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締め切りは創造性の敵か味方か

 もうすぐ8月が終わる。大学教員をやっている私にはまだ授業期間はやってこないし、逆に民間企業などで働いている人はとっくにお盆休みは過ぎているだろうからだからどうしたという感じかもしれない。が、誰もがかつては小学生中学生だったわけで、そこでは8月の末には休みが終わる名残惜しさと、ひさびさに学校に行く楽しみとがないまぜになった複雑な感情をもったことがあろう。が、そんな気持ちを背中からつららのように刺しつらぬくのが「夏休みの課題」である。今は教育現場も変わってきて、昔のような宿題の出し方はしないのかもしれないが、私くらいの世代は課題をやっていないか、課題のための書式がそろっていないことで肝を冷やしている人も少なくないだろう。今回はこの締め切りと創造性について触れる。なお、私は学校の勉強自体はわりとできた方だが、宿題そのものよりも書式が見つからない、あるいは早々に終えた課題そのものを紛失することに悩まされることが多かった。

 ありがちな話として、クリエイターが「納期に追われる」「腰が重い」という描写がある。サザエさんの「いささか先生」がノリスケに原稿の状況を聞かれる場面などもある。現実にも、SNS上で作家たちが「進捗どうですか」、「進捗ダメです」、「明日になったら本気出す」、こういう言葉を残す場面がある。締め切りに追われると本気が出る、という人もいるが、それは本当だろうか。
 締め切りそのものの効果を試した研究ではないが、参考になる研究がある。有賀(2013)は、ひらめきを要するパズル(以前紹介したTpuzzle)を解く際に、他の人の平均解決時間を事前に知らせるという操作を行った。例えば、「他の人は5分で解いている」と伝えられるグループと、「他の人は20分で解いている」と伝えれられたグループが設けられた。すると、「5分で解いている」という情報を与えられたグループのほうがより早く正解の発見に至った。なお、お気づきの人もいるだろうが、この他の人の解決時間の情報は実験のための嘘である(他の研究でもTpuzzleを5分で解くことはかなり難しいことが報告されている)。しかし、そんな嘘の情報であっても効果が出てしまうのだから面白い。

 なぜこのような効果が表れるのか。考えられることとしては、他の人と自分を比べることで、自分の状態、進み具合を振り返ることを促したという可能性だ。他の人が 分で解決できるものを、自分はその時間に近づいてきても解ける気がしない。その焦りから、自分のやり方を疑い始め、考え方の転換を促したと考えられる。
 もう1つ関連する研究を紹介したい。私が有賀(2013)の論文に触発されて行った実験なのだが、私は他の人の成績ではなく、時計の方に細工をした(阿部, 2020)。同じくTpuzzleを解いてもらうのだが、制限時間を設けておいた。そして不正防止という名目でスマートウォッチやスマホは没収し、代わりにこちらが用意した時計を見て残り時間を把握するよう促した。この時計、秒針と時針は通常通りだが、分針のみ通常の1.5倍の速さで進む。つまり、制限時間は本来の2/3しか与えられていないことになる。参加者は自覚なく異様に早く迫る締め切りのプレッシャーを前にどうするのか。また、嘘の制限時間を過ぎた後に何が起こるのかを、正常な時計を与えられた参加者たちと比較して検討した。その結果、1.5倍速時計を与えられた参加者は、解決時間こそ等速時計を与えられた参加者より早くなることはなかったが、自力で解決しやすくなった。特に、1.5倍速での見た目上の制限時間を過ぎてから、本来の制限時間までの間で解決に至る人が多かった。このタイミングでの解決が多かったので、解決時間での差は見られなかった。

 しめきりが近づかないと本気になれない。実はこれは心理学的にも根拠がある。心理学では「解釈レベル理論」(Trope & Lieberman, 2010)として指摘されていることだが、人間は物理的、心理的に遠いことには抽象的で大雑把に考え、近いことには具体的で詳細に考える傾向がある(これについては過去記事でも少し触れている)。

 締め切りが先のうちは漠然としか考えていないことが、締め切りが近くなるにつれて具体的に詳細に考えるようになる。身近にもいろいろと思い当たることは多いだろう。課題レポートや宿題から、入試、結婚式、お葬式のような一生に数回しかないような出来事までさまざまだ。なお、出来事の頻度もまた解釈レベル理論の要素の1つである。頻繁にあることは具体的に、ごくまれにしかないことは漠然と考えてしまう。以前も別の記事で別のコメントを引用したが、ここで再びダルビッシュ有選手を引用する。

 ダルビッシュ選手のモチベーションコントロールの方法として、「自分は今、すべて台無しになった未来から一度だけチャンスをもらって若返り転生している」という設定の想像をするのだそうだ。これもまた、自分の人生の残り時間の貴重さを見直し、取り組む姿勢を変える良い手段と言える。

 締め切りはただ時間を無為に過ごせばただの脅威にしかならない。しかし、自分で締め切りのイメージを変えたり、締め切りそのものの理解を変えることで、普段とは違う姿勢で自分を動かすこともできる。
 ただし、今回の記事で1点触れられないことがある。実は有賀(2013)の研究も私の研究も、扱ったのは正解のあるパズルであった。しかし、多くの創作者が締め切りに追われて取り組んでいるのは、答えが1つに定まらない創作の世界である。この違いについては議論や調査の必要はあるだろう。













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