アジアの花、ヤフオクで知り合った男女の交流です。
(この物語は、私がうつ病になる前、外資系電子計測器会社の課長をしていた頃の話です。)
それは暗い面接だった。ITバブルの崩壊で、私の勤める米国外資系の会社は、人員を削減することになった。「人の能力によって、人を減らすことはしない。今、行っている仕事が無くなった。つまり、その仕事が『余剰の仕事』となったので、余剰の仕事についている人が必要でなくなったのだ」と言うのが会社の理屈だった。この「余剰の仕事」を、社内用語で「エクセス」と呼び、この人減らしを「リストラ」とは言わず、「ワークホースマネージメント」と言った。エクセスとなった対象者にとっては、どう言っても同じことである。自分の仕事がなくなり、給与の二年分の割り増し退職金を貰って、会社を退職するか、又は、会社に残るかの判断を迫られる。会社に残ると、仕事と給与は一般職のものとなって、その給与まで毎年十五パーセント減で落ちていく。社内に残っても、以前の仕事は「余剰の仕事(エクセス)」なのだから、することが何もなくなる。ただ机に座っているだけになる。会社が人員を削減するには、4つの要件が必要であると聞いている。
その一、経営上、必要な人員削減だったのか。その二、会社はリストラを回避する努力をしていたか。その三、リストラ対象者の選び方は妥当だったのか。その四、解雇までのプロセスは適正だったのか(労働者と十分に話し合っていたのか)。会社の行っている人員削減を正確に要件に当てはめると、どれもほころびが見える。労働基準監督署に相談すれば、解雇ではなくなるかもしれない。それでも、米国の親会社が、言ってくるのは「今ある売り上げで利益が出るようにしろ」の一言である。人を減らさないとすると、事業所の廃止、デビジョンクローズになるか、又は、日本人のトップマネージメントが解雇され、人切りを職務とする米国人マネージャーが変わりに来て、同じようにワークホースマネージメントをするだけだ。
この会社では、部長がエクセスとなった対象者に「あなたの仕事はエクセスになったので、あなたは必要でない」と告げ、課長がサポートに入る。課長である私は言う。
「何かサポートすることはある?」
目の前のエクセスと部長に言われた対象者は知っている。課長レベルではできることは何もないことを。
疲れた。
「何か女性の声で安らぐ音楽を聴きたい」と私は思った。 私は、近くのショッピングセンターで、中古のCDが百円で売られているのを思い出した。休日に何か、そんな音楽を探すことができないかと顔を出してみた。中古のCDは、ビニール袋に入れられて、ぶら下がっていた。私は、その中から女性歌手のCDを数枚手に取ってみた。タイトルで「上野洋子 愛は静かな場所に落ちてくる」と書かれたCDを選んだ。気持ちの安らぐ歌が聞けそうだ。百円と消費税を払って購入した。家に帰って聴いてみた。どの曲も良かったが二曲目の「アジアの花」が良かった。
歌詞の最初は「私を見上げる/小さなあなた/同じ色の瞳ね」で、黒い瞳の少女を思わせた。歌詞は続く「砂にまみれた/コインを握ると/もう背中を向けてしまうの」で、浜辺の砂に落としたコインを拾って渡すと、さっと背中を見せて去っていく少女を歌った。「何も見ない/何も知らなかった/あなたにここで出会うまでは」と、最初に出てきた私は、遠い異国の地にあると、黒い瞳の少女は、東南アジアのどこかの砂浜に居ると思えた。「そしてどこまで行こう/水に揺れる/アジアの花/風に吹かれて」で、波辺には、南方系のアジアの花が風に吹かれていることを想像させた。「昼の月が/話かける/佇む私に」この歌詞は、私に、浜辺で昼の光をゆったりと浴びている場面を浮かばせた。
「耳のそばで聞く/遠いささやき/眠りにつく地平の祈り/言葉もない/微笑みさえも/あなたの一日が終わるの」
で昼の場面から夕闇が近づいていることを表し。「蒼ざめている/アジアの夢/優しい夕暮れ」安穏とした夕方は、優しい夢を見させることを示し。「空を渡る/鳥の群れに/翼を重ねる」は、東南アジアの空を渡り鳥が渡っていることを想像させた。「水に揺れる/アジアの花/風に吹かれて/いつかここへ/帰る時も/咲いているように」アジアの花は風に吹かれながら、水にも浸っているような描写があり。「そっとふりむいた/小さなあなた/同じ色の瞳ね」最後にもう一度黒い瞳の少女を登場させ、振り向かさせて余韻を残して終わっていた。
