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「剣道の理念」に、思いを馳せてみた

【剣道の理念】
剣道は剣の理法の修錬による
人間形成の道である

朝ラン中、ふと思い出したことをつらつらと。

高校生までで竹刀を握るのは一旦中止してますが、昇段試験のたびに書いた「剣道の理念」はずっと覚えています。
ご存知の方も多いかと思いますが、剣道の試合で一本を取った後にガッツポーズを取ると、審判に取り消されます。

切った相手が起き上がるかもしれない、他にも敵がいるかもしれない。

いつでも対応できる身構え・心構えを持つ。「残心」といいます。

剣道をはじめたのは小学1年生、兄が通っていた道場(場所は小学校の体育館)に見学に行き、自らやりたいと言ったようです。

以下、兄からの又聞きのような気がしますが、先生から聞いた話。

「昇段試験の相手役(審査員)が高齢で、敬老精神で気合いいれずに『やぁー』と声を出したら、刹那、面を取られた(打たれた)んだよ、がっはっは」


腕力・体力のみなぎる年齢の剣士でも、高齢の高段者にかなわない。
小児喘息で体が強くはなかった僕にとって、魅力を感じたエピソードです。

先生からの教えで、相手の間合いでは息を吸うなと言われました。
人間は息を吸う瞬間に攻められると、筋肉の反応速度が鈍るとのことでした。
正直、「そんなん分かるの?マジ?」って感じでしたが、数十年鍛練を続ければ、あり得るかもなと思っています。

隙を見逃さず打ち込む際、

「倒してやる」ではなく、「今隙ができましたよ」と教えて差し上げる気持ちで、

という言葉も覚えています。
切磋琢磨。
マウントを取りたいという気持ちは、生物として自然な発露かもしれませんが、修練により押さえ込みたいものです。

バガボンドで井上雄彦先生が表現された、柳生石舟斎の世界観。。。

”我” あの日の柳生宗厳の剣にはそれしかなかった
「相手に勝ってやろう、己の力を、強さを、存在を誇示したい、俺を見ろ」
師は言われた そんなことのために剣は 武はあるのかね?
我々が命と見立てた剣は そんな小さなものかね?

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