Call Sign:ABYSSAL-EYES【3】

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【注意】以降の展開には、暴力的な描写を含む場合があります。  

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 霧に乱反射する薄明の陽光を斬り裂いて、護送車列が街を行く。
 赤色灯を掲げた警務用四輪駆動車の先導に続いて、数両の装輪装甲車が列をなしている。
 殿軍として最後方に付いた装甲戦闘車の機関砲塔から身を乗り出して、偵察兵が周囲の状況を注視していた。
 大通りを縦走するコンボイに、街行く人々は興味深げに一瞥を送るが、やがてそれぞれの日常に戻ってゆく。
 商店は人々で賑わい、カフェテリアでは優雅な茶席が設けられ、建設中らしきビルヂングでは、建機を脇目にあくせくと働く者たちがいる。
 戦禍から遠く離れた街とはいえ、軍事の中枢都市としての性格を持つこの都市において、軍用車両が行き交うことは、日常の一幕でもあった。
「……安穏たるものだね、実に」
 車列の中央、窓が広く取られた、四輪の防護輸送車の中で、少尉がぽつりと呟いた。
 車窓に流れる街並みは、所々の屋上に架せられた防空用のミサイルシステムを鑑みてさえ、どこか牧歌的にも見える。
「はっ。これも各軍の勇戦の賜物かと」
 正面に座った一等兵の、教科書通りの返答には応じず、少尉はただ霧に煙る車窓を眺めている。
 本来四人掛けの固い簡易シートが車内両側面に沿って搭載されている車輛だが、今は高級乗用車のような柔らかいシートに改められていた。
 もちろん、これも少尉の出した『条件』の一つだ。
 防弾仕様の乗用車ではなく、装甲車を伴ったコンボイを組んで、なおかつ自身が乗座する防護輸送車に特別の改造を施すこと。
 そして、各車両に必要な乗員以外には、一等兵一人のみが随行すること。
「……あくびが出てしまいそうだよ、全く……新兵くん、コーヒーを取ってくれたまえ」
「はっ、こちらに」
 一等兵はクーリングホルダー――これも特別改造の一環だ――から水出しコーヒーの入ったボトルを取り出し、少尉に手渡す。
 少尉はキャップを外し、ちびちびとコーヒーを啜りながら、暢気に述べる。
「……美味いねえ、実に美味い。言ってみるものだね、たまには産地指定の良い豆を使ったコーヒーが飲みたい、などとね……新兵くん、キミも一杯どうだい?」
「はっ、いえ、こちらは少尉の出された条件に基づいて、特別に用意されたものですので。私が口を付けることはできません」
 少尉は丁重に辞退する一等兵を見やり、どこか不服気に袖を揺らめかせた。
「……別に条件としては枝葉のものなんだ、気にすることはないのにね……はあ」
そうして漆黒の視線をついと彷徨わせながら、少尉は暇つぶしの話題を切り出す。
「……それで……結局今回の中央、なんとか会議とやらは、何のためにやるんだい……? 各軍の担当者が、オンラインで情報を共有すれば済む話だろうに」
「はっ、各軍中央情報担当者を直接参集し、オンライン上では開示し得ない情報を持ち寄り、横断的に共有と分析を行うことを主目的としているとのことです。また、各軍中央情報担当者間において、直接面識を持つことで、より活発な情報交換を促す目的も副次的にある、とのことでした」
 一等兵は少尉から預けられているタブレットに目を落としながら、並び立てられた文言をすらすらと流す。
 本来一等兵の階級である者が知り得てはならない情報だが、これもまた少尉の『条件』として、一等兵に会議の内容を詳らかにすることが挙げられていたからだ。
「胡乱な話だね……そんなにも、系間情報通信の秘匿性に自信がないのかね、わが軍は……だとしたら由々しき話だがねぇ?」
 いつもの如く、大袈裟に嘆かわし気な態度を取る少尉だが、その瞳の昏さは、常時とは少し異なった明度だった。
 小さな異変を察知した一等兵は、少尉に気遣いの言葉を投げかけた。
「――少尉、差し出がましいようですが、ご気分が悪いのでは?」
 いつもならば獰猛な笑顔で喰いかかる少尉は、不機嫌そうに、萎えた言葉を吐き出す。
「……当たり前だろう、新兵くん。滅多に出ない外の……基地の外気でさえない、遠い街の空気に曝されて……ボクが無事なワケがないだろう……」
 おまけにこのクルマは乗り心地が悪い、と鬱陶しそうに言い足して、少尉はずるずるとシートに沈み、瞼を閉じた。
 空調から足回りにまで入念な改造を施した整備兵が嘆き悲しみそうな台詞を、一等兵は聞かなかったこととして流した。
 コンバットタイヤが奏でるロードノイズと、二段過給のヂーゼルエンジンが唸る音をかき鳴らして、護送車列は街を進み行く。
 次第に深まりゆく霧が、その姿を鈍く霞ませていた。
『“霧”には充分に注意を払いたまえ』
 一等兵は基地司令の言葉を思い出しつつ、だらけた姿の少尉を見遣り、すっと気を引き締めた。
 
