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心が楽しいと感じることを

自分がせっかく楽しんでいるときに、周りで、「そんなに遊んでていいの?」と水を差してくれる人って、いますよね。

自分だけ楽しんではいけないのではないか、なんていう気持ちを持つ傾向にある女性たちは、そんな風に水を差されると「やっぱりいけなかったのね」となってしまうことも多いみたいです。

あなたはそんなとき、どんな反応をしているでしょう。

その言葉に流されて、楽しむのを辞めてしまいますか?

楽しむのは辞められないけど、どこか罪悪感を感じながら?

楽しいと思っているのに、どこかでその言葉が気になってだんだん楽しめなくなってしまったり?

せっかく楽しんでいるのを、周りのほんのちょっとの一言に邪魔されるのも、つまらないし、もったいない。

ただ、周りの人が言うことはコントロールできません。

それを自分でどう考えて捉えれば気にしないようにするかそちらをコントロールするほかありませんね。

自分の気持ちが楽になれる心の準備と、考え方をいくつかご紹介します。

まずひとつは、どんなときでも、批判する人は出てくるものだと現実を受け入れておくこと。

みんなを喜ばせることはできません。

だから、周りの言うことを聞いたのに、何をやっても批判された経験のある人は多いことでしょう。

その昔、アメリカのエレノア・ルーズベルト大統領夫人も言っています。

"Do what you feel in your heart to be right— for you'll be criticized anyway."

自分の心が正しいと思うことをやりなさい。

どの道批判されるのですから。

そして、すべての人がハッピーじゃないということ。

裏返せば、自分が楽しくないから、楽しそうにしている人をうらやましがる人もいるのだと思っておくこと。

惨めな人は、周りの人も自分の惨めに巻き込むことでちょっと安心感を覚えます。

だから、ねたんだりうらんだりが言葉や行動に出たりするのです。

みんなも同じようにハッピーで楽しかったら、人が楽しんだりハッピーでいることについて、それでいいの?

なんていうはずもないのですが、残念ながら、みんなのハッピー度、楽しんでいるレベルはまったく違います。

そして、人の楽しそうにしているのや、ハッピーでいるのを見て、その表面だけを見て不公平だとか、憎たらしいとかひがむ人がいるのも事実。

人のハッピーや楽しいことにも事情があり、そこに至るまでの努力の賜物であったり、たまたまその日がいつもよりとくに楽しかったり、とか、いろいろありますよね。

人はそうした隠れたストーリーについて目にする機会が少ないですから、表面の結果だけを見て、うらやんだりねたんだり、するのです。

人間だから、それは海外どこでも同じですが、個人主義の発達しているヨーロッパと比べると、日本の「ねたみ」や「ひがみ」根性は、ときにものすごい暴力となる印象があります。

自分でしっかり守らないと、その暴力の直撃を受けるので見方を変えてみます。

周りの人たちは、そのねたんだりひがんだり、水を差したり、が今できるベストのことなのだ、と。

自分を人と比べてしまうクセから抜けられないでいるだけだ、と。

だから私を攻撃するというよりも、いろいろあってつらいから、ついそういう言葉が出ちゃうんだよね、というのはどうでしょう。

自分がハッピーでないとき、自分がつらいとき、できることは自然とベストではなくなり、制限も多くなってきます。

そう思って、大目に見ることにするのです。

周りの言葉通りにしなくてはいけないなんてことはないですし、周りの言葉に水を差させないよう、自分をしっかり守ってください。

来年は、自分の心が楽しいと感じられることを、とにかくやってみるのはどうでしょう。

きっと1年後、大きく変わっているはずです。

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