知ったけれど、そのときは特に感慨はなかった。なぜなら大人になった頃、私は殆ど実の兄との交流がなかったからだ。私の気持ちが少し動いたのは、父親が肺癌で亡くなったときだ。父親の遺品の中に手帳があった。終わりの方の頁に備忘録があった。私の現住所や生年月日はどこにも書かれていなかった。同じ誕生日の親族二人に関しては書かれていた。私は少し悲しんだけれど、「しょうがないかな」とも思った。私は子供の頃から何となく父親とはうまくいかなかった。ということを思い出した。それは私の思い込みでもなければ父親の幻想でもない。父親も私も、そのことに気がつきながら、お互いに歳を取ってきた。そのまま分かり合えないまま父親は他界した。
 50歳を前に猫を飼った。保護施設でもらい受けた猫は、私と同じ誕生日だった。猫がどう思っているのか、私にはわからない。わからないけれど、私は同じ誕生日の同志に、やっと出会えた感じがした。それはまるで、私が私に出会った感じだった。好奇心旺盛でありながら臆病者で、ときどき物思いに耽ってみたり。私は今、猫の世話をしながら、猫の長寿を願うばかりだ。
 ところで私と同じ誕生日の人間たちは、その後の人生をどのように生きたのだろうか。知りたいような、知りたくないような。これからも、また、まだまだ、同じ誕生日の誰かが現れるのだろうか。


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