ここでアジアの花とは、なんだろうと思った。東南アジアなのなら、ハイビスカスか、ブーゲンビリアなのだろうか?でも「水に揺れるアジアの花」とある。私は、浜昼顔が儚げに水に揺れているところを想像した。
上野洋子は、知らない歌手だった。ネットで調べてみると、ZABADAKいうユニットに属して活動していたらしい。他のアルバムを聴こうと情報を集めると「VOICES」というアルバムがあった。上野洋子の声だけでメロディを歌い多重録音をしたものと解説されていた。その歌声の心地良さから、どんなアルバムなのかと興味を持った。新品を買うよりも、CDは音の劣化がないので中古品で十分である。オークションで中古品を検索すると運よく出品されていた。
最初の価格は、格安の五百円であった。早速、出品者を確認する。出品者のハンドルネームは「エトワール・ポレール」。フランス語だった。調べてみると、「北極星」という意味だった。出品数は、千二百件ほど、大量の取引である。何をしている人なのだろう。その内訳は、「非常に良い」の評価がほとんどだった。「悪い」と評価されたのは、三つほど。そのどれにも丁寧にフォローがされており、信用できる出品者と判断した。 商品発送方法で、「入金の確認が済むまで、発送は担保しません」との記述があった。出品者で「担保しない」という表現は珍しいなと思った。早速、五百円で入札してみる。現在の最高入札者となった。取引の最終日は土曜日の夜になっていた。土曜日になり、他に競争する入札者もなく落札することができた。出品者のメールアドレスが送られてくる(当時は、オークション内の連絡メッセージボックスはなく、出品者と落札者が直接メールで落札後の取引をしていた。)
入金は、「銀行振込で」と銀行の口座番号が送られてきた。送金の手続を行った。銀行口座名から、エトワール・ポレールの本名は、安西あゆみであることが分かった。取引は無事に終わり、商品のCDは、ニ日後に届いた。郵パックの送り主の記述から、奈良県奈良市四条大路に住んでいることが分かった。
送られた上野洋子のVOICESを聞いてみた。それは、ネットで説明があったように、上野洋子一人が、声色を変えて、多重録音をして、実験的にメロディを作った不思議な音楽だった。
一連の取引が終わった後、エトワール・ポレールからメールが来た。読んでみると、
「私は、高校を不登校になり友達がいません。bbopa627さん、メールで良いので友達になってくれませんか」と書かれていた。私は、少し面食らった。私は、ただのオークションの落札者である。なぜ、そこまでリアルな関係を求めるのか、ただ数回、商品の発送のためメールのやりとりをしただけではないか? しかもあなたは、千以上のオークションの取引をしている。そう尋ねてみた。答えは、
「千以上の取引をしていると分かるのです。この人は信用できる人だなと。上野洋子、DABADAKの歌は、高校生の時に聴いていました」と返ってきた。
私は、CD「愛は静かな場所に降りてくる」の裏面にあるレンタル開始日の印刷を見た。「1996年8月」と書かれていた。今年がITバブルの崩壊後の2003年、1996年に高校生だったとすると18歳に7年を足して25歳、私が43歳という事になる。
「若いな」と思った。妻と相談しようかとも思ったが、余計な心配をさせることもないと思い。妻には黙っていることにした。私は「私で良ければいいですよ」と返事のメールを送った。
それからは、三日、四日に一度ほどの頻度でメールの交換が始まった。初めは、上野洋子の音楽や所属する音楽ユニットのZABADAKの話が中心だった。
「どんなCDを買えばよいですか?」に「DECADEというCDに代表曲が入っているのでコピーを送りましょう」と返事があり、DECADEのコピーCDを郵便で受けとった。それで、ZABADAKの代表曲を聴くことができた。「ハーベスト・レイン(豊穣の雨)」「遠い音楽」「グッバイアース」などを聴いた。上野洋子の安定した伸びやかな声とZABADAKのもう一人のメンバーの吉良知彦のアレンジが心地良かった。
「グッバイアース」は英語の歌詞だったので、なんと歌っているのかと尋ねた。丁寧に英語の歌詞全部がメールで送られてきた。
その歌詞が、人間が行う工学的なエンジニアリングが、地球にダメージを与えているという内容の歌詞だった。大学の工学部を卒業している私は「歌詞ほどの悪いことはないですよ」と反論することもあった。