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 長旅の終点は、無機質を突き詰めたような、直方体の高層ビルヂング。
 灰色の巨塔の頂上は、霧に煙って見上げることが出来なかった。
 ただ航空障害灯の仄赤い光だけが、ぽつりぽつりと明滅している。
 左右と後方を装甲車で遮蔽されながら、防護輸送車から少尉と一等兵は降り立った。
「……やぁ、魔女のご来訪だよ」
 覇気無く余した袖を振る少尉に、施設に所属する黒いスーツ姿の警衛兵が、無言で敬礼を返す。
 奇異の視線もなく、興味の語句もなく、ただ淡々と各々の任務を果たす姿は、どこか機械的だ。
 彼らを左右に従えて、施設の入り口に立つのは、金髪をオールバック整えた青年。
 こちらも黒いスーツ姿だが、胸元には『陸』の中央参謀本部所属を示す徽章と、中佐の階級章が躍っていた。
「初めまして、“濁眼の魔女”どの、そしてお付きの一等兵どの。私は、そうですね、“参謀中佐”とでもお呼びください」
 腕を後ろに組んだまま、名を明かさず、愛想の良い笑顔で曖昧な役職名を名乗る参謀中佐に、少尉はただだらりと腕を下げたまま、平板に言葉を返す。
「識っているよ……『陸』の若き精鋭参謀、“名無し”の中佐どの……陸軍国防大学校首席にして、中央参謀本部配属から三か月で中佐の肩書きを得た、スーパーエリート、とね……」
 参謀中佐は笑顔を崩さないまま、蒼い目の奥に烈火を灯した。
「――さすがは“濁眼の魔女”どの、そこから先の情報まで知っておられると見受けます。しかし、そうであるならば、“名無し”と呼ぶのはやめて頂きたいですね」
「……そうかい、では改めて、“参謀中佐”どの……早いところ議場に案内してくれると助かるんだがね。外の空気は、ボクには毒さ……」
 黒々とした光無き瞳に見据えられ、蒼い目に宿った火は燻ぶりを残して打ち消される。
「……失礼しました、“濁眼の魔女”どの。気遣いが行き届かず申し訳ない。すぐに会場へご案内いたします」
 貼り付けた笑顔をそのままに、参謀中佐は警衛兵に手振りで指示を出す。
 警衛兵たちは無言のまま、少尉と一等兵を挟み込むように護送隊形を作った。
「こちらへどうぞ」
 参謀中佐が振り返り、施設へと歩みを進めるのに合わせて、警衛兵を伴った少尉と一等兵も、ワンテンポ遅れながら後に続く。
 護送車列の要員が敬礼で見送る中、建物の規模に対してこぢんまりした入口を通り抜け、灰色の構造物の中に少尉たちが踏み入れてゆく。
 街に立ち込めた霧はますます深さを増し、施設の周りを白く覆い尽くさんとしていた。
 
