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#弓道008 千葉 胤次

「弓道教本」第一巻には、射法選定委員として五先生の顔写真がある。
しかし、流派の個性を一切伏せている第一巻では、それら先生方の弓歴の情報すらないため一人ずつ紹介をする。

千葉 胤次(ちば たねつぐ) 1894年-1959年

明治二十七年生、宮城県栗原郡高清水町出身、宏斎と号した。 弓道範士・十段、昭和三十四年病歿、享年六十五。
六才より柳生心眼流柔術を学び、十三才講道館に入門し、錦城中学・早稲田大学に在学中は柔道の逸材として聞え、講道館より六段を授与された。
弓道は九才にして先考より日置流を学び、のち小笠原清道先生につき小笠原流弓道並びに作法を修めて一張弓格を許され、昭和四年大日本武徳会より弓道教士を、また同十三年には範士を授与さる。その間先輩諸先生より武射系統の日置流・本多流等の諸流を学んだ
宮内省皇宮警察部に弓道部設置を献言してこれを実現し、更に昭和十五年、紀元二千六百年奉祝天覧演武大会に初めて柔・剣道と共に弓道の参加を実現し、わが弓道界に一大紀元を画した。しかしてまた この大会の委員として、企画・運営の中枢となり、礼射の天覧を賜わった。この間東京市に奉職、電気局秘書・労働各課長、工場長、目黒・品川・下谷・麹町各区長、市議会事 務局長・経済局長等を経て、大政翼賛会局長となり、終戦と同時に官界より退いたが、在任中熱心に武道を奨励し、武道区長と謂われた。また内閣より武道振興会委員・国民体育審議会委員を仰付られ、大日本武徳会常議員・宮内省師範に任ぜられ、又東京都内の都・区営の道場を建設、弓道の普及振興に多大の功績を残された。戦後宇野・樋口両先生の後を承け、財団法人全日本弓道連盟会長・審議会委員長 として弓道の再建興隆に大いに努力された。その功により従五位勲四等に叙せられた。

なお、全日本弓道連盟創設委員であり、第3代会長を務めている時に「弓道教本」第一巻を発刊した。

※主に「弓道教本」第二巻 五先生の弓歴 より引用


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