私はアマゾンで、ZABADAKのCD「ピーシズ オブ ザ ムーン」を購入した。彼女が、「DECADE」とそのCDを持っていれば、ZADADAKの上野洋子の歌を聞くのに十分です」とのアドバイスを貰っていたので。
メールの交換は、彼女からメールが来て、それに私が返事をするという形で、行われた。
彼女が「手乗り文鳥を飼いたい」とのメールが来れば、私は、「子供の頃、十姉妹を飼っていました。初めはオス、メスのつがいで飼っていたのですが、とても子育てが上手で、何匹も雛が孵った」と返事をした。
また、彼女がオークションに出品している「カードキャプターさくら」のフィギアについて尋ねたところ、A4用紙で2枚分にもなる「カードキャプターさくら」の説明がメールで送られてきたのには苦笑した。オタクっぽいと思った。
半年ほどメールのやり取りをした後、メールが来なくなった。しかし、オークションでエトワール・ポレール名での出品は続いていた。私は、「私に飽きたのか」「オークションで元気でやっているのでそれも良いだろう」と思った。
四か月ほど経った。エトワール・ポレールから突然メールが来た。メールには「オークションで落札した劇団四季の『美女と野獣』のチケットが二枚ある。所用で行けなくなったので、再びオークションに出品した。bbopa627さんと一緒ならば、所用よりも、そちらを優先して、観劇に行ってもよい」と訴えるような内容だった。私は、エトワール・ポレール名でオークション内を検索してみた。出品したチケットは、すぐに見つかった。八月十五日、京都劇場、午後二時開演、A席八千六百円、ニ枚が出品されていた。
すでに落札額は、八千円を超えていた。「八月十五日なら、自分を除いた家族は実家に帰っている。一人で行動できる」という邪な考えが浮かんだ。入札するのであれば、いくらまでにしょうか? 既に複数人が入札している。落札終了の時刻は、今より一時間ほど後に設定されていた。まずは九千円を入れてみた。直ぐに落札額は、九千円を超えた。「実売価格を超えると違法なのではないか」と思いながらも九千五百円を入れてみた。一人がまだ競っている。一万円を入れてみた。私より早い入札者勝ちでまだ落札されない。落札終了時刻は自動延長なので、最初に設定された入札終了時刻を過ぎても競りは続いている。一万と百円で入札、これで競っていた相手が諦めて降りてくれた。オークションのシステムから「落札おめでとうございます」のメールを受けた。彼女に連絡をしなければならない。自分のPCのメーラーを立ち上げて、メールを打った「実売価格より高くなってしまいましたが、無事落札できました。一緒に観劇できますね。」
今までの私の意識の中に、エトワール・ポレールに直接会う選択肢は無かった。この二時間ほどで、二万円ほどを使いエトワール・ポレール、安西あゆみに会う事になった。私は不思議な感覚に包まれていた。
それから、私たちは落ち合う場所、時刻、お互いの携帯電話の番号をメールで交換した。一度お互いに携帯が繋がるかの試験をしてみようとなった。メールを読んだ後すぐ、彼女の方から私の携帯にかけることを行ってみた。当然ながら、携帯は繋がった。彼女の声は、溌剌としているように聞こえた。私の方は、家族を思うと、少し後ろめたい気分の声で返事をしていた。私は、彼女が私を確認できるように、職場で撮った私の顔の画像を彼女に送った。
観劇する八月十五日になった。私の自宅は神戸にあった。京都劇場は京都駅内西側にある。私はJRの神戸線新快速で京都に向かった。予定の待ち合わせ時間より1時間ほど前に着いた。京都駅は混んでいた。時間があったので、駅のインフォメーションセンターに立ち寄ったら、その日八月十五日は、京都五山の送り火の日だと知った。「こんな、昼の十一時から夜の送り火を見るために人が来ているのだ」と少し驚いた。
私は、エスカレターを上がって、京都劇場入口があるところから、駅のコンコースを見下ろし、安西あゆみが来るのを待った。途中二人ほど、それらしき人に声をかけてみたが違っていた。恥ずかしい気持ちがした。待ちあう時間を少し過ぎた。携帯電話で彼女に電話をしてみた。するとコンコースを一人のこちらに向かって来て、今、携帯電話を耳にあてた20歳代の女性が目に入った。この人が安西あゆみと分かった。私は落ち合うことができたので安心した。後で聞いてみると駅の東側の方、京都劇場と逆の方に間違って行ってしまったということであった。食事のために、近くのファミリーレストランに入った。彼女の身長は、背の低い私と同じくらいあった。髪は、自分で切るとメールで言っていたが、そう言われると、そのようだと思った。手足、体が細い。摂食障害なのであろうか。ジーンズを穿いていた。上着は半袖のシャツだった。プラダの布製のバックを持っていた。化粧は、ほとんどしておらず、昼の光を受けると細い手足と共に透き通るようであった。面長の顔は素直で、優しく、どこか儚げな感じがした。
