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「臨床とことば」を読み解く 番外編「自分も冷コーでかまへん?」

 暑くなってきた。喫茶店のモーニングにつけるコーヒーもホットではなくアイスにしたくなるけど、行きつけのお店ではホットコーヒーならもう一杯無料サービスがつくので、なんとかギリギリまでホットコーヒー派を貫くつもり。でも、なんでアイスコーヒーにはお代わりサービスがないんだろう。

 学生時代を過ごした大阪では、いわゆる関西弁という文化に驚くことが多かった。マクドナルドは「マクド」、自転車は「チャリンコ」、そしてアイスコーヒーは「冷コー」だ。

大阪なんて、一人称が二人称に、二人称が一人称に変換したりする。(略)「自分、今日どこ行くのん?」って言われたときも、最初、何を聞かれたかわからなかったです(笑)。

 クラブの勧誘でお茶をしに(そういえばこれも「茶しばこう」と言ってた)行くと、先輩から「あなたもアイスコーヒーでいい?」というのを「自分も冷コーでかまへん?」と言われるのだ。

 さて、私とは何か。

 河合隼雄がアメリカで「What is I?」という講演をしたという。私とは何か。すると鷲田清一が、パスカルが全く同じ問いをしているよといい、パンセに書かれている内容を紹介している。

パスカルは相当な皮肉屋ですから、たとえば「あなたは身体か?」、違うだろう、誰かが「あなたは美しい」と言ったって、ペストにかかれば容貌もすっかり変わってしまうだろうけど、それでもあなたはあなたなわけだろう。心か?心じゃないだろう?あなたは記憶力がいいとか計算できるという、そういうことで他人に愛でられたりしてたって、もの忘れがひどくなったり、ショックのあまり人格が変わることもある。それでもあなたはあなただろう、というように言ってくんです。そして最後に「あなたを作っているのは、結局のところ借り物ばっかりじゃないか」、つまりそのときの能力であり、この世でたまたま持っている身体とか、借り物ばっかりじゃないか。そこ以外にあなたはないじゃないか。そうしたら、世の中で、地位があるとか美人であるとか、借り物だけで尊敬されている人をバカにしたらあかんよ、と、最後に言うんです。本当はそんなの虚しいよと言いたいんですけど。

 パスカルは、わたしとは体でもない、心でもない、なぜならそれらは変わってしまうことがあるからだという。
 パンセを紐解くと、だから人そのものを愛することはできないとも書かれていて、きっと深い意味があるのだろうけど、この字のままに受け取るとなんだかなあ、という感想になってしまう。ついでに言うと、「ペストにかかれば容貌もすっかり変わってしまう」の部分は、パンセでは天然痘で容貌が変わると書かれている。ここは言い間違えかな。

 パスカルの私探しは、一枚一枚ベールを剥がしてながらみつけだそうとしている。

それが仏教だったらまさに、初めから色即是空、自性はないというんですからね。ないことから組み上げていくんだから、まるっきり逆ですよね。

 色即是空とはどういう意味かを調べてみた。

【色即是空】 〘仏〙 〔般若心経〕 この世にあるすべてのもの(色)は、因と縁によって存在しているだけで、固有の本質をもっていない(空)という、仏教の基本的な教義。 → 空即是色
出典 三省堂大辞林 第三版について 

 調べている最中に、こんな深い意味を持つ言葉がクレヨンしんちゃんの床の間の掛け軸に書かれていると知り、しんちゃんあなどれないな、とも思った。

 私とは何か。アメリカで河合隼雄は、どんな内容の講演をしたのだろうか。自我とかの話だったのだろうか。このあと「臨床とことば」では私とは何か?をめぐっての西洋と日本での捉え方の対比の話題から、次に自我、多重人格、人間とはというテーマにおいても日本的な視点、つまり「調和」について語られていく。

 

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