見出し画像

縁の不思議

昨日、私は仕事終わりに大学時代の友人に会いに行った。彼女は3ヶ月の赤ちゃんを抱いて玄関から現れるも、待ち構えていたように侵入してきた蚊に驚き「この子よろしく!」といきなり私に抱っこを任せ、ドタドタと家の奥に消えた。私は腕の中の、3ヶ月にしてはやけに貫禄のある彼女の娘の温もりを感じながら、"縁"について思いを巡らせていた

彼女との出会いは鮮烈だった。
大学一年生の新入生合宿の帰りの貸切バスで、周りがグループを成しキャッキャと騒ぐ中、ぼっちまっしぐらの私はなるべく気配を消して立っていた。
そして、いよいよ発車間際となった途端、ドタドタとスーツ姿の女子が1人駆け込んできた。
「あっぶね」
語尾に⭐︎が見えた。
彼女は初対面の私と目が合うなり額の汗を拭う仕草をしておどけたのである。
生粋の大阪人はやはりパーソナルスペースの概念が違うのか...?
変わったひとと仲良くしたくなってしまう私は彼女に興味津々。彼女は私がしっかりした人間に見えたらしく、仲良くしておいて損はないと思ったそうで、利害の一致(?)が成立。
彼女が同じ合宿に参加していながらオリエンテーションの内容を全く理解していなかったことがきっかけとなり、自然とボケとツッコミのような掛け合いになって移動のわずか数十分で意気投合した。
縁がある人とはとんとん拍子というが、彼女との出会いはまさにそんな感じだった。
(ちなみにスーツ姿の理由は塾のバイトに行くのにどこかで着替えを挟むのが面倒だったから、であった。)

なかなかに治安の芳しくない地域で生まれ育ち、漫画かよとつっこみたくなるほどキャラの濃い家族に囲まれながらも、ばっちり適応していた彼女は人たらしであった。
誰もが彼女の珍妙な魅力に興味を持ち、仲良くなりたくなってしまう。
なので、私と彼女は互いのタイミングがあえば一緒に過ごし、息ぴったりの掛け合いをするものの、所謂ニコイチとは程遠い物理的距離感で大学時代を過ごした。

ふたりの間にトラブルがあったわけではなかったが、社会人となって紆余曲折あり、彼女の連絡先がふいにわからなくなった。
彼女は人間関係においてミニマリストであることはよく承知していたため、理由はわからないが断捨離対象となったのかもしれないと、ぼんやり思いながら4年が経った頃、たまたま彼女の友人と私との間に接点ができ、新しい連絡先を手に入れた。
久々に連絡したが4年のブランクはそこにはなかった。連絡先を変えたのは確かに人間関係の断捨離目的であるが、私含め数人長く仲良くしたいと思っている人の連絡先までわからなくなり途方に暮れていたと、またしてもツッコミどころ満載の真相を話してくれた。淡白であるが軽快なやり取りを経て、ランチに行こうという話になった。

会った時もなぜか全く久々な感じがしなかった。確かに互いが"きちんと"年を重ね、精神的な成熟が感じられたが、掛け合いは学生時代のままだった。
そして女子会の永遠のテーマともいえる恋愛の話になった時、いいにくそうな顔で「結婚するねん」と彼女は言った。私は失礼ながら目が飛び出そうになった。なぜなら彼女は「男なんてみんないつかおっさんになる」と常々言っていて(私は「私らだっておばさんになるんやから条件一緒やん」とつっこみ、このかけあいで1セットのようになっていた)、恋愛のれの字もなかったからである。「いとこに結婚報告したみたいな気分なんやけど。恥ずかしい」と韓国料理屋の机に突っ伏していたのを今でも覚えている。

次に会ったのはさらにその2年後、今年の2月頃だった。待ち合わせ場所に新しい命で膨らんだお腹をゆったりニットで隠し(たつもりで)、手を振りながら小走りで駆けてきた。「とりあえず臨月近そうなママは慎重になろうな?」と第一声で嗜めたところ「なんでわかったん?!隠し通して家まで帰れるか旦那と賭けてたのに負けた」と恨めしそうに言われた。
その新しい命がこの世に生まれた日の夜、私はなぜか彼女のことが頭の隅から離れなかった。
翌朝なんとなく「お嬢生まれた?」と連絡すると「なんでわかったん?!昨日生まれたとこなんよ!」と返事が返ってきた。
余談だが、上述した臨月ランチで「女の子でしょ?」と性別を当てて彼女を驚かせてもいる。

私はもともとスピリチュアル的なものを否定しない立場であったが、やはりこの世には理屈では説明できない、縁としか表現できないつながりがあるのだと彼女と会うたびに思う。
彼女は私をいとこみたいだとよく表現するが(いとこがいない私にはよくわからないが)、血縁関係に近いものを感じるほど人としての波長が合うことには、私も同感である。
数年レベルの空白期間があっても、かたや独身、かたや早々に結婚して子持ち、とライフスタイルの違いが如実にあっても、気の置けない関係性は一ミリも変わらないのである。
そしてなぜか彼女のことになると第六感が妙に冴え渡る不思議体験もした。

家族であっても、分かり合えない、しっくりこない、漸近線に例えたくても例えようがないほどの心理的距離感。そんな経験をしているからこそなのか、彼女との繋がりはいつのまにか私の心の支えの一つだ。

あなたがいつまでも、あなたらしく人生を歩めますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?