―*―*―*―
 
 貴賓用エレベーターに長く揺られ、一行は施設の最上層に辿り着いた。
 警衛兵たちのほとんどをエレベーターホールに控えさせ、参謀中佐を先頭に、少尉と一等兵が並んで歩を進めてゆく。
 その後に、警衛兵が二人だけ、無言と無音を貫いて続いてゆく。
 少尉はいつも通り幽鬼のような足取りだが、一等兵も、そして参謀中佐もそれを咎め立てることはない。
 注意を行ったところで無意味だと、二人は理解している。
 窓の無い閉塞的な廊下を抜けて、『一号会議室』のプレートが掲げられた一室の前に到着した。
片開きの扉の両脇に、一行の後ろに続いていた警衛兵が一人ずつ立ち、気を付けの姿勢で並び立つ。
参謀中佐が振り返り、義務的な笑顔で一言添えた。
「くれぐれも、失礼の無いようお願いします」
 そうして参謀中佐は三度ノックをして、一号会議室の厚い扉を引き開く。
 思いの外狭小な部屋には、ロの字型に並べられた会議机が据え付けられ、各軍の制服を纏った軍人が、全部で五名ほど着座していた。
 正面の上座には、初老の男性が手を目の前で組んで座している。
 浅い逆光を受け、その顔立ちは判然としない。
 部屋の奥にある横に長いスリット状の窓は、明らかに分厚い防弾ガラスが嵌め殺され、内側にせり出した窓枠が異様な存在感を放っている。
外の景色は深々とした霧に遮られ、そこにあるであろう街々の見事な眺望は、観ることが出来なかった。
 部屋の入口に立ち、参謀中佐は部屋の奥に向け敬礼を執った。
「『陸』の参謀中佐、および“濁眼の魔女”少尉と付の一等兵、只今臨場しました――国防参事官閤下」
 国防参事官、と呼び掛けられた、上座に座した初老の男性は、ゆっくりと頷き、立ち上がって答礼する。
 慌てて敬礼を執る一等兵にも柔和な笑顔を向け、国防参事官は口を開く。
「やあやあ、はじめましてだね、“濁眼の魔女”クンとその付き人クン。ウワサはかねがね聞いているよ。僕が国防参事官を任されている者だ。ま、固くなることはない。フラットにいこうじゃないか」
 柔らかく、しかし濃密な威厳を帯びて連ねられる言葉にも、少尉は唇を軽く曲げただけで、さも詰まらなそうに返応する。
「……なるほど、この中央……情報担当官連絡会議とやらは……事務方ナンバー2たる国防参事官閤下の差し金で開催される、各軍の情報を連接し、報告差し上げるための、イベントということですか……」
 相変わらず敬礼の姿勢さえ執らないまま、少尉は嘆息しながら国防参事官に黒い視線を送る。
 その傲然たる態度に一等兵が冷汗を流す中、国防参事官は変わらず穏やかな態度を崩さない。
「ま、そういうことだね。各軍が優れた情報収集能力を有していながら、アレだよ、縦割りの弊害、あるいはなんというか、旧弊による各軍間のいがみ合いで、情報の共有が進んでいないって話を、小耳に挟んだからね。国防参事官の任として、その、なんだ、そう是正を図りたいと思って、僕が今回各軍の中央情報担当官を参集したんだ。良いアイデアだろう?」
「……良し悪しは、ボクの範疇に無い話ですがね、意図は、理解しましたよ、国防参事官閤下。貴方がこの場に出張ることで、ボクを含めて……それぞれの軍に居る、穴倉暮らしの、引き籠り共を引っ張り出す……その目的は、達せられていますね……」
 部屋を見渡し、列席する各軍の担当者に睚眦の眼子を滑らせながら、生気のない声音のまま、ゆらゆらと体を揺らしながら少尉は応じる。
 深黒に彩られた瞳は、不満を表すかのように眇められていた。
「まま、いいじゃないか。キミたち情報担当官は、情報を食べて生きているようなもんだろう? その情報をふんだんに摂取できる、良い機会を設けたんだ。前向きにとらえてくれると、僕は嬉しいねぇ」
 不平を訴える視線を軽くいなしながら、国防参事官は諸手を広げながら上機嫌そうに、にこにこと言葉を返した。
 唇を歪めて押し黙る少尉を見遣り、参謀中佐は軽く鼻を鳴らしつつ宣告する。
「――さて、“濁眼の魔女”どのが見えられて、役者は揃いました。会議を始めたいと思いますが、各々方、よろしいでしょうか?」
