ふつうにみせる
娘、6年生として初登校の日。
朝、学校へ送り届けるときと、家まで戻るとき、
見かける登校班の班長さんたちが、
一同にかつていっしょに入学した小さかったあの子!あの子!となって、
私は母の気持ちでウルウルしちゃったよ。
みんな、頼もしくなったなあー。
娘が、登校班というものに所属して通えたのは、正味1年程度だったか。
付き添ったり、お休みして復帰してみたりを繰り返して疲れ、
正式に脱退して久しい。
娘は、なぜ登校班で通うことができなかったのか、そんなことを考える意味はなくて、
これは問題のひとつにすぎず、
どんな形であっても学校へは何食わぬ顔をして行くために必要なこと。
娘は不登校ではない。
いっそ、そうくくられた方がどんなに楽か。
よくある不登校の親と子を支えるなんとか、みたいなものをみるたびに思う。
そこで苦しむ親子にはそれはさぞ苦しみがあるのだろうとは思うし、
あなたがた楽じゃん、なんて言わないけれど。
何にもくくれない子と親の苦しみは、べつに、救ってくれとは言わずとも、ある。
不登校が怖くて不登校になれない、学校が嫌いな、学校を好きな振りをしている子供がいるということだ。
友達にも先生にもそれは絶対に言わず、
みんなと同じ顔をして、みんなと同じでいたいと家で泣きながら通う学校生活も6年目。
通えるだけいいじゃない、といろんな人に私は言われるから、
そうだよね、と言い続ける。
行きたいのに行けない、不登校の子?
行こうとすると足がすくんで…とか、
ちがうよね、行きたくはないよね。
行かなきゃと思ってたり、行って欲しいと親が願ったり。
足がすくんでその選択ができるだけ強いよ、と娘は言う。
このタイプのことをずっと抱えながら、
一番しっくり来たのは、何かの番組でみたギフテッドの苦しみ、みたいな特集。
うちの子がギフテッドだとはさすがに言わないけれど、ギフテッドの子が「ふつうになりたい」と言ったこと、
お母さんが「私のせいではないか」と思っていることを垣間見たこと、
それは、おなじだ。と私も思った。
くれぐれもギフテッドまでは言わずとも、
娘は、2歳のころにはひらがなカタカナの読みと書きができてしまった。
私も幼少期そうだったと聞いていたこともあって、深く考えず、
読めるなら、と、対象年齢以上の本を与え、
いやだと言うから、読み聞かせはしてあげるのではなく、してもらっていた。
たどたどしい読み方がかわいい時期、もなかったし、ひっくり返ったおかしなひらがな、みたいなのも書かなかった。
ここで、大切ななにかを間違えたと私は思っていて、
取り返しはつかないのだけれど、
心が追い付いていない知識を先に手に入れることで、
先を怖がる子にしてしまった。
「いつか、はがぬけるらしい」と泣いたり、
「けっこんすると、いえを出なきゃいけない」と泣いたり、
受け入れられる年で知るべきことを、まだよくわからないこころに与えてしまい、
娘は、いつも、何か先のことがずっと怖い人生になってしまった。
学校も、怖いから行きたくない。
不登校は、もっと怖いから我慢しないとならない。
その序列は「ふつう(主流)に見えるか」が基準のようだけれど、
不登校が主流の世界になれば、安心して行かなくなるんだろうな。
コロナ休校がいい例だった。
行かなくていい学校のあの時間に戻りたいなって、よく言っているから。
4年生くらいからは、中学や高校、進路のことを考えて怯えている姿をみている。
その日と、ちょっと先の日のことくらいしか考えないで生きてきた私には、
それはまるで及ばない恐怖なんだ。
今だって私は、あんまり先のことは考えないで暮らしいているから、
娘の苦しみの、ほとんどを理解してあげられない。
ただ、苦しんでいることを知っていることしかできない。
ずーっと続くんだろうなと思っているし、
そりゃあ多少心が追い付いてくるころには今よりも恐怖は減る可能性はあるけれど、
まぁ、本質は、そんなに…ね。
なるべく楽をしたり、安心できる妥協策のなかで暮らせるように、
できる手伝いや道筋を考えてあげないと。とは思ってる。
毎年クラス替えがある学校。
でも、ずっと同じクラスでいたい子とは同じクラス。
今年もそうだった。6年連続。
学校が配慮してくれてるんだよ。
親はわかっている。
頼まなくても、相手の子の親が頼んでくれている。
こんなわかりきっていることでも、
毎年クラス替え前に不安定になる娘よ。
眠れなかったあの時間、もったいないねぇ。
つくづく、生きにくいな。
とか、娘いなくて時間あったから書いてたけど、
明日から私は仕事が繁忙期に入るんですよ。
波のある仕事なので、またそれが去ったらくるかなー。
ポツポツ書きたいことたまる。
では、また。
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