この二人を誰かが見るとなんと思うだろうと思った。店に入ってお互いを改めて自己紹介する。彼女は、二十四歳との事だった。メールに書いたように数年前まで精神の病にかかっていたという。私は、ちらっと、彼女の手首に目をやった。リストカットの跡が無かったので安心した。私の自己紹介は、「ただのサラリーマンです」で終わった。彼女は、すらすらと自分の過去を振り返って話した。中学生の頃から学校を休みがちであったこと。高校にはなじめず、すぐ不登校になったこと。大学には進みたかったので、大学入学資格検定に合格するよう、一生懸命勉強したこと。今の大学入学資格検定は、教科毎に単位をとるように受験すれば良くなったが、当時は一度に全部の単位を取る必要があったので大変だったこと。特に簿記が辛かったと話した。大学は、京都産業大学の法学部に入学して三回生まで行ったのだが、最後の一年で体調、精神が不調となって途中退学になったとの事であった。私は、それで、オークションの商品発送の時に、「発送を担保しません」という「担保」という言葉を使ったのが法学部の学生だったからと分かった。
「大学での第二外国語は、フランス語なのですか」と訊いた。
「ええ、なんとなく、素敵に思えてフランス語にしました。でも、動詞の活用を覚えるのが大変で、自分で、北極星をフランス語で、なんというのかを確かめた後は、熱心に勉強しませんでした」と彼女は言った。
「bbopa627さんは、どんなものを観るのが好きですか?」と訊かれ、すぐに、答えることができなかった。思い出したように「バレーを観るのが好きです」と答えた。これは、娘のお稽古事のバレーの発表会と、観光でパリに行った時のオベラ座でバレーを観たのが全てだったのだが、思わず言ってしまった。彼女は「そうですか」という返事をした。どう思ってくれたのだろう。
劇団四季の「美女と野獣」の開演の時間となった。私は、競り落としたチケットを彼女に渡した。彼女は、落札した金額ぴったりのお金を私の手の中に納めた。
劇は、私にとって可もなく不可もなくであった。ただ、主演女優の顎の線が美しいなと思った。彼女は、劇中一回、トイレのために中座した。なにか一緒に食べた昼食が悪かったのかと気になった。
観劇が終わった後、京都タワーの中にある。喫茶店に入った。「美女と野獣」の感想を語り合った。しかし、すぐに、お互いに話す事が尽きた。きっと、普段のメールと先ほどの昼食の時の会話で、お互いを語り尽くしていたからだろう。
実際に会ってから、また三、四日に一度ほどのメールが来るようになった。私は、いつものように、メールが来たら答えるという形で返事を書いていた。
十一月になった。パタリとメールが来なくなった。体調、精神の調子が悪くなったのか? オークションで、エトワール・ポレール名で検索をかけてみた。不思議なことに、出品の記録は、全て過去のものになり、新たな出品はなかった。体を壊しているのではないか? または、違うハンドルネームで活動しているのか、しかし。千点以上「非常に良い」の過去の評価を捨てられるのか? それが分からなかった。でも、こちらからメールを打つことはしなかった。私からメールを打つのが、二人の間の約束事を破るように思えたから。
半年が経った。オークションでエトワール・ポレールの活動はなかった。次第に私は、ハンドルネーム、エトワール・ポレール、安西あゆみの全てが、自分の体を風のようにすり抜けていくのを感じた。ただ、彼女が元気でいることを願った。
さらに、月日が過ぎた。今日もどこかのSNSで、ハンドルネームで呼び合い、現実世界で会い、お互い知り合いになるという事が、多々おきているだろう。私にとっては、エトワール・ポレールとの交流がネットでの唯一の出来事だった。
その後の連絡が途切れたが彼女のメールアドレスは、そのままだろうか? こちらからメールを送れば、彼女に届くかもしれなかった。しかし、追うのは止めた。今は、エトワール・ポレールの友達が私だけではなく複数いて、日々無事に過ごしていることを祈っている。
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