 どうやら司会を担当するらしい参謀中佐が、各軍の担当者たちを見回す。
 着座した面々は異議を申し立てることもなく、各々軽く頷いた。
 一人、眼鏡を掛けたおさげ髪の、『陸』の制服を纏った小柄な女性軍人だけが、何かおろおろと左右に視線を遣っていた。
「どうかしましたか、“上席分析官”。落ち着かない様子ですが」
 呼ばれた女性軍人はびくりと体を震わせながら、しどろもどろに応じる。
「あう、あ、あ、なな、なんでもありません、中佐。た、ただ、だ、“濁眼の魔女”様や、国防参事官様の前で、き、緊張しているだけであり、あります、す」
 わたわたと落ち着き無く、おさげの髪先をいじりながら回らない舌先を無理くり回す上席分析官を見据えて、参謀中佐は強く念を押す。
「あまり緊張を表に出さないで下さい、“上席分析官”。『陸』の代表として私と共に選抜されたのですから、会議ではしっかり発言してください」
「は、はは、はい。わかわか、わかりました、中佐」
 剣呑な空気を払拭するように、ぱんと手を打つ音がした。
「まあまあ、良いじゃないかい、参謀中佐。普段そうそう外に出ることもないメンツが揃っているんだから、多少は手心があっても。早急に結論を出すような会議でもないんだ、ゆっくり進行してくれていいよ」
 国防参事官が言葉を重ねて、場の空気感を改めた。
「――ご無礼を致しました、国防参事官閣下。お許しください」
 頭を下げようとする参謀中佐を手で制しつつ、国防参事官は部屋に揃った面々を見渡す。
「それじゃ、全員席に座ってね。ああ、壁が厚い分、部屋が狭いからね。“濁眼の魔女”クンたちは僕の正面、お誕生日席だよ。開会の宣言をするから、ささ、席に着いて」
 促され、少尉と共に着座しようとした瞬時、一等兵はふっと違和感が首筋を掠めるのを感じた。
『“霧”には充分に注意を払いたまえ』
 基地司令の言葉を再度思い返しつつ、一等兵は顔を上げ、窓の向こう、奥深い霧の先に目を凝らす。
 そこに、奇妙な揺らぎのようなものが、一等兵には見えたように思えた。
 一等兵は無意識に右手を伸ばし、少尉の体を引いて、部屋の左隅へと身を躍らせる。
「……おおっ……?」
 少尉は頓狂な声を上げつつ、引かれるがままに身体を横に倒す。
 その瞬間、強烈な破砕音と共に、国防参事官の上半身が、爆ぜた。
「なん――――」
 誰ともなく発せられた驚愕の声を押し潰すように、超音速の衝撃音が轟く。
 国防参事官の骨肉を破砕した弾丸は、部屋の手前側の机――ちょうど少尉が着座しようとしたあたりを削り取り、入口の扉さえ貫通して抜けていった。
 狙撃。
 何者かによる、外部からの攻撃。
そう瞬時に思い至った各員は、泡を食うように散開し、部屋の隅へと逃れてゆく。
 散弾のように放射された防弾ガラスの破片を浴びて、傷を負った参謀中佐が呻く。
「う、ぐ、目、目に……く……」
「――――ひ、ひいいぃ、い、いぃ!」
 上席分析官などはパニックといった様相で叫びながら、壁にへばりついて身を丸めている。
 「なん、なのだ。な、何が……起きているのだ……?」
 一等兵たち寄りの上座側、『海』の制服を着た恰幅の良い中年男性が、目の前で爆ぜ散った国防参事官の体に目をくぎ付けにしたまま、腰を抜かして呆然と呟く。
 そんな狂騒の中、引き倒されて難を逃れた形になった少尉は、一等兵の顔に手を伸ばした。
 一切の動揺も無く、恍惚の表情さえ浮かべて、光の無い瞳が細まり、うっすらと三日月を描く口許から、祝福の言葉が述べられる。
「……やはり、キミはいい。いい“瞳”をしているねぇ……」
 そうしている間に、国防参事官の体はくずおれて、その中身をとくとくとぶちまけていく。
 粉微塵になった防弾ガラスと、粉砕された窓枠の一部が部屋一面に散らばっている。
 防弾窓に空いた大穴から濃霧が流れ込み、陰惨な痕跡をゆっくりと霞ませてゆく。
 地獄のような光景の中、少尉は確かに、くつくつと笑っていた。
 
 -続-

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