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ボウモア

 Facebookを眺めていたら、知人が生牡蠣にボウモアをかけて食べている写真が流れてきた。ボウモアは私にとって特別なお酒。理由は尊敬する人がそのお酒を好んで飲んでたというだけのことなんだけど、少しでもその人の立つ位置に近づきたくて、そこから見える景色を私も見てみたいと思ってる。そんな人が好むボウモアをワインバーの棚の上に置に見つけ、香りを少しだけ嗅がせてもらったことがあるが、薬草のような匂いがした。正直、あまり飲みたいとは思えない感じ。でも生牡蠣に合わせてみるなんていう食べ方はありかもしれないと思えた。そして、その食べ方は村上春樹の本に載ってるというので、早速その本を読んでみた。

 ボウモアが作られているスコットランドのアイラ島を旅した村上春樹のエッセイ「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」新潮文庫。著者はスコットランドとアイルランドをウィスキーをテーマに旅をする。スコットランドでは、シングル・モルトを味わうためにアイラ島を訪れ、島にある7つの蒸留所のうちボウモアとラフロイグの蒸留所を見学するのだが、同じシングル・モルトであってもボウモアは昔ながらの人の手と経験を生かした作り方である一方、ラフログは近代化された設備を使ってコンピューター制御されているという大きな違いに驚いたという。私が尊敬する人が、職人気質な作り手であるボウモアを好んでいたというのがなんとなく嬉しく感じた。多分、そんなうんちくを知って好んでいるというわけではないのだろうけど。

 次に訪れたアイルランドでは、その土地のパブを訪れている。

パブというのは、なかなか奥が深いところだ。いうなれば『ユリシーズ』的に奥が深い。比喩的に、寓話的に、フラグメンタルに、総合的に、逆説的に、呼応的に、相互参照的に、ケルティックに、ユニバーサルに奥が深い。

 ユリシーズは、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説だ。何度も登場する私の尊敬する人、その人が尊敬している人がいて、またその人が尊敬する人、そこまでさかのぼる?とユングに到達するのだが、ユングはユリシーズを始めて読んだとき、その評価が最低だったいう。でも、読み返すことを促されて再読し評価が変わったというくらいだから、多分私がユリシーズを読んだとしてもその良さは簡単には分からないだろう。ということは、もし私がアイルランドを訪れてもパブの奥深さというものを私は感じ取れないのかもしれないと思うと、まだまだ人生の修行が足らないなと思った。

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