若さについて
いつものごとく、思いつきで書き始めた。
二十歳を迎えようとしたあたりからか、若さについて考えることが増えた。
まあ、実際ティーンエイジャーの時、若さの渦中にいるときにそんなこと考えないか。
大学中退引きこもり(ほぼ)ニートの僕はまごうことなき社会不適合で、社会のお荷物なわけで(皮肉ではない)自信の持ちようがない。
その自信のなさが今の状況につながったのかもしれないが。
容姿なんて他人がいなきゃ嫌いになりようがない、といったのは誰か分からないが、全くその通りである。しょせん、容姿についてのあれこれなんて余計なお世話以外の何物でもない。
僕は、きれいごとではなくみんな美しいと思う。好みはあるが、すべて醜いとは思わない。
だから、自分の容姿なんかではこの申し訳なさはぬぐえないのである。それで金が稼げれば別かもしれない。
なぜ若さについて考えるかに話を戻すが、僕は人生一寸先は闇の時、誰かを見る。それはアイドルだったり、映画監督だったり、作家だったりする。
みんなすこぶる自分に厳しい。自分に厳しい分、他人にも厳しかったりする。
ふんふんなるほど、と彼らの言葉に耳を傾け、時に心臓を傷めている。
そこでふと気づく。皆、自分の年齢の時にはすでにその頭角を現している。
もう、焦りなんてものではない。今すぐうちに強盗入ってきてくんねえかなと思う。
具体的に名前をあげると、アニメ映画監督今敏だったり、宮崎駿だったり、鈴木敏夫だったり(近すぎるか)
グザヴィエ・ドラン、マーティン・スコセッシ、などなど……
うかつだった。天才しかおらん。やめようやめよう。
前回のnoteにも書いたが、僕はトランスジェンダーなのである程度ホルモン療法が進んでから後先を考えるつもりである。
せっかくまあまあな金額を出してあるべき身体に近づけたのに、首をつってしまっては金の無駄なので、なんとかしたいと思う。
首を吊るより先に、少年バットが殴りつけてきそうな怠慢さではあるが。
なんかこういう時、酒にタバコにセックスに、とかやったらその怠慢さにも味(笑)が出るのだろうが、僕はあまり好かない。酒もたばこもセックスも依存できない。精神的に自立、というか孤独。カッコよく聞こえるが要は面倒くさいだけ。依存するのがだるい。
大学をやめて、精神的に参ったころからほとんど本が読めなくなったくせに、論文を読むことが大好きなので、いそいそと研究は続けている。
映画を見た気になれるお安い記事でお安い金を稼ぎながら、結局研究に依存してしまっている僕を無視して、来る日まで生きていかなければならない。
自己責任、自己責任。
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