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ベイの年下女房は裏切らない

お断り

今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。

最多勝投手が愛した年下女房

「祐大のおかげです」。セ・リーグ最多勝と最高勝率の2冠に輝いたDeNA・東克樹がヒーローインタビューのたびに感謝を伝えた相手が、「年下女房」として支え続けた捕手の山本祐大(25)です。ハマスタでのヒーローインタビューではお馴染みの風景です。東投手の最多勝を支えたことで、東-山本のバッテリーはベイスターズで佐々木-谷繁以来2組めの最優秀バッテリー賞に輝きました。意識したのは「(東は)ストライクゾーンで勝負できる投手なので、相手打者の反応が鍵になる。どういう反応をしていたかを見極めるのが僕の仕事」。3学年上の東にも遠慮せず、イニングの合間も細かく投球について指示を出しました。輩のそうした様子に「お母さんのよう」と東は笑顔で応じつつも、「堂々とリードしてくれて頼りになる」と信頼を寄せます。

#日経COMEMO #NIKKEI

高校では控え捕手だった山本

京都翔英高に入学後は、U-15(15歳以下)日本代表に選ばれ、1年生から4番を任され「京都のドカベン」と呼ばれていた石原彪(現楽天)がレギュラー捕手で、山本は熱心な練習をするものの捕手のレギュラーにはなれず外野手として試合に出場しました。高校卒業後は中部学院大(岐阜)への進学を入学前に急きょ断念し、当時BCリーグだった滋賀ユナイテッドベースボールクラブに入団し、捕手としてプロを目指せる高いレベルの環境を求めました。ここで1年でベイスターズの指名を受けます。

華々しいデビューも下積み生活が続いたプロ入り後

プロ入り初打席は入団1年目8月の広島戦。代打で2ランホームラン。プロ初打席本塁打は当時歴代63人目の快挙でした。本格的に1軍に帯同するのは21年になってからの山本でした。しかし、守備面で評価、最大の武器である強肩を発揮して高い盗塁阻止率を誇りましたが、打撃が1割台に低迷していました。21年のドラフトで中大の古賀捕手を指名できるチャンスがあったベイスターズは指名しなかったことに多くのドラフト好きベイスターズファンは憤慨していました。「山本を球団は高く評価し過ぎている」と。ファンにも試された22年は戸柱、伊藤、嶺井の実績のあるベテランが捕手をローテして、山本の出番は公式戦の後半にはほとんどありませんでした。しかし、22年捕手として最多出場した嶺井がFAで移籍したことで山本にチャンスが回ってきました。それと同時にドラフト1位で高校No1捕手松尾が入団してきたことで、23年は山本にとって結果を求められる年になりました。山本にとって理想の打撃をしていると感じた桑原に打撃の助言を求め、毎試合後深夜までティー打撃をしている佐野の練習チームに加わることで、山本の打撃は開花して打率2割7分7厘、3本塁打の結果を残しました。打撃面では2軍で高卒ルーキーとしてはトップクラスの打撃成績を残した松尾とのレギュラー争いが24年シーズンは始まりそうです。


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