感覚の声を聴く旅

晴天の休みの日の朝 自分を感じてみた。
洗濯しなきゃ!の声(多分理性)
VS
もう少しベッドでゴロゴロしたい…の声(感覚)

ベッドでゴロゴロを選んでみた。

昨日保育園帰りの息子に、11月からチャイムが16時だから公園に行かないよと言ったら、凄まじく怒っていた。そのあとあまりの要求に負けて公園には行ったのだが。
夜はポケモンの映画が観たいと言うから探したらまだやっていなく、それを伝えたら凄く悲しんでいた。いつまでも悲しんでいるから、
「代わりにDVDを借りに行こうか!」と提案をしたらそれはそれは喜んでいて、そんな姿を見て笑っちゃうほど幸せになった事を思いだした。

息子は私に本来あるべき姿を見せてくれる。

私はすぐに怒りや悲しみを溜めてしまう性質があるようなのだけど、それは他人にというよりも特に自分に対して理性を課してしまうというか、理性に従い過ぎる傾向があるようだ。
つまり我慢をしすぎてる。

誰でも心の中に、昨日の息子のような小さな子がいて。
理性で抑えつけて欲求を聞いてあげないとその子は怒ったり悲しんだりする。
それを繰り返していると感じるセンサーが鈍くなる。感情を感じられなくなる。
感情を感じられないとどうなるかというと自分の感覚が信じられず自己表現がうまくできなかったり、他人に依存したり、頭で考える事に頼る事になり自分が何がしたいか、何を感じているかがわからなくなる。

私は無意識に「仕方ないよね」と言うのが口癖になっていたみたいで、今朝だけでも3回言葉を発していてハッとした。
常識とか、体裁とか、規則、決まり。
そういったものに対して仕方ないと自分の欲求を感じる事を諦めていたようだ。

例えば今朝のような小さな事でも自分に対して聞いてみる。感覚を優先して動いてあげる。
無理な時は代わりの案を考えてあげる。
という風に、自分を大切にするってそういう事だよね。

まずは感覚を聴いてあげること。
そんな事をこれから大事にしていく事に決めたのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?